ほうごんじ|真言宗豊山派|巌金山
宝厳寺のお参りの記録一覧
宝厳寺に行ってきました。今日は薬師堂の御本尊千手千眼観世音菩薩の特別御開帳の最終日、長浜港からの朝一番のフェリ-に乗り込みました。急な石段を息を切らしながら登りあがると、参拝後にしようと思っていた納経所が意外と空いていたので御朱印を書いていただきました。大阪城遺構で国宝の唐門を通った先にいらした千手千眼観音菩薩は、慈愛に満ちたやさしいお顔立ちで待っていてくださいました。舟廊下は、秀吉の御座船日本丸の骨組みを利用して掛けられたそうです。出港時間までゆっくりと竹生島中を堪能でき、お天気にも恵まれて有意義な日でした。
唐門
宝厳寺本堂(弁才天堂)
舟廊下
薬師堂
三重塔
モチの木
今回は滋賀県長浜市の寺院巡り
竹生島に在る巌金山 宝厳寺。
西国三十三所観音霊場 第30番。
真言宗豊山派で、本尊は弁才天。札所本尊は千手観音。
長浜港から琵琶湖汽船で竹生島に渡りましたが、チケット購入するのも乗船するにも凄い人。何度も利用しているけど、並んだ事は無いですね。始発に乗りましたが、強風で本日は始発のみで以降は欠航になりました。(安全第一だから仕方無いですが、遠方から来ている方々で乗れなかったらお気の毒ですね。)
ーーー後日アップします。
御朱印(軸装納経帳)
観音堂本尊の千手観音開帳
頂いた数珠と御守(但し、特別拝観料は1,000円)
竹生島クルーズ船
長蛇の列
真言宗豊山派 巌金山 宝厳寺の御本尊千手千眼観世音菩薩御開帳に参拝しました。
60年に一度の御開帳のところ、今回は開創千三百年記念で、特別の御開帳となります。(10/12〜21まで)
宝厳寺さまは、通算3回目の参拝になります。
船🚢でないと行けないお寺さまなので、県内に住んで居ながら、近くて遠いお寺さまなのです。😅
晴天☀️に恵まれた連休の最中、道も混むだろうと覚悟して、船🚢の出港時間より、かなり余裕を持って自宅🏠を出ましたが、出てすぐに大渋滞😓 船🚢の出港に間に合うのかドキドキ💓しました。
びわ湖汽船の予約も、今日の最終便しか空きがなく、それもギリギリ出来たような状態でしたから、かなりの参拝者であることも予想しておりました。
竹生島は、今津、彦根、長浜からの参拝者でごった返しており、駆け足(実際には息も絶え絶えで😓)
で石段を登り、急ぎ御朱印所に向かいました。
しかし既に長蛇の列でした。😞
30分以上は並び、やっと頂き、それから御本堂の弁財天さまに参拝。
そして、御開帳の観音堂に向かいました。
そちらもまた長蛇の列😓
並んでいる皆さんは、帰りの船🚢の出港時間⏰が気がかりで、時間との戦いのような状態。
何としても御開帳を見逃すわけには行かないので、並んでも順番が回ってこない御朱印を諦め、御開帳拝観の列に並びに来た、と嘆いていらっしゃる方も居ました。
やっとこさ順番が来て、いよいよ秘佛御本尊 千手千眼観世音菩薩さまを拝観。🙂↕️🙏🏻
福よかな優しい御顔立ちで、慈悲の眼でこちらを見て下さっていました。
御本尊さまと繋がった紐🪢は、目の前の独鈷杵?(三鈷杵?五鈷杵だったかな?😅)に結ばれており、「どうぞ心静かにお触れ下さい」と、案内の方が声をかけて下さいました。
船🚢の時間⏰が気になりながらも、御本尊さまに掌を合わせ、参拝出来た喜びを感謝申し上げ、日々の精進をお誓い致しました。
いつも居てくださる御前立ち御本尊さまは、正面に向かって御本尊さまの右側に御移動されていらっしゃいました。こちらも大変美しい仏さまでいらっしゃいます。
お名残惜しい気持ちを引きづりつつ、後の方々も並んでおられますので、足早に行きかけた時、ご住職さまがお出まし下さり、有難くご挨拶申し上げますと、親しくお言葉をかけて下さいました。
「先達さん。ようお参り下さいましたな。🙏🏻
観音さまのお顔をよく見られましたか?
温かい優しい良いお顔やったでしょ?
いつも観音さまのようなお顔、御心を目指すのやが、なかなか難しいな。お互い様に観音さまを目指して精進しましょう。またお参り下さいや。」と。
僅かな時間でしたが、何とも有難いご縁を頂きました。感激です。🥹🙏🏻
御朱印で時間がかかり散策も出来ず、写真もほとんど撮れず残念でした。😞
次回は秘佛御本尊さまにはお出会い出来ませんが、ゆっくりと、隈なく島内を参拝したいと思いながら、帰りの船🚢に乗りました。
船🚢を降りてから自宅🏠までの道中も、また大渋滞でございました。😅
次回の御開帳は、2037年(通常の60年に一度の御開帳にあたります。)です。13年後ですね。
元気で居られるでしょうか?😅🙏🏻
今津 出港前
観音堂前の伊藤萬蔵寄進の花壺
観音堂
御本尊 千手千眼観世音菩薩
カラー御影
御詠歌
開創千三百年記念特別御開帳拝観記念品
福寿開運身代り御守、念珠、根付け
小心者で乗り遅れに怯えたため集合時間の1時間前に長浜港に到着。
駐車場の係の紳士からは「まだ早いけど良いん?」と言われる始末でした(^^;
そして竹生島へ!!
宝厳寺様は724年に聖武天皇の勅願で行基上人が開基した御寺様です。
宗派は真言宗豐山派です。
豊国廟から移設された観音堂、豊臣時代の大阪城の遺構である壮麗な唐門、秀吉が朝鮮出兵時に乗船した「日本丸」の舟櫓を利用した舟廊下など見所がギュッと詰め込まれた宝箱みたいな御寺様です。
場所を移る度に琵琶湖の湖面の青さと伽藍とのコントラストが映えて息を呑む…と言うか呑みっぱなしでした(´▽`)
琵琶湖北端近くにポツンと浮かぶ竹生島。宝厳寺さんは、その竹生島にあります。お参りするためには、船に乗るのが不可欠。一度だけ、"欠航"だったことがあります。竹生島の港付近の波が原因でした。こちらの港の波の状態がよくても、船は出ないわけです。仕方ありません。安全第一。
近畿一円のお寺さんでは、僧"行基"の名前をよく目にします。宝厳寺も、聖武天皇の命をうけ、行基が開創したとされています。
西国三十三所観音霊場 第30番札所
山号:巌金山(がんこんさん)
宗派:真言宗豊山派
御本尊:大弁財天
創建:伝 724年(神亀元年)
長浜港から出港
波と小さな島を眺めながら、のんびりと過ごします。今回は乗船客もいつもより少なく感じます。ホッとします。🤭
【本堂(弁財天堂)】
御本尊大弁財天が祀られています。🙏
お不動様にも手を合わせます。🙏
【唐門】
極彩色の彫刻と飾金具で飾られた豪華な門です。安土桃山時代を彷彿とさせます。この門をくぐり少し行くと観音堂があります。
いただいた御朱印。8巡目です。🙏
西国三十三霊場巡りで竹生島に訪れました。高校生の時に遊びで来て以来です。
船に乗ってお参りというのは初めてで とても楽しみにしていました。
もちろん船には出航予定があるのですが 少し早く着いて のんびり待ちました。
船に乗っている時間は20分ぐらいだったと思うのですが あっという間でした。
竹生島は信仰の島として有名ですが 小さな島には 本当にお寺と神社しかありません。
境内は見事に立体的で 三段に分かれています。
観音堂は一番下。本堂は二段目。三重塔が三段目です。
宝物殿もありましたがもちろん撮影禁止です。
本堂もとても立派な建物ですが 個人的には観音堂と唐門が好きになりました。
唐門は国宝にも指定されていて 観音堂は重要文化財に指定されていました。
崖ぎりぎりに建っているため 写真で全景を収めることができませんでした。
とても広いとは言えない境内ですが 階段が楽ではないのでまあまあ時間がかかりました。
しかし昔の人はすごいです。こんな小島に こんなにも立派な寺院を建立したのですから。
山寺でもそうですが 現代でも重機を使ったとしても相当な月数を要する建築を どうやったのかタイムマシンでその様子を見てみたいものです。
暑い暑いと言いながらですが とてもすがすがしい気持ちになりました。
またお参りしたと思います。
山号は巌金山 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は大弁才天 創建年は伝・神亀元年(724年) 開山は伝・行基 開基は伝・聖武天皇(勅願)です。
由緒については
宝厳寺は奈良時代 僧・行基が開創したとされている。
行基は出身地の河内国(現・大阪府東部)を中心に多くの寺を建て 架橋 治水灌漑などの社会事業にも尽くし 民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり 近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。
宝厳寺の寺伝によれば 神亀元年(724年) 聖武天皇の勅願によって行基が浅井姫命を祭神とする都久夫須麻神社がある竹生島を訪れ 大弁才天を祀ったのが起源とされている。
しかし 承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には 行基の来島は天平10年(738年)で 小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。
同縁起によれば 天平勝宝5年(753年) 近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が 千手観音を造立して安置したとある。
当初は寺名を本業寺(ほんごうじ)といい 東大寺の支配下にあったが 平安時代前期 10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様 比叡山延暦寺の傘下に入り 天台寺院となった。
以降 島は天台宗の僧の修行の場となった。
とありました。
おや?真言宗では?
空海がやってきて改宗されるパターンかと思うのですが。
船乗り場
島に到着
こんな船で
石柱
まずは大きな鳥居
二の鳥居に宝厳寺の石柱
瑞祥水の手水
井戸
やはり 龍
観音堂へ続く道
読めない 菩薩様
唐門
彩色がきれいです
観音堂内陣
観音堂内陣 写せるぎりぎり
修業大師像
本堂に続く石段に石柱
まあまあ上ります
鐘楼
手水
ここも 龍
天狗堂
本堂
不動明王
本堂
内陣
内陣
内陣
弁財天社
三龍善神 とありました
さらに上へ
三重塔
雨宝堂
西国三十三所観世音奉安殿
内陣
内陣
楽寿観世音菩薩
ぼけ封じをお願いしました
唐門を見下ろして
本坊
竹生島神社へ続く回廊
唐門から見て
琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶじま)。周囲2キロ面積0.14平方キロメートルの小さな島です。南東部にある船着き場をのぞいて、急な断崖。この島に宝厳寺(ほうごんじ)があります。
聖武天皇の発願により、僧・行基が島を訪れ、大弁財天を祀ったのが起源とされています(8世紀前半)。10世紀ごろから比叡山延暦寺の傘下に入り、
天台寺院となり、天台宗の僧侶たちの修行の場になったこともありました。
宝物館には、弘法大師空海直筆の『空海請来目録』が納められており、空海ゆかりのお寺さんでもあります。
唐門は国宝。もちの木、船廊下など、見所がたくさんあります。😌
御本尊(千手観音)真言:おん ばざら たらま きりく
西国三十三所観音霊場 第30番札所
山号:巌金山(がんこんさん)
宗派:真言宗豊山派
御本尊:大弁財天(観音堂 千手観世音菩薩)
創建:伝 724年(神亀元年)
開山:伝 行基
開基:伝 聖武天皇
ご本堂
御本尊 大弁財天さんにお参りしました。
ご本堂向かって右側にお不動さま
眷属を従え、力強さが伝わってきます。🙏
【三龍堂】
ご本堂向かって左
🙏
【もちの木】
【三重塔】
2000年5月に再建されたもの。近世に消失され長らく失われたままでした。
【唐門】
鳳凰 右と左どちらも鮮やかな彩色がほどこされています。安土桃山時代の建築美を伝えています。😌
【唐門】
2013年から2020年まで修復工事が行われました。
【唐門】
"唐門"···唐破風(からはふ)をもつ門という意味で、日本特有な建築技法です。
この唐門を入っていくと観音堂に続いています。観音堂で、お参りしました。🙏
【渡廊下】
【船廊下】とも呼ばれています。
渡廊下(船廊下)を外から見ると···
見事な懸造です。
【黒龍堂】
【唐門】
港で船を待っている間に撮りました。
天気に恵まれ、波も穏やか。☀️船を待つ人の列の長さには驚きましたが、分かります!こんな日は渡りたいです、島に!私もその一人でした。🤭
いただいた御朱印です。
今回は滋賀・岐阜の寺社仏閣巡りです。
先ずは、滋賀県長浜市の琵琶湖に浮かぶ竹生島に在る厳金山 宝厳寺です。
西国三十三所観音霊場 第30番札所。
真言宗豊山派で、本尊は秘仏・弁才天。西国三十三所観音霊場の札所本尊は秘仏・千手観音。
基本60年に1度の開帳。(あくまでも基本)
また、宝物館に収蔵の不動明王坐像は県指定文化財。
竹生島には橋が架かっておりませんので船で行く必要があり、船は長浜港、今津港、彦根港から出ていますが、私は便の良い長浜港から乗船。駐車場は無料。風があると定刻通りに出港してくれるか気になります。風が強いと波が高くなって欠航の可能性があるからです。特に冬場は日本海からの季節風が強いので(おまけに1日2便)。係の人に聞いてみたら、出港するか欠航するかは船長判断。風速Xm以下とかの決まりはないとの事。私は家から長浜港まではそれ程遠くないので欠航しても安全第一だから仕方ないと思う程度で済みますが、遠方から来られた人には欠航は厳しいですね。
724年に聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう。」というお告げを受け、行基を勅使として遣わし、堂塔を開基させたのが始まりと伝わります。その後、何度か火災により焼失したが都度復興、1602年には豊臣秀頼が復興し、国宝の唐門は豊臣秀吉の霊廟の唐門を移築したもの。江戸時代までは神仏習合であったが、明治時代初期の神仏分離令により宝厳寺と都久夫須麻神社に分離し、現在に至ります。
長浜港と竹生島の往復乗船料は3,200円、境内に入るには入島料600円、更に宝物館に入るには拝観料300円掛かりますので、(私の)財布には優しくないです。
長浜港から30分強で竹生島に到着、4軒ほどの商店の前を通り、入島料を支払って早速石段を上ります。最初の鳥居の所を右へ行くと都久夫須麻神社へ行きますが、右へ行かずに更に石段を上がります。護摩堂と鐘楼の間を上がると手水があって、左奥に本堂です。本堂で手を合わせて、本堂左手前にある納経所で御朱印を受領。(西国三十三所観音霊場の観音堂はここではないので、本来ならば観音堂で手を合わせてから観音霊場の御朱印を貰うのが筋だとは思うが・・・。)
更に石段を上がると三重塔があり、その奥に宝物館。古文書、仏画、仏像、太刀などが陳列されています。ここに安置されている県指定文化財の不動明王坐像は、余り大きくない高さ約55cm、一木造り。頭部、体部が厚くどっしりした印象、平安時代の10世紀頃の作と考えられています。
宝物館を出て石段を下り、先へ行くと国宝の唐門とその奥に観音堂の屋根が見えてきます。やや急な石段を下ると唐門の前。唐門は数年前に修復されたばかりなので極彩色と漆の黒が綺麗。唐門の中を進むと観音堂。西国三十三所観音霊場札所であり、先に御朱印を頂きましたが手を合わせました。先へ行くと舟廊下(渡り廊下)があり、舟廊下を抜けると都久夫須麻神社の本殿に出ます。
投稿の量が多くなったので、都久夫須麻神社の分は都久夫須麻神社にて投稿します。
御朱印(軸装納経帳)
曇天の出港
竹生島 着岸前
竹生島 上陸
手水
瑞祥水
護摩堂
鐘楼
手水
石造五重塔(重文)
本堂
本堂外陣
三龍善神
雨宝堂
モチの木
三重塔
天狗堂
三十三観音堂
唐門(国宝)
唐門奥の屋根は観音堂(重文)
舟廊下(重文)
舟廊下を外側から
神変大菩薩(役行者)堂
竹生島から離れて
不動明王坐像(県指定)
(ネットから転載)
竹生島神社に参拝した後は船廊下を通って宝厳寺に伺いました。
御朱印は手書きでいただけます。
神社もですが、段数の多い石段の上にあるので帰りが結構怖かったです。
階段の途中から
船廊下
観音堂の香炉
更に登ると弁財天堂があります
弁財天堂
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