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むさしいちのみやひかわじんじゃ

武蔵一宮氷川神社

埼玉県 北大宮駅

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048-641-0137

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり

用紙もカラフルな季節限定御朱印がいただけます。上部には『武蔵一宮』の文字が大きく書かれています。

限定
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

ご利益

武蔵一宮氷川神社について

何でもある!神様のデパート


大宮駅から徒歩15分ほどの距離にある氷川神社。氷川神社は旧武蔵国(神奈川・東京・埼玉)の一之宮であるためか、様々な神様をまつっています。そのためか、様々な願い事にも対応できる神社です。

氷川神社は「都会の中のオアシス」


繁華街や商業施設が立ち並ぶ大宮駅周辺から少し離れたところにある氷川神社。氷川神社は参道や境内に自然がたくさんあり、「都会の中のオアシス」といっても過言ではないぐらいに緑にあふれた場所となっています。

お祭りのデパートでもある氷川神社


旧武蔵国の一之宮であった氷川神社は1年通じてお祭りも多い神社です。中でも盛大に行われるのが毎年8月1日の例祭です。明治天皇が氷川神社を勅祭の社(祭りの時に天皇陛下の使節が派遣される神社)に指定してからの由緒正しい祭りです。

社名の由来について(公式ホームページより引用)


一つは、「氷川大宮縁起」や『風土記稿』に、出雲の国の杵築大社(出雲大社)を遷して氷川神社の神号を賜ると伝わるとある事から、出雲の大河である斐伊川にちなむというものです。
もう一つは、鎮座地「高鼻」は、見沼の低地に突き出た大宮台地上にあり古代からの湧水地で、湧き出る清冽な泉は原始の氷川祭祀の対象で、古語で霊験あらたかな泉を表す氷川が社名となったというものです。

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ひろっく
2021年10月28日(木)
42投稿

埼玉県さいたま市大宮区 武蔵一宮 氷川神社

【由来説明】
関東の荒川流域を中心に、北海道から鹿児島まで約280社ある氷川神社。その総本社が大宮の氷川神社です。
御祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)、そして稲田姫命(イナダヒメノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)。
須佐之男命は天照大御神や月読命と共に伊弉諾命から生まれた神です。
第5代孝昭天皇の時代、孝昭天皇の御代3年(紀元前473年)4月未の日、水豊かな見沼を抱くこの大宮に創建された氷川神社。
2400年ほど古の時代から見沼の水神として時を刻み歩むと共に、日本武尊(ヤマトタケル)が東夷鎮定(東征)の際に祈願をされるなど、
古代日本の節目をも見守ってまいりました。
この時、氷川神社を詣でたことでヤマトタケルの足の負傷が治り、立てるようになったことから、
これを由来とした「足立」の地名伝承が今に息づいております。
その後、第13代成務天皇の時代(2世紀)に出雲から移住してきた兄多毛比命(エタケヒノミコト)が初代武蔵国造となり、
第45代聖武天皇の時代(8世紀)に武蔵一宮と定めされました。
そうして貴族や武家、地域の信仰を集めながら近代へ。
明治元年(1868年)、明治天皇より武蔵国の鎮守勅祭の社と定められ、祭政一致の詔を賜りました。
そう、氷川神社は近代国家への幕開けの証人でもあるのです。そして現代。古代から変わらずに祈りの場であります。そして未来も。

【単語由来】
「氷川」とは、古語で「神聖な泉」の意味。清らかな水あふれる見沼の泉への信仰を今に伝える言葉でもあります。
氷川神社への信仰は、自然と共に生きる日本人が支えた自然への敬意でもあるのです。
また、出雲から移ってきた際、出雲の大河である斐伊川(ひいかわ)に想いをはせて氷川(ひかわ)とした、とも言われております。
御祭神である須佐之男命(スサノオノミコト)への敬意や出雲への想い、自然への敬意。
さまざまな心が紡いで大切に育まれた氷川神社への信仰の篤さから神社は「大いなる宮」とも称えられ、
これが「大宮」の由来となったとも言われております。

【御祭神説明】
その氷川神社の御祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した勇ましい神であると同時に、
その時助けた稲田姫命(イナダヒメノミコト)を妻にした愛妻家。さらには疫病を防ぐ神、養蚕や樹木の神でもあります。

参道沿い、氷川だんごで小腹を満たし、香りにつられて常盤珈琲焙煎所で一服すると良いかも。

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惣一郎
2021年03月20日(土)
962投稿

氷川神社(ひかわ~)は、埼玉県さいたま市大宮区にある神社。式内社(名神大社)、武蔵国一之宮、勅祭社。旧社格は官幣大社、現在は神社本庁の別表神社。東京都・埼玉県近辺に約280社ある氷川神社の総本社。また、毎年元旦の早朝、天皇陛下が歳旦祭の前に行う「四方拝」で遙拝される一社。御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の3柱。正月三が日の初詣参拝者数は毎年200万人を超え、全国10位以内となっている。

社伝によると、創建は孝昭天皇(第5代天皇)3年(紀元前473年)。景行天皇(第12代天皇、1~2世紀)の時代には、日本武尊が東夷鎮定を祈願、成務天皇(第13代天皇、2世紀)の時代に、出雲族の兄多毛比命(えたもひのみこと)が朝命により武蔵国造となって当社を奉崇した。
平安時代の927年の『延喜式神名帳』では、「武蔵国足立郡 氷川神社 名神大社」と記載されている。
武家の時代、鎌倉、足利、徳川の各幕府・将軍からも社殿の造営、社領の寄進を受けた。
明治期には、明治天皇が当社を武蔵国の鎮守、勅祭社と定め、3度行幸された。以後、大正天皇、昭和天皇、平成天皇も在位中に御親拝された。
なお当社では聖武天皇(飛鳥期~奈良期)の時代に武蔵国一之宮と定められたとしているが、武蔵国総社の<大國魂神社>(東京都府中市)では、当社を三之宮と位置付け(一之宮は<小野神社>)ており相違がある。

当社は、JR大宮駅の北東1.5kmほどの大宮公園内にある。かつて中山道から当社まで南北に2kmの参道があったようだが、都市化で短くなったとはいえ現在でも0.8kmほどの長い参道がある。境内の参道は直線ではなく、神池や舞殿、摂末社などがディズニーランドのように不規則な配置で廻っていて楽しい造り。裏手の大宮公園には埼玉県護国神社がある。

参拝時は週末の午後で、コロナ禍が本格化しつつあるにもかかわらず、大勢の参拝客で賑わっていた。

武蔵一宮氷川神社の鳥居

ここから本格的な参道が始まる<二の鳥居>。1976年竣功。鳥居自体は1966年7月22日に落雷で破損した明治神宮の大鳥居(日本最大級の木造鳥居)を移築、再建。

武蔵一宮氷川神社の鳥居

500mほど進むと<三の鳥居>。ここから境内に入る。

武蔵一宮氷川神社の本殿

三の鳥居をくぐってすぐ右側にある<神楽殿>。

武蔵一宮氷川神社の本殿

神楽殿のすぐ左隣にある<額殿>。この周りにも見どころはあるが、飛ばして先に社殿に向かう。

武蔵一宮氷川神社の建物その他

神池に架かる<神橋>と奥の<楼門>。この画面は、オリジナル御朱印帳(紺色)の表紙デザインにもなっている。

武蔵一宮氷川神社の手水

神橋を渡ってすぐ左手にある<手水舎>。コロナで使用禁止。

武蔵一宮氷川神社の山門

当社を代表する建物の一つである<楼門>。戦前の1940年改築。ここから透塀に囲われた神域に入る。

武蔵一宮氷川神社の本殿

楼門をくぐると、すぐ目の前にある<舞殿>。

武蔵一宮氷川神社の本殿

舞殿の後ろにある立派な<社殿>。戦前の1940年改築。

武蔵一宮氷川神社の建物その他

社殿の右手、東門の奥にある<神輿舎>。

武蔵一宮氷川神社の本殿

神輿舎前から見た<本殿>。拝殿と比べるとやや小ぶりか。

武蔵一宮氷川神社の建物その他

舞殿の右手にある<授与所>。御朱印はこちら。

武蔵一宮氷川神社の本殿

神域を出る前に、もう一度<舞殿>。

武蔵一宮氷川神社の末社

神域の右手にある<門客人神社>(左)と<御嶽神社>(右)。

武蔵一宮氷川神社の周辺

門客人神社、御嶽神社の外側にある<ひょうたん池>。この外側は大宮公園になる。

武蔵一宮氷川神社の建物その他

神域の外側、入口の手水舎の左手にある<御神井>。

武蔵一宮氷川神社の庭園

神域の左手、境内の左奥にある<蛇の池>。

武蔵一宮氷川神社の庭園

蛇の池から戻って<神池>全景。写真左側は<神橋>、中央の浮島には<宗像神社>。

武蔵一宮氷川神社の鳥居

浮島の<宗像神社>の鳥居。

武蔵一宮氷川神社の末社

浮島の<宗像神社>の社殿。

武蔵一宮氷川神社の鳥居

宗像神社の社殿の後ろにある<稲荷神社>の鳥居。

武蔵一宮氷川神社の末社

<稲荷神社>の社殿。

武蔵一宮氷川神社の末社

神池から参道近くに戻ったところにある<松尾神社>。

武蔵一宮氷川神社の末社

松尾神社から参道を挟んで反対側にある<六社>。

武蔵一宮氷川神社の末社

<六社>は、左から順に①住吉神社、②神明神社、③山祇神社、④愛宕神社、⑤雷神社、⑥石上神社。

武蔵一宮氷川神社の鳥居

六社の右隣にある<天津神社>の鳥居。

武蔵一宮氷川神社の末社

六社の右隣にある<天津神社>の社殿。

武蔵一宮氷川神社の自然

天津神社の右隣にある<夫婦楠>。

武蔵一宮氷川神社の建物その他

夫婦楠の右隣にある<奉納酒>。

武蔵一宮氷川神社の神楽

境内入口の三の鳥居近くの<神楽殿>では、神楽の奉納が行われていて、大勢の観客が見入っていた。

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例祭・神事

8月1日(例祭)

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歴史

氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。御祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱の神で大己貴命は須佐之男命の御子に坐して国土を天照大神の御孫瓊々杵命に御譲りになられた国土経営の神であります。稲田姫命は須佐之男命の御妃で大己貴命の御母神であります。この御三神をここにお祀りされたのは国土経営民福安昌祈願の為であって大和朝廷の威光が漸次東方に及ぶにつれて、当神社の地位が益々重くなったのでありましょう。地勢上から見ても氷川神社は見沼をひかえ東西南北に展開し交通の便もよく土地も肥沃で民族は弥々繁栄し今日の基をなすに至ったものと思われます。

第十二代景行天皇の御代日本武尊は当神社に御参拝東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き格式高く、又今から凡そ千二百年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定せられた延喜式神名帳には名神大社として月次新嘗案上の官幣に預り、又臨時祭にも奉幣に預る等歴朝の崇敬殊の外厚く、又武家時代になっては鎌倉、足利、北条、徳川氏等相継いて尊仰し祭祀は厳重に行われておりました。
明治の御代に至っては明治元年明治天皇は都を東京に遷され、当社を武蔵国の鎮守勅祭の社と御定めになり左の勅書を賜わったのであります。

勅ス、神祇ヲ崇メ、祭祀ヲ重ンズルハ、皇国ノ大典ニシテ政教ノ基本ナリ。然ルニ中世以降、政道漸ク衰エテ、祀典挙ラズ。逐二綱紀ノ不振ヲ馴致セリ。朕深ク之ヲ慨ク。方今更始ノ秋、新二東京ヲ置キ、親臨シテ政ヲ視将こ先ズ祀典ヲ興シ、綱紀ヲ張り、以テ祭政一致ノ道ヲ復サントス。乃チ武蔵国大宮駅氷川神社ヲ以テ当国ノ鎮守ト為シ、親幸シテ之ヲ祭ル。自今以後歳ゴトニ奉幣使ヲ遣シ以テ永例ト為サン。

次で同年十月二十八日明治天皇当神社に行幸、御親ら祭儀を執り行わせられ更に三年十一月一日再び御親祭あらせられました。この時の御行列は非常に荘厳で京都からの御遷都と同様の御盛儀であったといわれます。此の様に明治天皇が御親祭あらせられたのは桓武天皇平安遷都の折賀茂社をお祀りした御例によられたものといわれ、その模様を謹写した山田衛居筆の氷川神社行幸絵巻物は今も当社の社宝として大切に保存されて居ります。次で明治四年五月十四日官幣大社に列せられました。同九年奥羽御巡幸の節には米田侍従番長を御代拝として参向せられ、同十一年八月三十一日三度の行幸御参拝あらせられました。昭和九年昭和天皇の御参拝、昭和三十八年十月には今上陛下が皇太子殿下の御時、御参拝になられております。昭和四十二年十月明治天皇御親祭百年大祭が執り行われ、社殿、その他の諸建物の修復工事が完成、十月二十三日には、昭和天皇・皇后両陛下お揃いにて親しく御参拝を賜りました。昭和六十二年七月には今上陛下が皇太子殿下の御時、同妃殿下とお揃いにて御参拝になられ、平成五年五月には天皇・皇后両陛下の御参拝を賜っております。

又氷川神社名の神社は大宮を中心にして埼玉県下及び東京都下、神奈川県下に及びその数実に数百をかぞえます。今日県下だけでも百六十余社に及ぶことは御神威の高く尊きによるとは申せ武蔵国造の子孫がこの大宮の地を本拠として民族的政治的に著しい発展をしたことを物語って居るものと考えられます。

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武蔵一宮氷川神社の基本情報

住所埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
行き方

JR埼京線「大宮駅」から徒歩15分

アクセスを詳しく見る
名称武蔵一宮氷川神社
読み方むさしいちのみやひかわじんじゃ
通称大宮氷川神社
参拝時間

09:00〜17:00

参拝にかかる時間

20分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

用紙もカラフルな季節限定御朱印がいただけます。上部には『武蔵一宮』の文字が大きく書かれています。

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号048-641-0137
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://musashiichinomiya-hikawa.or.jp
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神《主》須佐之男命,稲田姫命,大己貴命,《配》倉稲魂命
創建時代孝昭天皇三年
本殿銅板葺流造
文化財

市指定文化財(門客人神社、御嶽神社、天津神社)

ご由緒

氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。御祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱の神で大己貴命は須佐之男命の御子に坐して国土を天照大神の御孫瓊々杵命に御譲りになられた国土経営の神であります。稲田姫命は須佐之男命の御妃で大己貴命の御母神であります。この御三神をここにお祀りされたのは国土経営民福安昌祈願の為であって大和朝廷の威光が漸次東方に及ぶにつれて、当神社の地位が益々重くなったのでありましょう。地勢上から見ても氷川神社は見沼をひかえ東西南北に展開し交通の便もよく土地も肥沃で民族は弥々繁栄し今日の基をなすに至ったものと思われます。

第十二代景行天皇の御代日本武尊は当神社に御参拝東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き格式高く、又今から凡そ千二百年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定せられた延喜式神名帳には名神大社として月次新嘗案上の官幣に預り、又臨時祭にも奉幣に預る等歴朝の崇敬殊の外厚く、又武家時代になっては鎌倉、足利、北条、徳川氏等相継いて尊仰し祭祀は厳重に行われておりました。
明治の御代に至っては明治元年明治天皇は都を東京に遷され、当社を武蔵国の鎮守勅祭の社と御定めになり左の勅書を賜わったのであります。

勅ス、神祇ヲ崇メ、祭祀ヲ重ンズルハ、皇国ノ大典ニシテ政教ノ基本ナリ。然ルニ中世以降、政道漸ク衰エテ、祀典挙ラズ。逐二綱紀ノ不振ヲ馴致セリ。朕深ク之ヲ慨ク。方今更始ノ秋、新二東京ヲ置キ、親臨シテ政ヲ視将こ先ズ祀典ヲ興シ、綱紀ヲ張り、以テ祭政一致ノ道ヲ復サントス。乃チ武蔵国大宮駅氷川神社ヲ以テ当国ノ鎮守ト為シ、親幸シテ之ヲ祭ル。自今以後歳ゴトニ奉幣使ヲ遣シ以テ永例ト為サン。

次で同年十月二十八日明治天皇当神社に行幸、御親ら祭儀を執り行わせられ更に三年十一月一日再び御親祭あらせられました。この時の御行列は非常に荘厳で京都からの御遷都と同様の御盛儀であったといわれます。此の様に明治天皇が御親祭あらせられたのは桓武天皇平安遷都の折賀茂社をお祀りした御例によられたものといわれ、その模様を謹写した山田衛居筆の氷川神社行幸絵巻物は今も当社の社宝として大切に保存されて居ります。次で明治四年五月十四日官幣大社に列せられました。同九年奥羽御巡幸の節には米田侍従番長を御代拝として参向せられ、同十一年八月三十一日三度の行幸御参拝あらせられました。昭和九年昭和天皇の御参拝、昭和三十八年十月には今上陛下が皇太子殿下の御時、御参拝になられております。昭和四十二年十月明治天皇御親祭百年大祭が執り行われ、社殿、その他の諸建物の修復工事が完成、十月二十三日には、昭和天皇・皇后両陛下お揃いにて親しく御参拝を賜りました。昭和六十二年七月には今上陛下が皇太子殿下の御時、同妃殿下とお揃いにて御参拝になられ、平成五年五月には天皇・皇后両陛下の御参拝を賜っております。

又氷川神社名の神社は大宮を中心にして埼玉県下及び東京都下、神奈川県下に及びその数実に数百をかぞえます。今日県下だけでも百六十余社に及ぶことは御神威の高く尊きによるとは申せ武蔵国造の子孫がこの大宮の地を本拠として民族的政治的に著しい発展をしたことを物語って居るものと考えられます。

体験祈祷お宮参り結婚式七五三御朱印祭り一の宮

Wikipediaからの引用

概要
氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町にある神社。式内社(名神大社)、武蔵国一宮を称する(ないし三宮)勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される神社の1つ。 東京都・埼玉県近辺に約280社ある氷川神社の総本社である。他の氷川神社と区別する際は「大宮氷川神社」とも呼ばれる。
歴史
歴史[編集] 前史[編集] 社伝によれば、孝昭天皇3年4月の創建という[1]。「国造本紀」によると、初代无邪志国造の兄多毛比命は成務天皇(第13代天皇)の時代に出雲族をひきつれてこの地に移住し[2]、祖神を祀って氏神として、当社を奉崇したという。この一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造(无邪志国造)は出雲国造と同族とされ、社名の「氷川」も出雲の簸川(ひかわ)に由来するという説がある。 一方、氷川神社の摂社に「門客人神社」がある(現在も氷川神社社殿の東隣に鎮座)。元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたもので、アラハバキが「客人神」として祀られている。このアラハバキ社は氷川神...Wikipediaで続きを読む
引用元情報氷川神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=91344570

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