きたのてんじんじゃ
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楽しみ方北野天神社のお参りの記録一覧(2ページ目)

今年は江戸名所図会(天保五年刊)に描かれた当時の神社の風景が織り込まれた御朱印帳もいただきました。

同一柄で紺と白の二色あります。

御朱印帳の柄の説明書

木と藁で作られた神馬

神馬説明

鳥居

【武蔵國 式内社巡り】
北野天神社(きたの・てんじんしゃ)は、埼玉県所沢市小手指元町にある神社。式内社(比定2社、論社1社)で、旧社格は県社。社名は総称で、登記上の宗教法人名称は「物部天神社・國渭地祇神社・天満天神社」。物部天神社(もののべ・てんじんしゃ)は、祭神は櫛玉饒速日命(にぎはやひ)、式内社「物部天神社」に比定、式内社「出雲伊波比神社」を合祀(論社)。國渭地祇神社(くにいちぎ~)は、祭神は八千矛命(やちほこのかみ)で、式内社「國渭地祇社」に比定。天満天神社(てんまん・てんじんしゃ)は、祭神は菅原道真公。その他、宗良親王、小手指明神、天穂日命、応神天皇、日本武尊命、倉稲魂命を合祀している。
社伝によると、日本武尊が東征の折に創祀したのが始まり。物部天神社は、武蔵国造(无邪志国造)であった物部氏が、祖神である饒速日命を祀ったものとされる。上記の通り、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 入間郡 五座(並小)」のうち、「物部天神社」と「國渭地祇社」に比定され、「出雲伊波比神社」の論社となっている。天満天神社は、995年に菅原道真の5世の子孫・菅原修成が武蔵守として京都北野神社から勧請し、その後、源義家、源頼朝、足利尊氏、前田利家により社殿が造営された。江戸時代には幕府から朱印地を下賜され、1722年には江戸の旧目白不動院長谷寺において、当社御神体の江戸出開帳が行われ、社宝の掛幅や文書が江戸城内に提出された。明治時代に入ると、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、西武池袋線・狭山ヶ丘駅の南東3kmの、都道179号線(所沢青梅線)の北側のやや小高い場所にある。樹木が豊かな参道を進むと、社殿周りには広々とした境内地が広がる、社殿は大きく、境内社も多く建っており、見どころの多さを含め、さすが旧県社格と感じさせてくれる。
今回は、武蔵国の式内社、旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、境内は自分以外にもぱらぱらと参拝者が訪れていた。

境内南端入口。境内は小高い場所にある。

入口の上段右側にある<社号標>。「縣社 北野天神社」とある。

入口の階段を上がったところから参道前方を望む。高木に包まれた厳かな雰囲気。

参道進んで<一の鳥居>。

鳥居の扁額には「北野宮」ではなく「北埜宮」と刻まれている。

さらに進んで<二の鳥居>。こちらん扁額には「北野天神社」ではなく「北野天満宮」と刻まれている。

参道がわずかに右に曲がったところから社殿方向を望む。一気に明るい場所に出る感じ。

参道右側の<力石>。

参道左手の<宗良親王遺跡‐小手指ヶ原合戦の御在陣跡>。

参道右側にある<手水舎>。

手水舎を過ぎたところから社殿を望むと、参道両側に立てられた竹が曲げられ、参道上で結ばれている。何か独特な風習があるのかな。

参道左側の<神馬>。どうやらこの状態で常設みたい。

<拝殿>全景。横幅がかなり広く、威風堂々たる風貌。

<拝殿>正面。

拝殿前あたりから左手(西方向)に伸びる参道。こちらでも参道両側に立てられた竹が、参道上で結ばれている。

拝殿の左手、最も遠い場所にある<石宮神社(水天宮)>。

拝殿の左手から見た<社殿>全景。拝殿だけでなく、本殿も非常に大きい。

拝殿の左手にある<小手指神社>。

小手指神社の脇には<航空神社跡>がある。

社殿の左側にあって、2つの鳥居がある<稲荷神社>。

<稲荷社>の社殿。

稲荷社の右隣にある<八雲社>。

八雲社前から見た<本殿>。朱色主体の躯体に金色の刺し色、彫刻には彩色が施され大きく立派。(o^―^o)

拝殿の右手にある<文子天神社(はた神様)>。養蚕をはじめ糸繰裁縫機織などすべて日本婦人の美徳を備える「多治比文子」という女神を祀っている。

文子天神社前から見た<社殿>全景。

拝殿の右手にある<諸神宮>。説明書きによると、この社殿は室町時代の再建で、源頼朝が建久六年九月に延喜式内総社(3132座)を勧請したもの。徳川家光から諸神宮領の寄進状が現存するとのこと。これはスゴイ。

拝殿と離れた場所で、拝殿に向かって建つ<神楽殿>。

神楽殿の左手にある<社務所>。御朱印はこちら。

社務所前から見た、<手水舎>と<社殿>全景。

最後にふたたび、紅葉が美しい入口付近の参道。(^▽^)/

正式名称は物部天神社・國渭地祇神社・天満天神社。総称で「北野天神社」と呼ばれてます。自粛太り解消目的の散歩がてら足を運び、境内をゆっくり散策。気持ちがシュッとしました。

本殿

狛犬

狛犬

ご祭神説明

参道

鳥居

鳥居

略記

稲荷社

八雲社…ご祭神の牛頭天王(須佐之男命)ご利益は疫病退散。コロナ禍退散の力添えをお願いしてきました。

小手指神社

小手指神社由緒

文子天神社

文子天神社由緒

宗良親王歌碑(小手指ヶ原合戦の在陣跡)

白旗塚

古戦場の碑(…この塚を壊せし者は忽ちに霊魔を受て死するやもあり…)こんなこと彫られてたんですね。

北野地名由来の碑

過去参拝時に頂いた御朱印

過去参拝時に頂いた御朱印(正月限定)
物部天神社(もののべてんじんじゃ)、國渭地祇神社(くにいちぎじんじゃ)、天満天神社(てんまんてんじんじゃ)の三社の総称として、北野天神社と呼ばれています。
社伝によると、日本武尊が東征の折に創祀したのが始まりと云われています。
北野という地名の由来にもなっている神社です。
境内は広く、たくさんの境内社があります。
ワラで作られた神馬が動き出しそうなほどリアルでした。
小手指駅から徒歩で約20分、または西武バスで北野天神前バス停下車すぐです。駐車場もあります。

鳥居

拝殿

神馬(しんめ)


拝殿

こてまる

狛犬


手水舎


小手指神社


稲荷社


狐神

八雲社

文子天神宮

諸神宮

力石


尊桜


西武池袋線西所沢駅から徒歩35分位のところに居られます。
小手指駅からだと徒歩20分強ですかね。
結構大きな神社で、杜が豊かで静かで涼し気な雰囲気が漂っていました。

立派な社殿ですね。

亀の彫刻でしょうか。

こちらは鶴ですかね?

緑と茶に近い朱色の色合いも良いですね。


寛政と彫られていましたけどそのくらいの年代なんでしょうか。

いやぁ、しゃくれてますね。

力強いですね。

イースター島というか、シャクレルプラネット感が強いですね。

マスコットキャラクターの「こてまる」君です。可愛いですね~

なんというか、この彩色と周囲の無彩色とのコントラストのせいもあってか上品に見えますよね。


藁のお馬さん。見事ですよね。


まっすぐ伸びた参道は大好きなのです。

ねー、まっすぐ伸びた参道の先に社殿、素敵じゃないですか。

途中曲がってるんですよね~でもこういうのも好き。

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