しょうぼうじ|真言宗智山派|巌殿山
正法寺埼玉県 高坂駅
夏期:8:30-17:00
冬期:8:30-16:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 表参道:仁王門脇に無料駐車場あり
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坂東三十三霊場 坂東十番札所 岩殿山正法寺参拝🙏
お寺用の御朱印帳がいっぱいになり、せっかくなので坂東三十三観音専用の御朱印帳をいただきました。
岩殿観音が発願寺になりましたが、こちらは遠い昔学生の頃に参拝したことがあり、
ご住職も親切にお話ししてくれ、良いご縁になりました🙏
桜舞い散る境内
地面も花びらでピンクになってました。
仁王門
仁王門から見る門前通り
本堂の阿弥陀如来
良い天気( ^ω^ )
薬師堂
地蔵堂
観音堂前の鐘楼
古い狛犬さん
歴史を、感じます^o^
岩壁には石仏
四国八十八ヶ所、日本百観音の写し本尊
観音堂
本尊 千手観音
大銀杏
樹齢700年
正法寺(しょうほうじ)は、埼玉県東松山市にある真言宗智山派の寺院。山号は巌殿山(いわどのさん)。本尊は千手観世音菩薩。通称は「岩殿観音」。坂東三十三所観音札所10番。なお、第9番慈光寺、第11番安楽寺とともに「比企三山」とも言われる。
創建は奈良時代初期の718年、沙門逸海が物見山の岩窟に千手観音を納め「正法庵」と称したのが始まり。奥州討伐に向かう坂上田村麻呂が村人に悪龍退治を頼まれ、観音に祈願し悪龍を退治したという伝説が残る。鎌倉時代には北条政子の守り本尊として、源頼朝の命により比企能員が再興し、室町時代には隆盛を築いた。その後廃れたが、安土桃山時代の1574年に栄俊が再興し、中興開山となった。江戸時代には徳川家康から寺領25石の朱印地を下賜され、坂東巡礼が流行すると門前町が大いに栄えた。
当寺は、東武東上線・高坂駅の西方3kmほどの小山(物見山)の中腹にある。東京からクルマだと、関越自動車道・坂戸西スマートICから県道212号線などを経由し北北西に14kmほど。門前町から一段上がったところに山門や寺務所があって、さらに一段上がった崖を切り崩したようなところに観音堂や鐘楼といった諸堂がある。自然に囲まれてはいるが、そばに県道212号線が通り、大学キャンパスがあったりゴルフ場があったりと開発が進んでいるので、山寺の雰囲気はない。特に境内の上部の県道沿いに物見山公園があって、そこから下って境内に入ることができるので交通の便が良く、気軽に立ち寄ることができる。
参拝時は週末の午後で、数組の家族連れなどが参拝に来ていた。
門前町から階段を登って来ると<仁王門>。かつて運慶作の仁王像があったが江戸時代に焼失し、文化年間(1808年~1814年)の再建。現在の仁王像は平成の解体修理時に漆を塗り直し、漆保護のため紫外線カットガラスに覆われているとのこと。ガラス張りの方が見やすい。
仁王門をくぐると、上の段の境内まで一直線に階段が伸びている。
階段を登り切った右手方向にある、江戸時代中期1702年に建てられた<鐘楼>。茅葺、寄棟造。銅鐘は1332年の銘があり、1590年の豊臣秀吉による関東征伐の際に、大道寺入道政繁がこの金を引きずり回して打ち鳴らし軍勢を鼓舞したと言われ、その時についた傷が残っているとのこと。
鐘楼の位置からの<門前町>の眺め。
階段を登り切った左手方向を望む。この方向に<観音堂>、<薬師堂>、<百地蔵堂>がある。
<観音堂>をはじめとする建物が立つエリアの入口。参道の突き当りが<観音堂>。
参道の左側にある<水屋>。
参道の右側にある<百地蔵堂>。弘法大師空海の作と伝わる地蔵菩薩をはじめ、百の地蔵が祀られている。
少し進んで参道の右側にある<薬師堂>。薬師如来と十二神将のほか、1887年信州善光寺三尊阿弥陀如来が分身安置された阿弥陀如来が祀られている
観音堂は一段高い場所にある。
観音堂正面。無数に張られた千社札と、古そうな無塗装の彫刻が目を引く。
観音堂全景。建物は1879年に他の場所から移築されたもの。江戸時代後期のものと推測されている。
観音堂の右手にある<絵馬堂>(かな?)。
観音堂の右手、絵馬堂の後ろには、たくさんの石造が並ぶ。西国・坂東・秩父の百観音と四国八十八所の写し本尊で、巡礼と同じ御利益があるとのこと。
観音堂入口の、観音堂を見つめる位置に立つ<水子地蔵像>。
水子地蔵像の右隣に立つ<弘法大師空海像>。
観音堂に向かって左方向の数十m離れた場所にある<大イチョウ>。かなりの巨木で、樹齢700年、幹回り11mとのこと。
何よりも強烈だったのは、<大イチョウ>の根元。力強い生命の息吹を感じざるを得ない。江戸時代には<養老木>と呼ばれ、多くの女性に安産子育守護の対象として信仰されたとのこと。
仁王門のところまで戻り、仁王門くぐって右側にある、下の境内の入口。
門をくぐると、正面に<本堂>。阿弥陀如来を祀っている。
本堂の右手にある<納経所>。御朱印はこちら。
真言宗智山派の寺院で、岩殿山修善院といい、また、岩殿寺ともいう。
源頼朝の命により、比企能員が復興した古刹であり、天正二年(1574)僧栄俊が中興開山となっている。天正十九年(1591)徳川家康より寺領二五石の朱印地を与えられた。
観音堂は養老年間(717〜724)僧逸海の創立と伝えられ、正法庵と称し、鎌倉時代に坂東十年の札所となった。千手観音が祀られており、西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番とセットされる札所の一つ。源頼朝の妻、政子の守本尊として信仰が厚かったといわれている。仁王門の仁王は運慶の作といわれている。
当寺には、延暦十年(791)坂上田村麻呂が桓武天皇の勅命によって奥州征伐に向かう途中、この観音堂に通夜し悪龍を退治した伝説がある。
なお、正法寺には、県指定史跡の六面幢、県指定歴史資料の銅鐘、市指定歴史資料の鐘楼がある。
住所 | 埼玉県東松山市岩殿1229 |
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行き方 | 表参道:東武東上線「高坂駅」より川越観光バス「物見山登山口バス停」下車、徒歩18分
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名称 | 正法寺 |
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読み方 | しょうぼうじ |
通称 | 岩殿観音 |
参拝時間 | 夏期:8:30-17:00
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参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0493-34-4156 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://iwadonosan-shoboji.org/ |
SNS |
坂東三十三観音 |
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ご本尊 | 阿弥陀如来立像 |
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山号 | 巌殿山 |
院号 | 修善院・寳光院 |
宗旨・宗派 | 真言宗智山派 |
創建時代 | 養老二年(718) |
開山・開基 | 逸海上人 |
文化財 | 六面幢、銅鐘、(県指定文化財)
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ご由緒 | 真言宗智山派の寺院で、岩殿山修善院といい、また、岩殿寺ともいう。
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体験 | 写経・写仏祈祷七五三武将・サムライ札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 正法寺(しょうぼうじ)は、埼玉県東松山市にある真言宗智山派の寺院である。山号は巌殿山。坂東三十三観音の十番札所である。一般には岩殿観音の通称で知られる。 本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか ご詠歌:後の世の道を比企見の観世音 この世を共に助け給へや |
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歴史 | 歴史[編集] 寺伝によれば養老年間に、沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し[1]、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した[2]。頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。天正2年(1574年)に栄俊が中興開山となる。天正19年(1591年)に、徳川家康から寺領二十五石の朱印地を与えられる。 ^ 巖殿山千手觀世音菩薩來由略記(柴田常恵 & 稲村坦元 1929, pp. 278–280) ^ 正法寺にほど近い伝足利基氏館跡付近に比企能員の屋敷があったという指摘もある。(齋藤慎一 2006) |
アクセス | 交通アクセス[編集] 鉄道・バス 高坂駅(東武東上本線)西へ約3.2km 高坂駅西口2番バス乗り場から、川越観光バス TA01系統、TA02系統、TA03系統(「鳩山ニュータウン」ゆき)7分 「大東文化大学」バス停下車徒歩3分 参道を歩くには、上記のバスで物見山登山口バス停下車、こども動物公園前信号を右折、800m先を左折し、長く緩やかな坂道の参道を進むと仁王門に真っすぐに突き当たる。 自動車 関越自動車道 東松山ICから約6km 関越自動車道 鶴ヶ島ICから約9km 国道407号「宮鼻」交差点から埼玉県道212号岩殿観音南戸守線で約4km |
引用元情報 | 「正法寺 (東松山市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AD%A3%E6%B3%95%E5%AF%BA%20%28%E6%9D%B1%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E5%B8%82%29&oldid=99781898 |
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