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いしやまでら|東寺真言宗石光山

石山寺
滋賀県 石山寺駅

参拝時間8:00〜16:30(最終入山16:00)
本堂拝観9:00〜16:00
拾翠園10:00〜15:30

御朱印 (2種類)

石山寺の御朱印は2種類あります。

  • 大伽藍の御朱印
  • 御詠歌の御朱印

大伽藍の御朱印

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313
御朱印について御朱印
あり
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あり
御朱印帳
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駐車場
あり

有料駐車場あり(600円)(140台駐車可)

石山寺について

紫式部ゆかりの寺


西国三十三カ所第十三番 札所


びわ湖108霊場

おすすめの投稿

to_sun
to_sun
2025年12月02日(火) 01時07分19秒
638投稿

【石光山(せっこうざん)石山寺(いしやまでら)】
本尊:如意輪観世音菩薩
宗派:東寺真言宗
開基:聖武天皇

~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第32番~

 石山寺は、滋賀県大津市石山寺、瀬田川のほとりに位置します。749(天平勝宝元)年、良弁(ろうべん)が、第45代 聖武天皇(在位:724-749)の勅願により開創された寺院です。聖武天皇が東大寺の大仏を鋳造しようとしたとき、大仏に使う黄金が足りませんでした。夢告げをうけた良弁は、近江国の石山に来て如意輪観音を巌の上に安置して祈願したところ、遠く陸奥国から金鉱脈が発見されたといいます。このとき、良弁がつくった草庵が石山寺になったといわれています。そのため、当初の石山寺は東大寺末寺の華厳宗でしたが、現在は、東寺真言宗の大本山になっています。
 
~『百寺巡礼 第四巻 滋賀・東海』五木寛之(講談社、2004)~

 西国三十三所観音霊場(第13番札所)で参拝。

石山寺(滋賀県)

【多宝塔】
 国宝。日本三大多宝塔のひとつ。石山寺(滋賀県)、高野山金剛三昧院(和歌山県)、浄土寺(広島県)。

石山寺(滋賀県)

【東大門】
 国の重要文化財。

石山寺(滋賀県)

【仁王 阿形像】

石山寺(滋賀県)

【仁王 吽形像】

石山寺(滋賀県)

【参道】

石山寺(滋賀県)

【拾翠園】

石山寺(滋賀県)

【公風園】

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

【大黒天】

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

【手水舎】

石山寺(滋賀県)

【手水舎の龍】

石山寺(滋賀県)

【那須与一地蔵尊】

石山寺(滋賀県)

【龍蔵権現社】

石山寺(滋賀県)

【多宝塔・硅灰石】

石山寺(滋賀県)

【多宝塔】

石山寺(滋賀県)

【観音堂】

石山寺(滋賀県)

【毘沙門堂】

石山寺(滋賀県)

【御影堂・宝篋印塔】
 国の重要文化財。

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

【蓮如堂】
 国の重要文化財。

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

【本堂】
 国宝。

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

【源氏の間】
 ~紫式部は石山寺に参籠しているときに、「源氏物語」の構想をえて、須磨・明石の巻を書いた、と伝えられている。折しも、八月十五日の満月が琵琶湖に映えて、それを見たのがきっかけだったという。~

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

【三十八所権現社】
 国の重要文化財。

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

【三十八所権現社 鳥居】

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

【御影堂】

石山寺(滋賀県)

【鐘楼】
 国の重要文化財。

石山寺(滋賀県)

【多宝塔】
 ~以前、高野山金剛峯寺へ行ったときに、金剛三昧院でよく似た多宝塔を見たのを思い出した。聞いてみると、石山寺の多宝塔は源頼朝が、高野山の多宝塔は北条政子が寄進した、と伝えられているという。夫婦がそれぞれの塔の施主だというので、石山寺の塔は「雄塔」、高野山の塔は「雌塔」とも呼ばれているらしい。~

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

【月見亭】

石山寺(滋賀県)

【光堂】

石山寺(滋賀県)

【紫式部像】

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

【八大竜王】

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺の御朱印

【御朱印】

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年04月02日(火) 22時03分44秒
2980投稿

西国三十三霊場巡りで 滋賀県大津市の石山寺にお参りしました。
石間寺からそんなに遠くない所にあります。
瀬田川に面した 山の麓にある 広いお寺でした。
大河ドラマの影響もあり 有料駐車場ではあるものの とても混んでいました。
山門までの道にはお土産屋さんがいくつも並び 観光寺そのものです。

仁王門は東大門と呼ばれ 源頼朝によって建久元年(1190年)に建立されたとされます。
慶長年間(1596年 - 1615年)には 淀殿によって新築に近い大幅な修理がなされたと考えられているそうです。
東大門をくぐって境内に入るのですが それはそれは境内が広いこと。
塔頭もありますが とりあえず本堂を目指して。。。いやいや いろいろとお堂があって なかなかたどり着きません。
きれいなお庭もありますし 建物がとても古そうなお堂もあります。
こちらの投稿では 階段を上がって本堂。。。までの境内の様子を紹介させていただき パート2でお堂や梅林などを紹介させていただきます。

約950年前から安置されているという寶印大黒天のお堂がありました。
苔がきれいなお庭でした。
お堂の中には 拝受品がたくさん置かれています。
いちばん楽しかったのはくぐり岩。
大理石でできているそうで 実際にくぐってみたら狭いこと。頭をぶつけました。
目の前にある池は 天平時代からあるそうです。
本堂に続く階段の手前にお地蔵様がありました。
那須与一地蔵堂で あの源平合戦でその名を広めた 那須与一が信仰するお地蔵様だそうです。
那須与一は合戦の後 東山にある泉涌寺塔頭の即成院にもお参りしています。
そして出家もされています。
有名人はいろいろな所に出没しますね。
その先には水車がありました。
さらに奥に進むと 天狗杉という杉の大木があります。
石山寺屈指の学僧が 死後は鬼となって経典聖教を守ると誓って亡くなられたそうで この天狗杉の上に現れたと伝わるそうです。
さらに 岩に注連縄がかけられていました。
天智天皇の石切場と書かれていました。
石山寺で切り出した石を 奈良の川原寺で礎石として使ったそうです。
さらに奥には 無憂園と呼ばれるお庭があります。
時期ではないのですが 菖蒲が植えられているようでした。

続きはパート2で

石山寺(滋賀県)

境内案内図

石山寺(滋賀県)

東大門(仁王門)

石山寺(滋賀県)

石柱

石山寺(滋賀県)

ずいぶん古いもののようです

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

東大門の由縁

石山寺(滋賀県)

石山寺由縁

石山寺(滋賀県)

公風園 白耳亭

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

きれいな庭 桜でしょうか

石山寺(滋賀県)

牛車があります

石山寺(滋賀県)

拾翠園 物産館になっています

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

もともとはお庭を楽しむための建物でしょうか

石山寺(滋賀県)

大黒天堂

石山寺(滋賀県)

寶印大黒天 約950年前の安置とあります

石山寺(滋賀県)

拝受品がたくさんあります

石山寺(滋賀県)

大黒天についての説明

石山寺(滋賀県)

内陣

石山寺(滋賀県)

苔がきれいに

石山寺(滋賀県)

ここから有料ゾーン

石山寺(滋賀県)

くぐり岩 総大理石です

石山寺(滋賀県)

入口はこんな感じ

石山寺(滋賀県)

ここを通って

石山寺(滋賀県)

右から入って左に出ました 手前は天平時代からある池

石山寺(滋賀県)

手水は龍

石山寺(滋賀県)

手水舎

石山寺(滋賀県)

那須与一地蔵堂 那須与一が信仰していた地蔵尊を祀る

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

水車

石山寺(滋賀県)

水車の由来

石山寺(滋賀県)

閼伽井屋

石山寺(滋賀県)

閼伽井屋の池

石山寺(滋賀県)

天狗杉の由来

石山寺(滋賀県)

天狗杉

石山寺(滋賀県)

石切場

石山寺(滋賀県)

石切場の由来

石山寺(滋賀県)

観音霊場の石碑 観音様はおられないようでした

石山寺(滋賀県)

無憂園 と書かれた盤木

石山寺(滋賀県)

おそらく菖蒲

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歴史

石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。
『石山寺縁起絵巻』によれば[2]、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峰山に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神(≒白鬚明神)の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。そして程なく(実際にはその2年後に)陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は霊験あらたかなること立証できたわけだが、如意輪観音像がどうしたことか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。(その他資料としては『元亨釈書』[3] や、後代だが宝永2年(1705年)の白鬚大明神縁起絵巻がある[4]。)
その後、天平宝字5年(761年)から造石山寺所という役所のもとで堂宇の拡張、伽藍の整備が行われた。正倉院文書によれば、造東大寺司(東大寺造営のための役所)からも仏師などの職員が派遣されたことが知られ、石山寺の造営は国家的事業として進められていた。これには、淳仁天皇と孝謙上皇が造営した保良宮が石山寺の近くにあったことも関係していると言われる。本尊の塑造如意輪観音像と脇侍の金剛蔵王像、執金剛神像は、天平宝字5年(761年)から翌年にかけて制作され、本尊の胎内に聖徳太子念持仏の6寸如意輪観音像を納めたという。
以降、平安時代前期にかけての寺史はあまりはっきりしていないが、寺伝によれば、聖宝、観賢などの当時高名な僧が座主(ざす、「住職」とほぼ同義)として入寺している。聖宝と観賢はいずれも醍醐寺関係の僧である。石山寺と醍醐寺は地理的にも近く、この頃から石山寺の密教化が進んだものと思われる。
石山寺の中興の祖と言われるのが、菅原道真の孫の第3世座主・淳祐(890-953)である。内供とは内供奉十禅師(ないくぶじゅうぜんじ)の略称で、天皇の傍にいて、常に玉体を加持する僧の称号で、高僧でありながら、諸職を固辞していた淳祐がこの内供を称され、「石山内供」「普賢院内供」とも呼ばれている。その理由は淳祐は体が不自由で、正式の坐法で坐ることができなかったことから、学業に精励し、膨大な著述を残している。彼の自筆本は今も石山寺に多数残存し、「匂いの聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれ、一括して国宝に指定されている。このころ、石山詣が宮廷の官女の間で盛んとなり、「蜻蛉日記」や「更級日記」にも描写されている。
現在の本堂は永長元年(1096年)の再建。東大門、多宝塔は鎌倉時代初期、源頼朝の寄進により建てられたものとされ、この頃には現在見るような寺観が整ったと思われる。石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書などの貴重な文化財を多数伝存している。

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石山寺の基本情報

住所

滋賀県大津市石山寺1-1-1

行き方

京阪電気鉄道石山坂本線「石山寺」駅より徒歩10分
JR西日本琵琶湖線「石山」駅より京阪バス「石山寺山門前」下車
信楽高原バス「京阪石山寺」より徒歩10分

アクセスを詳しく見る
名称

石山寺

読み方

いしやまでら

参拝時間

参拝時間8:00〜16:30(最終入山16:00)
本堂拝観9:00〜16:00
拾翠園10:00〜15:30

参拝料

入山料:大人600円、小学生250円、本堂内陣:大人500円、小学生250円、拾翠園500円

御朱印あり
限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号077-537-0013
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.ishiyamadera.or.jp/
絵馬

あり

SNS

巡礼の詳細情報

春の京阪・御朱印めぐり2021

近江西国三十三箇所

第3番

仏さま:如意輪観世音菩薩

御詠歌:

願へ人 石山寺の かねてより せたの長橋 深き世のため

神仏霊場巡拝の道

西国三十三所霊場

数珠巡礼

第66番

びわ湖百八霊場

第1番

仏さま:二臂如意輪観世音菩薩

近江湖西二十七名刹霊場

第1番

仏さま:二臂如意輪観世音菩薩

詳細情報

ご本尊如意輪観音
山号

石光山

宗旨・宗派東寺真言宗
創建時代

天平十九年(747年)

開山・開基

良弁僧正

文化財

本堂、多宝塔(国宝)
東大門、御影堂、蓮如堂、三十八所権現社、経蔵、鐘楼、亀谷禅尼供養塔、如意輪観世音菩薩、本尊胎内仏、金剛蔵王立像心木、如意輪観音跏像、石山寺縁起絵巻全七巻、源氏物語巻末摘花(国指定重要文化財)
毘沙門堂(県指定有形文化財)
紫式部供養塔(重要美術品)
硅灰石(天然記念物)

ご由緒

石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。
『石山寺縁起絵巻』によれば[2]、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峰山に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神(≒白鬚明神)の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。そして程なく(実際にはその2年後に)陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は霊験あらたかなること立証できたわけだが、如意輪観音像がどうしたことか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。(その他資料としては『元亨釈書』[3] や、後代だが宝永2年(1705年)の白鬚大明神縁起絵巻がある[4]。)
その後、天平宝字5年(761年)から造石山寺所という役所のもとで堂宇の拡張、伽藍の整備が行われた。正倉院文書によれば、造東大寺司(東大寺造営のための役所)からも仏師などの職員が派遣されたことが知られ、石山寺の造営は国家的事業として進められていた。これには、淳仁天皇と孝謙上皇が造営した保良宮が石山寺の近くにあったことも関係していると言われる。本尊の塑造如意輪観音像と脇侍の金剛蔵王像、執金剛神像は、天平宝字5年(761年)から翌年にかけて制作され、本尊の胎内に聖徳太子念持仏の6寸如意輪観音像を納めたという。
以降、平安時代前期にかけての寺史はあまりはっきりしていないが、寺伝によれば、聖宝、観賢などの当時高名な僧が座主(ざす、「住職」とほぼ同義)として入寺している。聖宝と観賢はいずれも醍醐寺関係の僧である。石山寺と醍醐寺は地理的にも近く、この頃から石山寺の密教化が進んだものと思われる。
石山寺の中興の祖と言われるのが、菅原道真の孫の第3世座主・淳祐(890-953)である。内供とは内供奉十禅師(ないくぶじゅうぜんじ)の略称で、天皇の傍にいて、常に玉体を加持する僧の称号で、高僧でありながら、諸職を固辞していた淳祐がこの内供を称され、「石山内供」「普賢院内供」とも呼ばれている。その理由は淳祐は体が不自由で、正式の坐法で坐ることができなかったことから、学業に精励し、膨大な著述を残している。彼の自筆本は今も石山寺に多数残存し、「匂いの聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれ、一括して国宝に指定されている。このころ、石山詣が宮廷の官女の間で盛んとなり、「蜻蛉日記」や「更級日記」にも描写されている。
現在の本堂は永長元年(1096年)の再建。東大門、多宝塔は鎌倉時代初期、源頼朝の寄進により建てられたものとされ、この頃には現在見るような寺観が整ったと思われる。石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書などの貴重な文化財を多数伝存している。

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