みかみじんじゃ
御上神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
近江国野洲郡の名神大社です。明治の近代社格制度では初め郷社でしたが、そこからどんどん社格を上げて最終的に官幣中社となった実力と由緒を持つ神社です。
《鳥居》
《由緒書き》
御祭神の天之御影命さまは多度大社に祀られる天津彦根命さまの御子神です。
《随身門》
たくさん重要文化財指定がありますね。
《本殿》
☆チェックポイント!!
本殿の建築様式は入母屋造ですが、よく見る神社の入母屋造より部屋が広く、天井が低い特徴があり、
お寺のお堂の形式を残していてます。
近江国は割と入母屋造の神社がたくさんあります。
《賽銭箱》
社紋は「違釘抜」です。
《末社》
大きいが三宮神社で、小さいのが天神宮神社です。
《摂社・若宮神社》
伊奘諾命さまと菅原道真公を祀ります。
重要文化財指定。
《神輿庫》
神体山としている三上山の頂上には奥宮的な神社はあるのでしょうか?あ、あるのね。次回の楽しみにします。
延喜式内名神大社(近江國野洲郡/御上神社)、旧官幣中社、現別表神社です。
令和二日目に参拝しました。国宝の本殿が素晴らしかったです。
お参りしたあと、境内から道路を挟んだ向かい側にある、昭和天皇が即位されたときの悠紀斎田の跡(現在は御上神社の神饌田となっています)を拝しました。
そのあと、御上神社の奥宮の鎮座する三上山山頂へ登拝しました。本格的な登山でした。上りは50分程度下りは40分程度でした。社務所で奥宮への道を尋ねたところ、登山マップをいただき、丁寧に教えていただきました。
なお、オリジナル御朱印帳はゴールデンウイーク前半で在庫分について全て頒布されてしまったそうで、いただけませんでした。ちょっと残念。でもまた今度の宿題とさせていただきます。
感謝です!!拝。
国宝の本殿です。鎌倉時代後期の建立と推定されるとのことです。仏堂的要素が融合した形とのことで、美しい姿です。
悠紀斎田跡と後方に三上山(左が男山/おやま、右が女山/めやま)です。
三上山山頂(男山)のすぐ近くにある奥宮の祠です。
#御上神社
ご祭神はアメノミカゲの神。
#天之御影神 #天目一箇神
古事記では天之御影神、先代旧事本紀では天御陰命。
パンフによればアマツヒコネの神の御子で、別名アメノマヒトツの神。
多度大社はアマツヒコネの命とアメノマヒトツの命を祀り、やはり彼らを親子とするが、パンフやHPにはアメノミカゲの神という神名への言及は無かった。
先代旧事本紀の訳注によれば、アケタツアメノミカゲの命はアマツヒコネの子と新撰姓氏録に書かれているそうだ。僕は原文を見ていない。
ただ、古語拾遺は”あまのいわや”事件でアメノマヒトツの命も活躍したとし、國懸神宮(和歌山県和歌山市)はタマオヤの命やウヅメの命と共にアケタツアメノミカゲの命を祀る。確かに、アメノマヒトツの神は彼の別名と言えそうだ。
先代旧事本紀では、ニギハヤヒの尊が降臨する際、タカミムスビの尊が護衛として共に天下らせた32柱の神々の中に、アメノミカゲの命の名が見える。
かと思えば、ニギハヤヒの尊の別名とされるヒコホアカリの命を祀る籠神社(京都府宮津市)は、ヒコホアカリの命の子孫で、第9代・開化天皇と同時代の神様とする。
古事記にも、アメノミカゲの神の娘・オキナガノミズヨリヒメと、開化天皇の皇子・ヒコイマスの王が結婚したとある。古事記はアメノミカゲの神について、「近江の”御上のはふり”が祀る神」と記す。間違いなくここ御上神社のことだ。
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