いくつひこねじんじゃ
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楽しみ方活津彦根神社のお参りの記録一覧

御祭神 活津彦根命
(天照大神の第四御子神)
境内社
津島社 蛭子神社
織田信長公が参詣🙏安土城築城の成就を祈願したとのこと❣️
大坂夏の陣の際には、井伊直孝公が戦勝祈願をし武功を挙げ、のちの彦根城・彦根藩の名前の由来となったという説もある、とても歴史ある神社さんです👏👏
滋賀と言えば❣️みうらじゅんさんが名付けた「飛び出し坊や」ですね😊こちらにもありました♡

























安土城趾入口から約1kmほど西側に鎮座する神社です。
それほど小さな神社でもないので他の参拝者の方もいらっしゃるかな?と思っていたのですが、参拝者は私一人だけ。
とっても静まりかえった境内で、ひとりゆっくりとお参りさせていただきました。
創祀年代不詳とのことですが、この辺りは古来から豊浦庄と呼ばれており、天平感宝元年(749年)には桓武天皇が奈良薬師寺に寄進された土地だそうです。
天正4年(1576年)に織田信長公が安土城を築くに当たり参詣されました。
御祭神は、活津彦根命。
天照大神の第四御子神になります。
『日本書紀』では活津彦根命、『古事記』では活津日子命と表記されているそうです。
ここは安土なのに「なぜ彦根?」と思っていたんですが、御祭神のお名前だったんですね😅
しかし現在の彦根市の語源は、この活津彦根命からきているとも云われているとか。

鳥居
後で知ったのですが、一の鳥居はここからさらに南へ500m先にあるんだそうです。


とってもいい表情をしてらっしゃいます


手水舎

拝殿
とても立派な拝殿なのでより一層気持ちが引き締まります

拝殿に近づくと「敬神崇祖」の扁額がかかっていました。
だから自然と気持ちが引き締まったのかもしれません。

拝殿内の奉納画


本殿

しゃちほこ?

本殿
御神紋の横木瓜が見えました


由緒書

本殿前の石碑

境内社 蛭子神社
鳥居の色が印象的でした

蛭子神社の由緒書

こちらは社務所でしょうか。
残念ながら閉まっていました

#活津彦根神社
ご祭神はイクツヒコネの命。
#活津彦根命
古事記では活津日子根命、日本書紀では活津彦根命。アマテラス大神とスサノオの尊による”うけい”で、アマテラス大神が持っていた勾玉から生まれた5柱の男神の1柱。5柱の兄弟のうち、古事記・日本書紀とも4番目とする。
”うけい”でアマテラス大神の玉から生じたのは、アメノオシホミミの尊、アメノホヒの命、アマツヒコネの命、イクツヒコネの命、クマノクスビの命の5柱の男神。一方、スサノオの尊の剣からは、タゴリヒメの命、イチキシマヒメの命、タギツヒメの命の3柱の女神が誕生した。
大将軍八神社(京都市上京区)のように、この8柱の全員を祀る神社も割と多い。
5柱の男神のうち、兄3柱はときどき単独で祀られもする。アメノオシホミミの尊は同じ滋賀県の阿賀神社(東近江市)、アメノホヒの命は防府天満宮(山口県防府市)、アマツヒコネの命は多度大社(三重県桑名市)、といった具合だ。一方、最後の2柱であるイクツヒコネの命とクマノクスビの命は、8柱の御子神というグループを離れて崇敬を受けている例を見たことがなかった。イクツヒコネの命に関してはここ活津彦根神社が唯一だし、クマノクスビの命は依然としてゼロだ。

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