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garu
2018年02月12日(月)
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JR「島本」駅から水無瀬神宮に向かう道すがらで見つけた小社です。
なんだか説明もない小さな社だったのですが、個人のお社だったらアップせずそのままにするとしてとりあえず写して帰ろうと思って撮りました。

いや~、撮って帰って正解です。
ご祭神が惟喬親王と在原業平ですよ。
これは面白い。
惟喬親王と言えば28歳にして8歳の弟に天皇の座を譲っての隠遁生活。もう一大勢力を持っていた藤原氏に追放されたという事は明白。
在原業平は親王の義理の従兄弟にあたります。美男と誉れ高い業平ですね。
彼もまた、高位の立場でありながら不遇の扱いを受けていたのも藤原氏の陰謀だったわけです。
「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」と言う有名な歌がありますが、この歌は親王がまだここの水無瀬の離宮におられた時にその様を業平が歌ったとされる歌なんだそうです。

えっとこの二人が何故鍛冶屋の祖神と言われているのかなんですが、探しきれなかったというのが事実なんですが、伝説でね「ろくろ」を広めたというのがあるんです。
これは事実ではないので伝説でしょうね。ただ、この地、水無瀬の離宮にお二人がいらっしゃったのは事実ではあります。

粟辻神社の建物その他
粟辻神社の建物その他
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名称粟辻神社
読み方あわつじじんじゃ

詳細情報

ご祭神惟喬親王,在原業平
ご由緒

古くは粟辻明神といい、鍛冶屋の祖神として惟喬親王と在原業平を祀っています。
天慶(てんぎょう)元年(938)創立され、春日神社と称していたが、惟喬親王が粟辻氏の祖先にあたるので享禄4年(1531)粟辻神社と改称されたとも伝えられています。

往古より講中が支配してきた。「粟辻安永記」には「春日明神小社」と記し、享保9年(1724)頃、堂の講より水無瀬家に願いでて免許され、そのころより粟辻明神と名付けたとあります。寛政7年(1795)に本殿を修復しています。

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