ほうごんじ|真言宗豊山派|巌金山
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真言宗豊山派 巌金山 宝厳寺の御本尊千手千眼観世音菩薩御開帳に参拝しました。
60年に一度の御開帳のところ、今回は開創千三百年記念で、特別の御開帳となります。(10/12〜21まで)
宝厳寺さまは、通算3回目の参拝になります。
船🚢でないと行けないお寺さまなので、県内に住んで居ながら、近くて遠いお寺さまなのです。😅
晴天☀️に恵まれた連休の最中、道も混むだろうと覚悟して、船🚢の出港時間より、かなり余裕を持って自宅🏠を出ましたが、出てすぐに大渋滞😓 船🚢の出港に間に合うのかドキドキ💓しました。
びわ湖汽船の予約も、今日の最終便しか空きがなく、それもギリギリ出来たような状態でしたから、かなりの参拝者であることも予想しておりました。
竹生島は、今津、彦根、長浜からの参拝者でごった返しており、駆け足(実際には息も絶え絶えで😓)
で石段を登り、急ぎ御朱印所に向かいました。
しかし既に長蛇の列でした。😞
30分以上は並び、やっと頂き、それから御本堂の弁財天さまに参拝。
そして、御開帳の観音堂に向かいました。
そちらもまた長蛇の列😓
並んでいる皆さんは、帰りの船🚢の出港時間⏰が気がかりで、時間との戦いのような状態。
何としても御開帳を見逃すわけには行かないので、並んでも順番が回ってこない御朱印を諦め、御開帳拝観の列に並びに来た、と嘆いていらっしゃる方も居ました。
やっとこさ順番が来て、いよいよ秘佛御本尊 千手千眼観世音菩薩さまを拝観。🙂↕️🙏🏻
福よかな優しい御顔立ちで、慈悲の眼でこちらを見て下さっていました。
御本尊さまと繋がった紐🪢は、目の前の独鈷杵?(三鈷杵?五鈷杵だったかな?😅)に結ばれており、「どうぞ心静かにお触れ下さい」と、案内の方が声をかけて下さいました。
船🚢の時間⏰が気になりながらも、御本尊さまに掌を合わせ、参拝出来た喜びを感謝申し上げ、日々の精進をお誓い致しました。
いつも居てくださる御前立ち御本尊さまは、正面に向かって御本尊さまの右側に御移動されていらっしゃいました。こちらも大変美しい仏さまでいらっしゃいます。
お名残惜しい気持ちを引きづりつつ、後の方々も並んでおられますので、足早に行きかけた時、ご住職さまがお出まし下さり、有難くご挨拶申し上げますと、親しくお言葉をかけて下さいました。
「先達さん。ようお参り下さいましたな。🙏🏻
観音さまのお顔をよく見られましたか?
温かい優しい良いお顔やったでしょ?
いつも観音さまのようなお顔、御心を目指すのやが、なかなか難しいな。お互い様に観音さまを目指して精進しましょう。またお参り下さいや。」と。
僅かな時間でしたが、何とも有難いご縁を頂きました。感激です。🥹🙏🏻
御朱印で時間がかかり散策も出来ず、写真もほとんど撮れず残念でした。😞
次回は秘佛御本尊さまにはお出会い出来ませんが、ゆっくりと、隈なく島内を参拝したいと思いながら、帰りの船🚢に乗りました。
船🚢を降りてから自宅🏠までの道中も、また大渋滞でございました。😅
次回の御開帳は、2037年(通常の60年に一度の御開帳にあたります。)です。13年後ですね。
元気で居られるでしょうか?😅🙏🏻



西国三十三霊場巡りで竹生島に訪れました。高校生の時に遊びで来て以来です。
船に乗ってお参りというのは初めてで とても楽しみにしていました。
もちろん船には出航予定があるのですが 少し早く着いて のんびり待ちました。
船に乗っている時間は20分ぐらいだったと思うのですが あっという間でした。
竹生島は信仰の島として有名ですが 小さな島には 本当にお寺と神社しかありません。
境内は見事に立体的で 三段に分かれています。
観音堂は一番下。本堂は二段目。三重塔が三段目です。
宝物殿もありましたがもちろん撮影禁止です。
本堂もとても立派な建物ですが 個人的には観音堂と唐門が好きになりました。
唐門は国宝にも指定されていて 観音堂は重要文化財に指定されていました。
崖ぎりぎりに建っているため 写真で全景を収めることができませんでした。
とても広いとは言えない境内ですが 階段が楽ではないのでまあまあ時間がかかりました。
しかし昔の人はすごいです。こんな小島に こんなにも立派な寺院を建立したのですから。
山寺でもそうですが 現代でも重機を使ったとしても相当な月数を要する建築を どうやったのかタイムマシンでその様子を見てみたいものです。
暑い暑いと言いながらですが とてもすがすがしい気持ちになりました。
またお参りしたと思います。
山号は巌金山 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は大弁才天 創建年は伝・神亀元年(724年) 開山は伝・行基 開基は伝・聖武天皇(勅願)です。
由緒については
宝厳寺は奈良時代 僧・行基が開創したとされている。
行基は出身地の河内国(現・大阪府東部)を中心に多くの寺を建て 架橋 治水灌漑などの社会事業にも尽くし 民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり 近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。
宝厳寺の寺伝によれば 神亀元年(724年) 聖武天皇の勅願によって行基が浅井姫命を祭神とする都久夫須麻神社がある竹生島を訪れ 大弁才天を祀ったのが起源とされている。
しかし 承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には 行基の来島は天平10年(738年)で 小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。
同縁起によれば 天平勝宝5年(753年) 近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が 千手観音を造立して安置したとある。
当初は寺名を本業寺(ほんごうじ)といい 東大寺の支配下にあったが 平安時代前期 10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様 比叡山延暦寺の傘下に入り 天台寺院となった。
以降 島は天台宗の僧の修行の場となった。
とありました。
おや?真言宗では?
空海がやってきて改宗されるパターンかと思うのですが。



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