真言宗・智山派
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歓喜寺・岩井堂観音について
飯能市の名所・浅草観音さまの生誕地という岩井堂観音さまの、
その右側にあるのが63番を安置する大師堂。
開創当時、石仏は露座だったが
昭和36年10月、篤信家さまによりこの大師堂が寄進されたとか。
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此処へ来るとき、檀家さん家御朱印所寄った時、
ブザー押しても誰も出て来ないので、
岩井観音さまの奥多摩八十八ヶ所の札所へ
御祈りに行きました。
階段のところで男性が上がって来ました。
ちょうど、わたしは、御稲荷さん手を合わせ、階段した降りて行くとき
観音さま参拝された男性すれ違い、久々嬉しくなった。
浅草寺のおおもとなので、沢山参拝して欲しい。
観音さまと岩場に造られた、奥多摩八十八ヶ所大師堂へ御祈り。
この御朱印所の御宅は、檀家総代でなく檀家だそう。
檀家総代さんは別にあるような。
また、観音さまの岩を視て青梅市方面へ。
御朱印、檀家さんの家で頂きます。
御稲荷さん、初回は挨拶して無かった。
此処は一枚板の岩盤だそう。
川沿いの崖側に観音堂あり。
観音堂隣に大師堂あり。
新四国奥多摩八十八箇所第63番札所は、浅草の観音さまの伝説の発祥地の隣。
岩井堂入口、階段おります。
観音堂手前で、個人宅の御朱印管理人さまで前もって戴けました。
道路沿いなので判りやすい。
此処が、“台東区浅草寺”の観音さまおおもと。
岩場。下は崖。崖うえのポニョならぬ、崖のうえ観音さま。
此処は、観音さまでなく、奥多摩八十八箇所札所。
扉開きませんが覗き込むと、奥多摩八十八箇所のお大師さまがいらっしゃる。
こういう感じなので気を付けて行きませう。
観音堂さまの瀬中に小さい佛さまいらっしゃる。
観音堂は川に向いていらっしゃる。川から落ちないように。
元旦は午前九時から御開帳されるそうな。初詣にどうぞ。沢山くると道路並ぶのか。直ぐ密になる。
此処が観音堂扉。なか覗くと小さい観音様いらっしゃる。
奥多摩八十八箇所の札所の案内されていらっしゃる。
浅草観音 生誕地 岩井堂縁起。
下は、荒川隅田川につながる。
道路から観た、岩井堂。
岩井堂過ぎたら直ぐ東京都青梅市。
歴史
継体天皇の時代、西暦507〜531頃の話。一人の旅の僧が当地に堂を起こし観音像を安置した。安閑天皇の時代、西暦531〜536年頃に大暴風雨が起こり堂が押し流され、尊像とともに崖下の激流に流され、行方不明になってしまった。それから100年の後の西暦628年頃、宮戸川(隅田川の古称)の浅草浦付近で漁をしていた桧熊浜成ヒノクマハマナリ・竹成タケナリ兄弟の網に1寸8分(5.5cm)の大きさの金色に輝く仏像が掛かった。兄弟は土地の識者であった土師真ハジマ仲知ナカチに相談し、その薦めに従い堂を設け像を安置した。これが東京浅草の金竜山浅草寺の起こりと伝えられる。
名称 | 歓喜寺・岩井堂観音 |
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通称 | 岩井堂観音 |
参拝にかかる時間 | 15分 |
トイレ | 無し |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
ホームページ | https://840.gnpp.jp/sensojikan-non/ |
詳細情報
宗旨・宗派 | 真言宗・智山派 |
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ご由緒 | 継体天皇の時代、西暦507〜531頃の話。一人の旅の僧が当地に堂を起こし観音像を安置した。安閑天皇の時代、西暦531〜536年頃に大暴風雨が起こり堂が押し流され、尊像とともに崖下の激流に流され、行方不明になってしまった。それから100年の後の西暦628年頃、宮戸川(隅田川の古称)の浅草浦付近で漁をしていた桧熊浜成ヒノクマハマナリ・竹成タケナリ兄弟の網に1寸8分(5.5cm)の大きさの金色に輝く仏像が掛かった。兄弟は土地の識者であった土師真ハジマ仲知ナカチに相談し、その薦めに従い堂を設け像を安置した。これが東京浅草の金竜山浅草寺の起こりと伝えられる。 |
体験 | 札所・七福神巡り伝説 |
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