『伝える御首題』は、御朱印、御首題を通じて、お経の言葉をお伝えするべく、1つの布教活動との認識で墨書押印しております。示唆に富んだお釈迦様の教えに触れる機会として頂き、何かしらの気づきが得られるものであることを願っております。
過去の『伝える御首題』は、以下リンクより。
・本昌寺ホームページ
https://honsyouzi.net/goshuin.html
・本昌寺インスタグラム
https://www.instagram.com/taijor_honsyouzi_since1634/?hl=ja
●伝える御首題Episode21『我不愛身命 不自惜身命』
妙法蓮華経 勧持品第13より
『我不愛身命』
「我、身命を愛せず。」
妙法蓮華経 如来寿量品第16より
『不自惜身命』
「自ら身命を惜しまず。」
妙法蓮華経 譬喩品第3においても『不惜身命』と出て参りますが、『不自惜身命』と一文字違いであり、『我不愛身命』を含めてほぼ同義のため(前後の流れを考えるともちろん違いはあるのですが)、『我不愛身命』、『不自惜身命』と墨書させて頂きました。
「身命を愛せず」
「身命を惜しまず」
読み上げてみると、何か『覚悟』を示した言葉であろうことが推測できるかと思います。
「この言葉、聞き覚えがある」
と感じられた方もおられるでしょう。
元横綱貴乃花関、昇進の際に述べた口上が以下のようなものでした。
「不撓不屈の精神で、力士として不惜身命を貫く」
身命を賭して、相撲道に邁進する気持ちを、「不惜身命」という言葉で伝えられました。
また、戦国武将として名高い真田幸村。
そんな真田家の家紋は『不惜身命の六文銭』と、ここでも『不惜身命』という言葉が使われています。
察しの良い方は、ここで今回のデザインの意図にお気づき頂けたかと思います。
そうです。
真田家の家紋『不惜身命の六文銭』から、その貨幣をモチーフに墨書押印させて頂きました。
『六文銭』は死後の世界において、三途の川を渡るための『渡し賃』として考えられていました。
ご遺体が納められた棺の中に、六文銭を入れて成仏を願ったそうで、現在では、紙に印刷されたものを納める、一つの儀礼として残っています。
ということは、真田家の家紋である『六文銭』そのものが、『不惜身命』と同義であると考えて良いかもしれません。
「死ぬ覚悟はできている。自身の身命を惜しむことなく大義を果たす。」
そんな真田家の覚悟が、家紋からひしひしと感じられますね。
私事ではありますが、私は本年中に本昌寺の法灯を継承して、住職のお役目を現住職から引き継ぎます。
これまでに何度か、他寺院での法灯継承式(住職の入退寺式)に参列させて頂き、その式典の中で、新住職が、その決意と覚悟を語られる様子を拝見して参りました。
改めて今、自分自身もその重責を背負っていかなければならないと、身が引き締まる思いです。
そんな中、覚悟の現れである『我不愛身命』、『不自惜身命(不惜身命)』という言葉について、自分なりに考えを巡らせてみました。
この言葉、取り方によっては、
「命を犠牲にしてでも・・・」
と、自己犠牲の言葉として捉えることも出来るかもしれませんが、もちろん、命を軽んじるという意味ではありません。
むしろ逆で、有限である命をどう生きるか?
これに向き合った覚悟の言葉と言えるかもしれません。
出来ることなら、後悔せずに生きたい。
このように考える人は多いですよね。
実際、生きていれば後悔することなんて色々とあるんですが、出来ることなら後悔しない生き方をしたい。
私もそんな願いを持っている1人です。
この事から逆算して、
後悔しないために今をどう過ごすか?
これを真剣に考えて、行動していくことが、『身命を惜しまない』ということに繋がるのではないかと。
私の中で、『身命を惜しまない』ということは、『縁あって頂いたこの命を無駄にしない』ということ。
当然のことですが、これからの人生においては今が一番若いです。
林修先生も
「今でしょ!」
っておっしゃっていますし、後悔しないためにも、今を丁寧に積み重ねていけるように。
そんなメッセージを込めて、墨書押印させて頂きます。
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