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しょうぼうじ|真言宗智山派巌殿山

正法寺の御由緒・歴史
埼玉県 高坂駅

ご本尊阿弥陀如来立像
創建時代養老二年(718)
開山・開基逸海上人
ご由緒

真言宗智山派の寺院で、岩殿山修善院といい、また、岩殿寺ともいう。
源頼朝の命により、比企能員が復興した古刹であり、天正二年(1574)僧栄俊が中興開山となっている。天正十九年(1591)徳川家康より寺領二五石の朱印地を与えられた。
観音堂は養老年間(717〜724)僧逸海の創立と伝えられ、正法庵と称し、鎌倉時代に坂東十年の札所となった。千手観音が祀られており、西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番とセットされる札所の一つ。源頼朝の妻、政子の守本尊として信仰が厚かったといわれている。仁王門の仁王は運慶の作といわれている。
当寺には、延暦十年(791)坂上田村麻呂が桓武天皇の勅命によって奥州征伐に向かう途中、この観音堂に通夜し悪龍を退治した伝説がある。
なお、正法寺には、県指定史跡の六面幢、県指定歴史資料の銅鐘、市指定歴史資料の鐘楼がある。

歴史
歴史[編集] 寺伝によれば養老年間に、沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し[1]、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した[2]。頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。天正2年(1574年)に栄俊が中興開山となる。天正19年(1591年)に、徳川家康から寺領二十五石の朱印地を与えられる。 ^ 巖殿山千手觀世音菩薩來由略記(柴田常恵 & 稲村坦元 1929, pp. 278–280) ^ 正法寺にほど近い伝足利基氏館跡付近に比企能員の屋敷があったという指摘もある。(齋藤慎一 2006)
引用元情報正法寺 (東松山市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AD%A3%E6%B3%95%E5%AF%BA%20%28%E6%9D%B1%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E5%B8%82%29&oldid=99045220

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