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いっしんじ|浄土宗坂松山

一心寺のお参りの記録一覧
大阪府 恵美須町駅

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ana11692
ana11692
2022年09月24日(土)324投稿

大阪通天閣が間近に見える「お骨佛」のお祀りされている一心寺に参拝させていただきました🤣🙏お天気☀️にも恵まれて娘と家内三人で久しぶりの参拝でした🥹🙏
ここ一心寺の特色は何といっても明治20年から納骨されたお骨を粉末凝縮化して練造した仏像である「お骨佛(おこつぼとけ)」を10年ごとに造立してずっと供養していただけるところです☺️🙏 一心寺の納骨堂には現在8体のお骨佛様がお祀りされています。明治20年に第1体目が練造造立されて以来、10年ごとに開眼して通算では14体になるはずですが、戦前に造られた6体は残念ながら戦災で焼失して現在8体なのだそうです🥹🙏
義父母祖母のお骨佛様に手を合わせてロウソクとお線香とお花をそれぞれにあげさせてもらいました☺️🙏
それにしてもいつもながらものすごい数の人です。ひとつのお骨佛様あたり(宗派をいとわない)15〜22万人の納骨分でできていますからそれが8体、参拝される人の数が半端ないのは当たり前のことかもしれませんね🤣🙇🏻‍♂️🙏
また一心寺では“おせがき”という常施餓鬼法要が営まれています。「おせがき」というのは餓鬼道に堕ちて苦しむ一切の霊(三界の万霊)に食物などを供養することで、その功徳が巡り巡ってご先祖に至る(回向される)という尊い仏事のことらしいです。コロナ禍で一時期中止されていましたが、再開されたようです😊🙏
大阪ミナミのど真ん中に鎮座されるお寺ですが、毎回お参りするたびにふるさとを訪れたような感覚になります☺️🙇🏻‍♂️
近代的な彫刻や建物もあり、新しいものと古いものが自然に混ざりあって、参拝者のそれぞれの身内のお骨佛様を通じて、ずっとずっとこころのよりどころとなっているお寺です🥹🙏
大切だった懐しいひとに今回も供養し逢うことができました🥹🙏またつぎもぜひ参拝させていただきたいです🙇🏻‍♂️🥹🙏

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四季
四季
2021年12月25日(土)560投稿

坂枩山 一心寺

~日想観修行地・上町台地~

山号  坂枩山 (坂松山ばんしょうざん)
院号  高岳院
    髙嶽院
(松平仙千代の戒名「高嶽院殿華窓林陽大童子」から)
宗派  浄土宗
御本尊 阿弥陀如来
創建年 文治元年(1185年)
開山  法然
正式名 坂松山高岳院一心寺
別称  骨仏の寺
    源空庵

札所等 
圓光大師廿五霊跡第7番
大阪新四十八願所第39番

~・~・~・~

文治元年(1185年)の春、四天王寺の別当であった慈円の要請によって、法然が四天王寺の西門の坂のほとりに四間四面の草庵を結び「荒陵の新別所」と称し、後に「源空庵」と改名して住んだといわれています。後白河法皇が四天王寺参詣の際に訪れて法然と共に日想観を修しました。当時草庵の西は海を遠く見渡せ、極楽浄土の瑠璃の地のようであったそうです。慶長元年(1596年)、三河国の僧侶であった本誉存牟上人が法然上人の旧跡であるこの地で一千日の念仏修法を行い、寿命山観称院一心寺として再興しました。彼の一心称名をもって寺ができたため、一心寺という名になったといわれています。
慶長5年(1600年)2月、徳川家康公の8男仙千代が大坂で夭折し、その葬儀を一心寺で行われました。住持である存牟が家康公と同郷の出身であり、また家康公が浄土宗の信者であったことにもよります。家康は境内の坂の孤松のすがたを讃えて、「坂松山」の山号とその寺額を贈り、仙千代の戒名から「高岳院」の院号も贈ったため、一心寺は坂松山高岳院一心寺と改名しました。

骨仏の寺としてよく知られています。天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、広大な境内です。
斬新な山門は、建築家でもある現長老・高口恭行氏の作品で1997年(平成9年)に完成。鉄とコンクリートで作られ、彫刻家・神戸峰男氏による阿形像・吽形像が存在感を表現わします。その他日本画家・秋野不矩による天女像)や、信徒会館である日想殿(1977年(昭和52年)完成)など現代建築による施設も見所の一つです。

大阪市天王寺区逢阪2丁目8―69

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惣一郎
惣一郎
2021年07月12日(月)1269投稿

一心寺(いっしんじ)は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺院。山号は坂松山(ばんしょうざん)、院号は高岳院。本尊は阿弥陀如来。骨仏の寺として知られる。

平安時代末期の1185年、四天王寺の別当であった慈円の要請により、法然が四天王寺の西門の坂のほとりに四間四面の草庵を結び「荒陵の新別所」「源空庵」と称して居住した。後白河法皇が四天王寺参拝の際に草庵を訪れ、法然とともに「日想観」を修した。一時廃れたが、安土桃山時代の1596年、本誉存牟上人が当地で一千日の念仏修法を行い、寿命山観称院一心寺として再興した。1600年に徳川家康の八男・仙千代が大阪で夭折し、葬儀を当寺で行ったが、家康が境内の松を讃え「坂松山」の寺額を贈り、仙千代の戒名から「高岳院」の院号を贈ったため、坂松山高岳院一心寺と改名した。1614年の大坂冬の陣では、家康の陣が茶臼山に隣接した当寺に置かれた。
江戸時代、当寺は寺社奉行直轄の檀家を持たない特別な寺院となったが衰微していたところ、天保年間(1831年~1845年)に真阿上人が庶民向けに宗派を問わず年中無休で無縁の霊を供養する施餓鬼会を始めるなどして再興した。これで評判となったが納骨が集中し、やがて限界を超えたため、1887年に納骨された遺骨を粉砕して粉にし、鋳型で固めて阿弥陀如来像を制作した。これが骨仏の始まりとなった。1945年の米軍による大阪大空襲でほとんどの伽藍や骨仏を焼失したが、戦後、伽藍は再建され、骨仏も1947年以降、10年ごとに制作されることになった。

当寺は、JR大阪環状線・天王寺駅の北西700mほどの位置にある。高台にある四天王寺の西側にあって、西に向かって徐々に下がって行く坂道の途中にある(地名は<逢坂>)。同一ブロックには動物園、美術館、庭園、古墳、学校などが混在しているが、もとは寺の境内なのかしら?伽藍はコンパクトにまとまっている。観光で行く寺院ではなく、実需があって参拝する寺院という印象。プログレッシブな構造物(仁王門・念仏堂・日想殿)と、古くからの伝統的伽藍(本堂・納骨堂)が混在した、人が絶えず、独特の雰囲気がある寺院。
今回は、大阪府で人気がある有名寺院として参拝することに。参拝時は平日の午後であったが、境内には多くの人がいた。

一心寺のその他建物

寺院入口。<お骨佛の寺>と書かれた塔と、後ろの鉄骨屋根は<仁王門>。

一心寺の像

斬新なデザインの<仁王門>と<仁王像>。

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