きたのてんじんじゃ
北野天神社のお参りの記録一覧
5月26日に、所沢出身の俳優・左卜全の鎮魂祭である「郭公祭」が行われるそうです。本年は生誕130年を記念して、奉納刀の小太刀「國吉」の展示をするとのことです。その特別御朱印を拝受しました。
子供の日ということもあり、社殿にいるトトロが兜をかぶっていてとてもかわいかったです😊
今回は十数年ぶりの参拝になりました。
北野天神さまは親に連れられて初詣で参拝したり、特に受験祈願でお世話になった記憶が強いです。学校帰りに少し遠回りしてお参りして帰ったこともありました。
当時は、社名が総称であることや式内社であるとか、こんなに歴史のある神社だとは思ってもいませんでした。また参拝することが出来て嬉しかったです。
駐車場側の鳥居
手水舎
「郭公祭」のお知らせ
かわいすぎる💕
こてまる
神馬
前田利家献栽「大納言梅」天正18年
石宮神社(大己貴神、少彦名命、八重垣大明神(伴部安崇))
伴部安崇は、跡部良顕、正親町公通に垂加神道を学んだ神道家です。
寛保3年(1743)に創建。明治に水天宮を合祀しています。
白旗塚
宗良親王歌碑
尊桜
日本武尊が植えたと伝えられている。
諸神宮
文子天神社
ご祭神:多治比文子(道真公の乳母)
小手指神社(航空神社)
地域の日清日露以降の戦没者を慰霊しています
八雲神社(天王様)
ご祭神:須佐之男尊
稲荷社
ご祭神:宇賀美玉神
授与所に小さな兜が。かわいい
延喜式内社二座鎮座の埼玉県最古の天神さまです。交通・航空安全・勝運上昇の神として信仰を集めています。
西側の鳥居、参道
南側の鳥居、参道
鳥居が続きます。
竹の柵
北野天神社社殿
手水舎
石宮神社
小手指神社(航空神社)
お稲荷様
文子天神社
養蚕の神様として信仰され、女性と子供の守り神としても信仰を集めているそうです。繭玉がかわいいです。
ゆるキャラ御朱印
北野天神社神楽殿
鎌倉街道散策(所沢山口)3
【散策ルート】
西武球場前駅〜①山口観音〜②山口城跡〜③中氷川神社〜④北野天神社〜⑤小手指原古戦場跡〜⑥白旗塚〜⑦誓詞橋〜小手指駅
中氷川神社からは、前回の高級住宅程ではないけどハイランクの住宅地を抜ける事20分強。2度目の参拝の北野天神社へ到着。
④北野天神社
所沢市小手指元町にある郷社、県社の神社です。景行天皇40年日本武尊東夷征伐の際に建立した物部天神社(延喜式内社)に比定され、さらに国渭地祇神社、出雲祝神社の延喜式内社3社を併せ祀っている。祭神は櫛玉饒速日命(物部天神社)、八千矛命(国渭地祇神社)、菅原道真公(天満天神社)です。
『太平記』の武蔵野合戦の条にも描かれている小手指原の戦で新田義宗が陣を構え、新田方の宗良親王がこの戦に際して味方の士気を高めるために和歌を詠み、境内にはこの歌の歌碑が建てられています。
「君のため世のためなにかおしからん すててかひあるいのちなりせは」
西の鳥居を真っ直ぐ行って、畑を15分進むと子ども達の声が響いてくる。幼稚園が道沿いあると小手指原古戦場石碑と説明文がある。
⑤小手指原古戦場跡
元弘3年(1333年)5月8日、後醍醐天皇による鎌倉幕府倒幕の綸旨を受けて、上野国を本拠とする新田義貞が挙兵、鎌倉へと進軍した。11日に入間川を渡って小手指原に入ったところで幕府軍と衝突、幕府軍は久米川まで退き、ここでも再度衝突。結果は新田軍の勝利。分倍河原の戦いの前哨戦として語り継がれている。
小手指原は、鎌倉街道を南下して鎌倉を攻めるに重要な場所なのか。入間川の防衛線は鎌倉末期からの20年間で歴史を大きく変える合戦が3回も起こっている。前述(鎌倉幕府倒幕)の新田義貞、室町幕府成立と南北朝時代のきっかけを作った中先代の乱の北条時行(北条高時の次男)、南北朝対立の中で足利尊氏と戦った新田義興(義貞の嫡男)らは、いずれも鎌倉を目指した。そして、一時的ではあるが鎌倉を制した。
石碑から畑の方へ2〜3分木々の塚が白旗塚。
⑥白籏塚
小手指原古戦場の石碑の脇の畑の中の細い道を進むと「白旗塚」がある。
新田 義貞が、ここに陣をはり源氏のシンボルである白い旗をかかげたという伝承が残る場所。
小手指原古戦場石碑から10分。行政道路バイパスに出るとそこが誓詞橋。長さ5m程で、交差点名にもなっているが、車で行くと橋があるとは思わない。
⑦誓詞橋
新田義貞が鎌倉幕府軍と小手指原で戦う際に、「勤皇の誓い」を立てた場所。「誓詞橋」と書いて「せいじがはし」と読みます。
④北野天神社 鳥居
④北野天神社 力石
④北野天神社 尊桜の木
日本武尊が御東征の際に手植えた桜の木
④北野天神社 宗良親王遺跡
④北野天神社 大納言の梅
前田利家が植えた梅(小田原征伐時)
④北野天神社 藁の神馬
④北野天神社 正殿
④北野天神社 正殿
④北野天神社 境内
④北野天神社 小手指摂社
④北野天神社 稲荷摂社
④北野天神社 八雲摂社
④北野天神社 参道
④北野天神社 西口鳥居
⑤小手指原古戦場跡 石碑
⑤小手指原古戦場跡 説明文
⑤小手指原古戦場跡 風景
⑥白旗塚 入口
⑥白旗塚 登り口
⑥白旗塚 石碑
⑥白旗塚 塚
⑦誓詞橋 欄干
⑦誓詞橋 風景
小手指駅南口
東所沢のサクラタウンから向かいました。
木々に囲まれた中にお社がいくつもあり、平日なので他の参拝してるのも二人だけ。ゆっくり回りました。
御朱印を書き込んで頂くのを待つ間、桜の木が1本まだ咲いていたので「花びらの色が白いな」と眺めていたら、受け取る時に「この花びらは薄い緑色なんですよ、キレイでしょ」と説明してくださいました。葉と花が同時に咲いていて、まだ蕾も見えました。
女性の宮司さまか、とても優しく対応していただき、直前に参拝したのが近代的過ぎて、こちらの神社で凄く癒されました。
何の木か調べなかったけど、とても高いです
本殿の右側にちょこんと飾られていて、微笑んでしまいました。ちゃんとドングリも有りました🎵
書き込みでいただきました
今年は江戸名所図会(天保五年刊)に描かれた当時の神社の風景が織り込まれた御朱印帳もいただきました。
同一柄で紺と白の二色あります。
御朱印帳の柄の説明書
木と藁で作られた神馬
神馬説明
鳥居
【武蔵國 式内社巡り】
北野天神社(きたの・てんじんしゃ)は、埼玉県所沢市小手指元町にある神社。式内社(比定2社、論社1社)で、旧社格は県社。社名は総称で、登記上の宗教法人名称は「物部天神社・國渭地祇神社・天満天神社」。物部天神社(もののべ・てんじんしゃ)は、祭神は櫛玉饒速日命(にぎはやひ)、式内社「物部天神社」に比定、式内社「出雲伊波比神社」を合祀(論社)。國渭地祇神社(くにいちぎ~)は、祭神は八千矛命(やちほこのかみ)で、式内社「國渭地祇社」に比定。天満天神社(てんまん・てんじんしゃ)は、祭神は菅原道真公。その他、宗良親王、小手指明神、天穂日命、応神天皇、日本武尊命、倉稲魂命を合祀している。
社伝によると、日本武尊が東征の折に創祀したのが始まり。物部天神社は、武蔵国造(无邪志国造)であった物部氏が、祖神である饒速日命を祀ったものとされる。上記の通り、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 入間郡 五座(並小)」のうち、「物部天神社」と「國渭地祇社」に比定され、「出雲伊波比神社」の論社となっている。天満天神社は、995年に菅原道真の5世の子孫・菅原修成が武蔵守として京都北野神社から勧請し、その後、源義家、源頼朝、足利尊氏、前田利家により社殿が造営された。江戸時代には幕府から朱印地を下賜され、1722年には江戸の旧目白不動院長谷寺において、当社御神体の江戸出開帳が行われ、社宝の掛幅や文書が江戸城内に提出された。明治時代に入ると、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、西武池袋線・狭山ヶ丘駅の南東3kmの、都道179号線(所沢青梅線)の北側のやや小高い場所にある。樹木が豊かな参道を進むと、社殿周りには広々とした境内地が広がる、社殿は大きく、境内社も多く建っており、見どころの多さを含め、さすが旧県社格と感じさせてくれる。
今回は、武蔵国の式内社、旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、境内は自分以外にもぱらぱらと参拝者が訪れていた。
境内南端入口。境内は小高い場所にある。
入口の上段右側にある<社号標>。「縣社 北野天神社」とある。
入口の階段を上がったところから参道前方を望む。高木に包まれた厳かな雰囲気。
参道進んで<一の鳥居>。
鳥居の扁額には「北野宮」ではなく「北埜宮」と刻まれている。
さらに進んで<二の鳥居>。こちらん扁額には「北野天神社」ではなく「北野天満宮」と刻まれている。
参道がわずかに右に曲がったところから社殿方向を望む。一気に明るい場所に出る感じ。
参道右側の<力石>。
参道左手の<宗良親王遺跡‐小手指ヶ原合戦の御在陣跡>。
参道右側にある<手水舎>。
手水舎を過ぎたところから社殿を望むと、参道両側に立てられた竹が曲げられ、参道上で結ばれている。何か独特な風習があるのかな。
参道左側の<神馬>。どうやらこの状態で常設みたい。
<拝殿>全景。横幅がかなり広く、威風堂々たる風貌。
<拝殿>正面。
拝殿前あたりから左手(西方向)に伸びる参道。こちらでも参道両側に立てられた竹が、参道上で結ばれている。
拝殿の左手、最も遠い場所にある<石宮神社(水天宮)>。
拝殿の左手から見た<社殿>全景。拝殿だけでなく、本殿も非常に大きい。
拝殿の左手にある<小手指神社>。
小手指神社の脇には<航空神社跡>がある。
社殿の左側にあって、2つの鳥居がある<稲荷神社>。
<稲荷社>の社殿。
稲荷社の右隣にある<八雲社>。
八雲社前から見た<本殿>。朱色主体の躯体に金色の刺し色、彫刻には彩色が施され大きく立派。(o^―^o)
拝殿の右手にある<文子天神社(はた神様)>。養蚕をはじめ糸繰裁縫機織などすべて日本婦人の美徳を備える「多治比文子」という女神を祀っている。
文子天神社前から見た<社殿>全景。
拝殿の右手にある<諸神宮>。説明書きによると、この社殿は室町時代の再建で、源頼朝が建久六年九月に延喜式内総社(3132座)を勧請したもの。徳川家光から諸神宮領の寄進状が現存するとのこと。これはスゴイ。
拝殿と離れた場所で、拝殿に向かって建つ<神楽殿>。
神楽殿の左手にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所前から見た、<手水舎>と<社殿>全景。
最後にふたたび、紅葉が美しい入口付近の参道。(^▽^)/
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