みかみじんじゃ
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楽しみ方御上神社のお参りの記録一覧(2ページ目)

YouTubeの神社丸さんの動画を見て、気になったので、御上神社と奥宮に行ってきました。
YouTubeでは三上神社になってます。
本殿は龍系、奥宮の手前の姥の懐には稲荷系、奥宮には龍系の精霊が感じられるとのこと。
三上山は思ったよりハードでしたが、パワー頂いて帰ってきました。登るのに一時間ほどかかります。標高432メートル。
龍系の精霊さんが感じられるそう
三上山の登山口
稲荷系の精霊が感じられるそう
一番のパワースポット。岩に触るとビリビリ感じました。
奥宮
岩に龍系の精霊が感じられるそう
奥宮
展望台
下山してお花見もいいかもです。

【近江國 式内社巡り】
御上神社(みかみ~)は、滋賀県野洲市三上にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣中社。現在は神社本庁の別表神社。祭神は天之御影命。三上山を神体山とする。本殿は国宝、拝殿、楼門、摂社若宮神社、木造狛犬は国指定の重要文化財。秋季古例祭(ずいき祭り)は国の重要無形民俗文化財。
社伝によると、第7代孝霊天皇の御代、天之御影命が三上山山頂に降臨し、それを御上祝が三上山を御神体(神奈備)として祀ったのが始まり。奈良時代の718年、藤原不比等により遥拝所があった三上山山麓の現在地に社殿が造営された。『日本三代実録』では平安時代の859年、865年、875年に神階昇叙の記載がある。また、927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「近江國 野洲郡 御上神社 名神大」に比定されている。のち974年には円融天皇が当社を勅願所と定めた。中世以降は武家の信仰も篤く、源頼朝から徳川幕府まで、代々神領を寄進し社殿を造営した。明治時代に入り、近代社格制度のもと官幣中社に列格した。
当社は、JR琵琶湖線・野洲駅の南方2kmあまりの、交通量の多い2つの大通り(国道8号線と県道504号線)が交差する交差点の北側にある。交差点そばは駐車場になっていて、鳥居をくぐると巨木が多数立ち並んでおり、一気に喧騒はかき消され、やや暗いしっとりとした神聖な雰囲気に変わる。さらに参道を進んで空が抜けた明るい場所に辿り着くと、国宝や国指定の重要文化財となっている社殿や楼門などが迎えてくれる。参拝者が見て廻れるエリアはすごく広いわけではないが、特に建物群が素晴らしく見応え十分で満足度は高い。
今回は、近江國の式内社、旧官幣中社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、参拝者は自分以外には見掛けなかった。
境内南端入口の<鳥居>。(社号標は右手に少し離れた国道8号線沿いにある。)
鳥居をくぐったところ。しばらくは高い木々で参道は薄暗く、厳粛な雰囲気。
参道右側の磐座のような岩石。
参道を進むと、境内の明るい部分と建物が見えてくる。
参道左側の<手水舎>。
手水舎の右後方にある<社務所>。御朱印はこちら。
参道右側の<授与所兼休憩所>。
いよいよ参道正面に<楼門>。
参道左側の<狛犬>。修復跡が激しい。
参道右側の<狛犬>。こちらはあまり傷んでいない。
<楼門>全景。南北朝時代1365年の造営。三間一戸、入母屋造、檜皮葺。国指定の重要文化財。
<楼門>をくぐる。
楼門をくぐったところ。正面の<拝殿>以外は近くに建物はなく、広々として見える。
楼門をくぐって左手離れたところにある<神輿庫>。
楼門をくぐって右手にある<鎮魂殿>と<絵馬殿>。
<拝殿>全景。鎌倉時代後期の造営。桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺。本殿と似た構造で、かつての本殿を移築・改造したものとも伝わる。国指定の重要文化財。
<拝殿>正面。
拝殿後ろの<本殿>。鎌倉時代後期の造営。桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺。国宝に指定されている。
本殿の左側に建つ<若宮神社>。鎌倉時代後期の造営。国指定の重要文化財。
本殿を逆サイドから。構造としては、神社、寺院、殿舎の様式を混合させたような形で「御上造」と呼ばれることもある。
本殿の右側に建つ<三宮神社>(右・大)と<天神宮神社>(左・小)。
少し離れて、国宝<本殿>と桜のコラボレーション。
重文<拝殿>と国宝<本殿>を合わせて画角に収めてみる。
最後に重文<楼門>、重文<拝殿>、国宝<本殿>を、豪華に一緒の画角に収めてみる。(^▽^)/

神仏「霊場会 滋賀12番。
近江富士と呼ばれる三上山をご神体として祀ります。古代から三上山は「御神」として信仰され、その里宮として創建されました。
古来、三上神社・三上大明神などと称され、社伝では紀元前285年6月18日に三上山の山頂に天之御影命が天降り神孫の御上祝が三上山をご神体として創祀したといわれています。
楼門(重文) 入母屋造り、1365年ころの建立と言われています。
本殿(国宝) 寺院建築に多い入母屋造りで、屋根は檜皮葺、屋根の上には千木・鰹木を上げてなければ外観は仏堂そのままです。
古代から中世にかけて三上山山麓には東光寺という大寺院があったと言われ(戦国時代に焼失)、その影響もあり神仏習合の信仰が盛んであったと思われます。
三上山 標高432m、男山と女山の二つの峰からなる。
富士権現が富士山を造るために近江の土を掘ってできたのが琵琶湖で、余った土で三上山を造ったというスケールの大きな伝説。また、三上山を七巻きする大百足を俵藤太が退治した伝説も伝わります。

近江国野洲郡の名神大社です。明治の近代社格制度では初め郷社でしたが、そこからどんどん社格を上げて最終的に官幣中社となった実力と由緒を持つ神社です。
《鳥居》
《由緒書き》
御祭神の天之御影命さまは多度大社に祀られる天津彦根命さまの御子神です。
《随身門》
たくさん重要文化財指定がありますね。
《本殿》
☆チェックポイント!!
本殿の建築様式は入母屋造ですが、よく見る神社の入母屋造より部屋が広く、天井が低い特徴があり、
お寺のお堂の形式を残していてます。
近江国は割と入母屋造の神社がたくさんあります。
《賽銭箱》
社紋は「違釘抜」です。
《末社》
大きいが三宮神社で、小さいのが天神宮神社です。
《摂社・若宮神社》
伊奘諾命さまと菅原道真公を祀ります。
重要文化財指定。
《神輿庫》
神体山としている三上山の頂上には奥宮的な神社はあるのでしょうか?あ、あるのね。次回の楽しみにします。

延喜式内名神大社(近江國野洲郡/御上神社)、旧官幣中社、現別表神社です。
令和二日目に参拝しました。国宝の本殿が素晴らしかったです。
お参りしたあと、境内から道路を挟んだ向かい側にある、昭和天皇が即位されたときの悠紀斎田の跡(現在は御上神社の神饌田となっています)を拝しました。
そのあと、御上神社の奥宮の鎮座する三上山山頂へ登拝しました。本格的な登山でした。上りは50分程度下りは40分程度でした。社務所で奥宮への道を尋ねたところ、登山マップをいただき、丁寧に教えていただきました。
なお、オリジナル御朱印帳はゴールデンウイーク前半で在庫分について全て頒布されてしまったそうで、いただけませんでした。ちょっと残念。でもまた今度の宿題とさせていただきます。
感謝です!!拝。
国宝の本殿です。鎌倉時代後期の建立と推定されるとのことです。仏堂的要素が融合した形とのことで、美しい姿です。
悠紀斎田跡と後方に三上山(左が男山/おやま、右が女山/めやま)です。
三上山山頂(男山)のすぐ近くにある奥宮の祠です。
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