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ひぶせ とうきじんじゃ

火防 陶器神社(坐摩神社末社)
大阪府 本町駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

坐摩神社境内に駐車場あり(普通車5台)

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きどっち
きどっち
2026年03月17日(火)1556投稿

摂津国一之宮である坐摩神社の末社となります。

もともとは西区靭南通1丁目に祀られていたそうですが、明治40年に市内電車敷設のためにこちらに移転合祀されたとのことです。
拝殿横には陶器製の灯籠がありました。

<御祭神>
 大陶祇神
 迦具突智神

<御由緒>
嘉永の頃愛岩山将軍地蔵を祀ると伝えられ火防の神として崇敬厚く特に陶器商人は守護神と仰ぎ七月二十三日の大祭には陶器造り人形を各戸競って作り奉納し、地蔵会と共に盛んでした。
当初は靭南通一丁目に鎮座ましましたが明治四十年市内電車敷設のため坐摩神社に移転合祀されました。
祭禮には瓢の水を次て火を防ぐとの故事により陶製瓢と火の要鎮のお札を笹に結び付け参拝者に授ふし亦陶磁器の端物を贈呈したのが祭の起源とされ、北は筋違橋から南は四ツ橋迄の両側二百数十店が軒を並べていたものです。
その後昭和二十年戦災に遭い二十六年六月西横堀浜筋に再建せともの祭と共に復興いたしました。
然し四十六年阪神高速道路敷設により再度立退きのやむなきとなりここに崇敬者の浄財と各地陶芸作家諸先生の賛助により陶器神社の名にふさわしく陶器の宮として当所に御造営の上同年十一月遷宮鎮座し奉りました。

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歴史

 火防陶器神社は明治6年の創建であるが、その起源は明暦年間(1655~1657)にさかのぼる。信濃町(現在の西区靭本町1丁目付近)の石灰商・山田喜六の邸内に火災の難を除かせ給う愛宕山勝軍地蔵が祀られ、夏の地蔵会(7月23・24日)に通りをはさんだ南側の空地に小屋を設けて祀ったところ、多くの参拝者が訪れたという。
 延宝年間(1673~1681)には近隣の西横堀に陶器商が軒を並べ瀬戸物町が形成され、火防のご利益著しいことから特に陶器商の信仰を集めるところとなる。その陶器商らが地蔵会に蔵ざらえ品の安売りを始め、陶器造りの人形が奉納されるようになり、瀬戸物町の地蔵会として賑わいをみせた。
 明治5年には神仏分離の混乱のため地蔵会は中止を迫られるが、当時の大阪府知事渡辺昇氏らの努力により、翌年新たに火防陶器神社が創建され、地蔵会は陶器祭と名を変えて継承された。当初は地蔵会が行われていた空地の北側に建てられたが、明治40年の都市計画によってその敷地に市電が通ることとなり、翌年には坐摩神社境内に移転された。
 昭和18年には戦局激しく、陶器人形の奉納が見送られ、昭和20年には戦火により坐摩神社の社殿とともに悉く焼失し、戦後昭和25年まで陶器祭は中断を余儀なくされた。
 この間、瀬戸物町の陶器商らの尽力により、昭和26年西横堀川の西側(現在の阿波座1丁目付近)に復興し、途絶えていた陶器人形の奉納、せともの祭りも再開した。
 その後、西横堀川に阪神高速道路が建設されることとなり、昭和46年、崇敬者の浄財と各地陶芸作家諸先生の賛助を得て、再び坐摩神社の境内に現在の社殿が造営された。

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火防 陶器神社(坐摩神社末社)の情報

住所大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号 坐摩神社境内 火防陶器神社
行き方

Osaka Metro御堂筋線・四ツ橋線・中央線「本町駅」15番出口・21番出口より徒歩3分

火防 陶器神社(坐摩神社末社)の基本情報

名称火防 陶器神社(坐摩神社末社)
読み方ひぶせ とうきじんじゃ
参拝時間

7:30〜17:30(土日祝〜17:00)

参拝料

なし

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号06-6251-4792(坐摩神社)

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttp://www.ikasuri.or.jp

詳細情報

ご祭神大陶祇神,迦具突智神
創建時代明治6年
ご由緒

 火防陶器神社は明治6年の創建であるが、その起源は明暦年間(1655~1657)にさかのぼる。信濃町(現在の西区靭本町1丁目付近)の石灰商・山田喜六の邸内に火災の難を除かせ給う愛宕山勝軍地蔵が祀られ、夏の地蔵会(7月23・24日)に通りをはさんだ南側の空地に小屋を設けて祀ったところ、多くの参拝者が訪れたという。
 延宝年間(1673~1681)には近隣の西横堀に陶器商が軒を並べ瀬戸物町が形成され、火防のご利益著しいことから特に陶器商の信仰を集めるところとなる。その陶器商らが地蔵会に蔵ざらえ品の安売りを始め、陶器造りの人形が奉納されるようになり、瀬戸物町の地蔵会として賑わいをみせた。
 明治5年には神仏分離の混乱のため地蔵会は中止を迫られるが、当時の大阪府知事渡辺昇氏らの努力により、翌年新たに火防陶器神社が創建され、地蔵会は陶器祭と名を変えて継承された。当初は地蔵会が行われていた空地の北側に建てられたが、明治40年の都市計画によってその敷地に市電が通ることとなり、翌年には坐摩神社境内に移転された。
 昭和18年には戦局激しく、陶器人形の奉納が見送られ、昭和20年には戦火により坐摩神社の社殿とともに悉く焼失し、戦後昭和25年まで陶器祭は中断を余儀なくされた。
 この間、瀬戸物町の陶器商らの尽力により、昭和26年西横堀川の西側(現在の阿波座1丁目付近)に復興し、途絶えていた陶器人形の奉納、せともの祭りも再開した。
 その後、西横堀川に阪神高速道路が建設されることとなり、昭和46年、崇敬者の浄財と各地陶芸作家諸先生の賛助を得て、再び坐摩神社の境内に現在の社殿が造営された。

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