いしやまでら|東寺真言宗|石光山
石山寺のお参りの記録一覧
石山寺に拝観致しました。
参道は団体客が沢山居て拝観料の仕組みもよく分からず色々と……。
幸いなことにお寺の方が丁寧に対応して頂き無事にお堂内も観れました。まだ紅葉してませんでした。
今日の三ヶ寺目、隠れ鉄ちゃんというか、まあまあ年のいったお父さんがパシャパシャ撮る電車で着いた石山寺駅。参道が歩道なんですが、広めにとられてて、途中みんなでパチリの場所がたくさんありました。
門前には店がたくさんあり、山門でパチリの人を軽く交わし山内へ。
種類の多い拝観件買うのがややこしいので、一番シンプル(安い)な件で入場。
光る君効果ですか、あんまり興味がないので、そこら辺はスルー。
若い時与謝野晶子訳の源氏物語を読んだのですが、三分の一で脱落。田辺聖子訳も同じくらい、なかなか須磨から先行けなかったのでした。
石山寺といえば4円切手にもなった最古にして最高な多宝塔でしょう。
いやー深い軒、ポキっと折れそうなくらいくびれた胴。宝鎖の張り具合も何もかも完璧!亀腹も組物も相輪も調和が取れていて、いつまで見てても飽きません。
本当に美しい塔。これだけでお腹いっぱい。
納経をすませ。帰路に着きます。
遠目に見えた、如意輪観音様次回会ってくださいね。
ラッピング列車
石山寺に名付け元
どんよりした鉛色の空
と思いきや谷間の真っ直ぐな空
滋賀県大津市の寺社仏閣巡り
石光山 石山寺。
東寺真言宗の大本山で、本尊は秘仏・如意輪観音。
西国三十三所観音霊場 第13番札所。
ーーー後日アップします
御朱印(軸装納経帳)
山門(東大門・重文)
阿形
吽形
参道にはミストシャワー
宝性院
宝輪院
公風園
大黒天堂
手水
大河ドラマ館の列
(私は観ませんでした)
観音堂
毘沙門堂(県指定文化財)
蓮如堂(重文)
御影堂(重文)
珪灰石と多宝塔
本堂(国宝)
紫式部源氏の間
三十八所権現社(重文)
経蔵(重文)
安産の腰掛石(経蔵の床下)
紫式部供養塔(重要美術品)
鐘楼(重文)
多宝塔(国宝)
多宝塔内に快慶作・大日如来坐像(重文)が安置されていたが、雨漏り発生のため大津市歴史博物館に預けられた
多宝塔側から見た境内
めかくし岩(重要美術品)
左:亀谷禅尼供養塔(重文) 右:源頼朝供養塔
若宮
月見亭
心経堂
豊浄殿(宝物館)での「石山寺と紫式部展」
(こちらは観ました)
子育観音
本堂は、長谷寺本堂(国宝)・清水寺本堂(国宝)と同じ懸造り
那須与市地蔵尊
NHK大河「光る君へ」の影響か、西国33所巡礼をしていた頃とは比べ物にならないくらい多くの参拝者が訪れていた。
747年聖武天皇の勅願により東大寺の良弁が創建したと伝わる。
本堂は1078年の火災で焼失し現在のものは1096年の再建。1602年礼堂と相の間は淀殿によって建て替えられた。
本堂に紫式部が参籠し、源氏物語の着想を得たとされる「源氏の間」とよばれる部屋が残る。
本堂は国宝指定されている。
東大門
1190年源頼朝により建立されたとされ、慶長年間(1596年~1615年)淀殿により改築されたもので重文指定されている。
東大門
東大門
東大門
那須与一地蔵堂
鐘楼
源頼朝の寄進と伝わるが鎌倉後期(1275年~1332年)建築で重文指定されている。内部には平安時代鋳造の梵鐘(重文)が釣られている。
鐘楼
多宝塔
1194年源頼朝が平治の乱後、石山寺が平清盛から兄・源義平を匿った事への報恩で寄進したと伝わる。
国宝指定されている。
多宝塔
多宝塔
多宝塔
多宝塔
多宝塔
多宝塔
心経堂
月見亭
1687年再建。
月見亭
月見亭
芭蕉庵(茶室)
若宮
宝篋印塔
亀谷禅尼(源頼朝の姫の乳母)供養塔。室町時代前期(1333年~1392年)建立で重文指定されている。
宝篋印塔(亀谷禅尼供養塔)
宝篋印塔(亀谷禅尼供養塔)
宝篋印塔(亀谷禅尼供養塔)
宝篋印塔(亀谷禅尼供養塔・源頼朝供養塔)
宝篋印塔(源頼朝供養塔)
宝塔(めかくし岩)
紫式部供養塔
芭蕉句碑
経蔵
高床の校倉でかつては国宝・淳祐内供筆聖教などを収蔵した建物であった。慶長年間(1596年~1615年)建築で重文指定されている。
蓮如堂
明治以降蓮如の御影を祀る堂として使用されているが、1602年淀殿により三十八所権現社の拝殿として建築されたもので重文指定されている。
蓮如堂
蓮如堂
三十八所権現社
石山寺の鎮守。神武天皇から天智天皇までの38代の歴代天皇を祀る。1602年淀殿による建築で重文指定されている。
三十八所権現社
三十八所権現社
本堂
本堂
本堂
源氏の間
源氏の間
源氏の間
本堂
本堂
本堂
本堂
御影堂
弘法大師、良弁、淳祐の遺影を安置している。
室町中期(1393年~1466年)の建築で重文指定されている。
御影堂
御影堂
宝篋印塔
観音堂
毘沙門堂
毘沙門堂
毘沙門天(兜跋毘沙門天)
毘沙門堂に祀られている。
平安時代の製作で重文指定されている。
毘沙門天(兜跋毘沙門天)
天智天皇の石切り場
天智天皇の石切り場
柳島
閼伽井屋
閼伽井
閼伽井屋
比良明神影向石
西国三十三 第13番札所です。
時間をずらし行きましたが、大河ドラマの影響で人だらけでした💦
聖武天皇の発願により747年良弁が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのが始まりです。
聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に金メッキを施すために大量の黄金を必要としていました。
良弁に命じて黄金が得られるよう、吉野の金峯山に祈らせました。
良弁の夢に吉野の金剛蔵王が現われ、「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである
(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。
夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てました。
社務所と売店がバラバラで、御朱印帳は売店で頂きました。
奈良東大寺と深いご縁のあるお寺さんです。
聖武天皇は大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金を施すため、大量の黄金を必要とされました。そこで良弁に命じ探させます。夢のお告げで石山の地を訪れ、比良明神の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子の念持仏の金銅の如意輪観音を安置し、草庵を建てます。その2年後、陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めます。良弁の修法が認められたわけですが、如意輪観音が岩山から離れません。そこで、観音さまを覆うようにお堂を建てたのが、石山寺の草創だそうです。
西国三十三所観音霊場 第13番札所
山号:石光山
宗派:東寺真言宗
御本尊:如意輪観世音菩薩
創建:747年(天平19年)
開山:良弁
開基:聖武天皇
青鬼まつり(5月第3日曜日開催)
学僧 朗澄律師(ろうちょうりっし)
(1132〜1209)の遺徳を偲ぶお祭りです。東大門に向かって参拝者を出迎えます。杉の葉で作られた高さ5メートルの像です。
お参りしたのは第3日曜日より少し早いのですが、すでに準備されていました。
【東大門】
"石山詣"という言葉があるくらい、今もお参りに来られる方、多いです。
目を見張る硅灰石。石の上に建てられたお寺さん。お寺の名前の由来になっています。
【本堂】
正堂と礼堂が繋げられた複合建築。斜面に建てられ、礼堂の部分が懸造になっています。
【紫式部源氏の間】
"源氏物語"執筆中の人形(紫式部)が飾られています。
【紫式部供養塔】
傘が三重となっている珍しい塔です。
展望台からの景色
ここで月見をしたのでしょうか?
【東大門】
寺伝では源頼朝によって1190年(建久元年)に建てられたとされています。
自然災害や全山炎上のように兵火に合わずにきたお寺さんの中の一つ石山寺。見所満載です。
2024年4月 関西小旅行初日 2社目。
正法寺岩間寺参拝後にお参り。初参拝。
正法寺は参拝者ばかりでしたが、こちらは駐車場に大型観光バスが何台も停まり盛況。
東大門・仁王像 大きくないですが運慶と息子湛慶作の仁王像は力強く、門もバランスが取れていて見惚れます。
見惚れていて数分眺めている間に、写真撮影2組から頼まれてしまいました。
門抜けて参道進むとチケット販売所へ。チケットを購入するのに10人ほど待ち。
入山のみや本堂拝観、大河ドラマ館拝観等、いろいろなチケットがありましたが、大河ドラマみてないので本堂内陣、豊浄との拝観のセット券を購入し、本堂へ。
国宝の本堂。東大門の観光バス客は大河ドラマ館がメイン観光なのか、それほど多くの参拝客はおらず、厳かな雰囲気。
内陣拝観で本尊を間近に見ることができます。
境内が広く、門前は観光バスの参拝者で溢れていましたが、じっくりまわっている個人の参拝者は多くはなく、1時間半ほど見てまわりました。
東大門
仁王像
毘沙門堂(重要文化財)
本堂
多宝塔(国宝)
新経堂 平成2年築
宝筐院塔(重要文化財) 右 源頼朝供養塔 左 亀谷禅尼供養塔
龍蔵権現社
観音堂
ご本堂は、国の天然記念物"硅灰石(けいかいせき)"という巨大な岩盤の上に建っていて、これがお寺の名前の由来になっています。😯一度お参りすると忘れられません。
平安時代貴族や女流文学者の間で"石山詣"が盛んでした。紫式部もここで"源氏物語"の着想を得たといわれています。大河ドラマ"光る君へ"の影響と桜の名所というこてで、人で溢れかえっていました。
西国三十三所観音霊場 第13番札所
山号:石光山
宗派:東寺真言宗
御本尊:如意輪観世音菩薩
創建:747年(天平19年)
【東大門】(重要文化財)
1190年(建久元年)源頼朝の寄進による創建。
参道
【蓮如堂】
拝観入口
【源氏の間】
【ご本堂】(国宝)
ご本堂横階段上がったところから見た本堂
階段を上ると多宝塔
さらに上から眺めた景色
【鐘楼】
硅灰石の岩盤の上に建っています。
【多宝塔】(国宝)
硅灰石(国の天然記念物)
硅灰石
【御影堂】
【大黒堂】
2020年(令和2年)〜2022年(令和4年)いただいた御朱印です。
紫式部ゆかりの寺、大河ドラマ「光る君へ」の大河ドラマ館が併設されており観に行きました。
まず参拝前に腹ごしらえ
叶匠寿庵 石山寺店で石餅を頂きました
受付でチケットを買いいざ参拝
結構急な階段を登り本殿へ
紫式部人形が飾ってありました
後で知ったことですが、この紫式部人形がちょうどクラウドファンディングで修繕され、戻ってきたのが参拝した日でした
本殿へお参りした後御朱印を頂きました
御朱印帳を持っていくのを忘れたので、書き置きを頂きました
境内の長椅子で休憩していたところ
急になにかが頭の上に落ちてきてびっくりすると
結構大きめの杉の木の枝が落ちてきたようでした
神木と書かれた杉の木が近くにあったのでその木から落ちたようです
参拝後大河ドラマ館へ
あっけないほどこじんまりとした展示でした
同時開催の「恋するもののあはれ展」も観ました
お土産物屋には「光る君へ」コラボの商品が多く取り揃えられていました
叶匠寿庵 石山寺店の石餅
石山寺
大河ドラマ館
ゆるきゃらにも遭遇
恋するもののあはれ展
滋賀県大津市にある東寺真言宗の大本山の寺院で、西国三十三所第13番札所。大きな岩盤の上に本堂が建っていることから、石山寺となったとのことです。
戦国時代に戦火に合わなかったため、国宝や重要文化財の建造物が多く存在していました。
本堂(国宝):内陣は1096年に再建、外陣は1602年に淀殿の寄進により増築
多宝塔(国宝):源頼朝の寄進により建立と伝わっています
東大門(重要文化財)
岩の上に建つ本堂
硅灰石(天然記念物)
月見亭:平安時代に後白河上皇が行幸の際に建てられ、現存する建物は江戸時代前期に再建
御影堂(重要文化財):室町時代に建立されたものと推測されています
鐘楼(重要文化財):源頼朝の寄進により建立されたと伝わっています
三十八所権現社(重要文化財):1602年建立
毘沙門堂:江戸時代中期の建物
観音堂:江戸時代中期の建物
西国三十三霊場巡りで 滋賀県大津市の石山寺にお参りしました。
石間寺からそんなに遠くない所にあります。
瀬田川に面した 山の麓にある 広いお寺でした。
大河ドラマの影響もあり 有料駐車場ではあるものの とても混んでいました。
山門までの道にはお土産屋さんがいくつも並び 観光寺そのものです。
仁王門は東大門と呼ばれ 源頼朝によって建久元年(1190年)に建立されたとされます。
慶長年間(1596年 - 1615年)には 淀殿によって新築に近い大幅な修理がなされたと考えられているそうです。
東大門をくぐって境内に入るのですが それはそれは境内が広いこと。
塔頭もありますが とりあえず本堂を目指して。。。いやいや いろいろとお堂があって なかなかたどり着きません。
きれいなお庭もありますし 建物がとても古そうなお堂もあります。
こちらの投稿では 階段を上がって本堂。。。までの境内の様子を紹介させていただき パート2でお堂や梅林などを紹介させていただきます。
約950年前から安置されているという寶印大黒天のお堂がありました。
苔がきれいなお庭でした。
お堂の中には 拝受品がたくさん置かれています。
いちばん楽しかったのはくぐり岩。
大理石でできているそうで 実際にくぐってみたら狭いこと。頭をぶつけました。
目の前にある池は 天平時代からあるそうです。
本堂に続く階段の手前にお地蔵様がありました。
那須与一地蔵堂で あの源平合戦でその名を広めた 那須与一が信仰するお地蔵様だそうです。
那須与一は合戦の後 東山にある泉涌寺塔頭の即成院にもお参りしています。
そして出家もされています。
有名人はいろいろな所に出没しますね。
その先には水車がありました。
さらに奥に進むと 天狗杉という杉の大木があります。
石山寺屈指の学僧が 死後は鬼となって経典聖教を守ると誓って亡くなられたそうで この天狗杉の上に現れたと伝わるそうです。
さらに 岩に注連縄がかけられていました。
天智天皇の石切場と書かれていました。
石山寺で切り出した石を 奈良の川原寺で礎石として使ったそうです。
さらに奥には 無憂園と呼ばれるお庭があります。
時期ではないのですが 菖蒲が植えられているようでした。
続きはパート2で
境内案内図
東大門(仁王門)
石柱
ずいぶん古いもののようです
東大門の由縁
石山寺由縁
公風園 白耳亭
きれいな庭 桜でしょうか
牛車があります
拾翠園 物産館になっています
もともとはお庭を楽しむための建物でしょうか
大黒天堂
寶印大黒天 約950年前の安置とあります
拝受品がたくさんあります
大黒天についての説明
内陣
苔がきれいに
ここから有料ゾーン
くぐり岩 総大理石です
入口はこんな感じ
ここを通って
右から入って左に出ました 手前は天平時代からある池
手水は龍
手水舎
那須与一地蔵堂 那須与一が信仰していた地蔵尊を祀る
水車
水車の由来
閼伽井屋
閼伽井屋の池
天狗杉の由来
天狗杉
石切場
石切場の由来
観音霊場の石碑 観音様はおられないようでした
無憂園 と書かれた盤木
おそらく菖蒲
西国三十三霊場巡り 石山寺パート2です。
すみません あまりに嬉しすぎて写真をばしばし撮っていたら 90枚ほどになってしまいましたので パート1とパート2に分けさせていただきます。
こちらは 本堂に向かう階段を上がったところからです。
西国三十三所霊場には 全部の尊像を安置しています。
毘沙門堂 蓮如堂 古い建物が並びます。
本堂手前には ごつごつした岩があります。
これは石山寺硅灰石といい 国の天然記念物に指定されています。
石山寺の名の由来となった岩だそうで 石灰岩が変成してできた珪灰石です。
世界的にも珍しく 日本の地質百選に選ばれています。
そして左てには本堂があります。
本堂横には紫式部源氏の間という部屋があります。
この間に参籠して 源氏物語の「須磨明石」の二帖を書いたようです。
本堂内部の撮影はできませんでしたので 外から撮らせていただきました。
本堂裏手には経堂があり 校倉造になっています。
堂の下に安産の腰掛石がありました。座布団が置いてあるのにはユーモアを感じました。
さらに奥には多宝塔があり その横には若宮も鎮座されています。
そしてさらに奥には 花山法皇西国三十三所復興一千年記念で建てられた 心経堂があります。
最も奥の部分には 光堂があります。
これは石山を発祥の地とする東レによって寄進されたそうです。
ぐるっと回ると 紫式部像があり 回りはきれいな梅林になっていました。
梅林を通って山を下りる途中 鐘楼があります。
梅林はいくつかあり 一つは普賢院跡と書かれていました。
ぐるっと下りてきた先に 弘法大師の御影堂がありました。
いやはや見どころ満載すぎです。
階段を上ったところからここまで 軽く1時間はかかりました。
梅が美しい季節ということもあり 参拝者はとても多かったです。
この階段の先に 本堂などがあります
龍蔵権現社
広がる伽藍
西国三十三所霊場 全部の尊像を安置している
毘沙門堂
蓮如堂
由来
梅の盆栽
岩がきれいに
石山寺硅灰石
国の天然記念物に指定されています
梅がきれいです
盆栽はたくさんあります
本堂へ続く階段
本堂由来
本堂
紫式部源氏の間
こんな狭い部屋で執筆されたのですね
本堂内陣は撮影できません
由来
さりげなく 内陣を少し撮ってみた
経堂
由来
安産の腰掛石
多宝塔
多宝塔ご本尊 大日如来坐像について
多宝塔由来
若宮社
由来
多宝塔裏側
心経堂
由来
豊浄殿
梅林
光堂
紫式部像
紅梅もきれい
第2梅林だったと思う
月見亭
普賢院跡
由来
第1梅園 だったと思う
鐘楼
御影堂
由来
本堂裏手
帰りに寄ったお蕎麦屋さん
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