ひぶせ とうきじんじゃ
火防 陶器神社(坐摩神社末社)大阪府 本町駅
7:30〜17:30(土日祝〜17:00)
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | 坐摩神社境内に駐車場あり(普通車5台) |
坐摩神社境内にある陶器神社。創建は明治6年とのことですがもともとの起源は愛宕山の勝軍地蔵を祀ったことから火防の神様なのだそう。灯籠など随所に陶磁器が施されているようでもっとじっくり拝見すればよかったと後悔😣今度拝殿内も見せていただけるか確認しよう😅
火防陶器神社は明治6年の創建であるが、その起源は明暦年間(1655~1657)にさかのぼる。信濃町(現在の西区靭本町1丁目付近)の石灰商・山田喜六の邸内に火災の難を除かせ給う愛宕山勝軍地蔵が祀られ、夏の地蔵会(7月23・24日)に通りをはさんだ南側の空地に小屋を設けて祀ったところ、多くの参拝者が訪れたという。
延宝年間(1673~1681)には近隣の西横堀に陶器商が軒を並べ瀬戸物町が形成され、火防のご利益著しいことから特に陶器商の信仰を集めるところとなる。その陶器商らが地蔵会に蔵ざらえ品の安売りを始め、陶器造りの人形が奉納されるようになり、瀬戸物町の地蔵会として賑わいをみせた。
明治5年には神仏分離の混乱のため地蔵会は中止を迫られるが、当時の大阪府知事渡辺昇氏らの努力により、翌年新たに火防陶器神社が創建され、地蔵会は陶器祭と名を変えて継承された。当初は地蔵会が行われていた空地の北側に建てられたが、明治40年の都市計画によってその敷地に市電が通ることとなり、翌年には坐摩神社境内に移転された。
昭和18年には戦局激しく、陶器人形の奉納が見送られ、昭和20年には戦火により坐摩神社の社殿とともに悉く焼失し、戦後昭和25年まで陶器祭は中断を余儀なくされた。
この間、瀬戸物町の陶器商らの尽力により、昭和26年西横堀川の西側(現在の阿波座1丁目付近)に復興し、途絶えていた陶器人形の奉納、せともの祭りも再開した。
その後、西横堀川に阪神高速道路が建設されることとなり、昭和46年、崇敬者の浄財と各地陶芸作家諸先生の賛助を得て、再び坐摩神社の境内に現在の社殿が造営された。
住所 | 大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号 坐摩神社境内 火防陶器神社 |
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行き方 | Osaka Metro御堂筋線・四ツ橋線・中央線「本町駅」15番出口・21番出口より徒歩3分 |
名称 | 火防 陶器神社(坐摩神社末社) |
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読み方 | ひぶせ とうきじんじゃ |
参拝時間 | 7:30〜17:30(土日祝〜17:00) |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 06-6251-4792(坐摩神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.ikasuri.or.jp |
ご祭神 | 大陶祇神,迦具突智神 |
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創建時代 | 明治6年 |
ご由緒 | 火防陶器神社は明治6年の創建であるが、その起源は明暦年間(1655~1657)にさかのぼる。信濃町(現在の西区靭本町1丁目付近)の石灰商・山田喜六の邸内に火災の難を除かせ給う愛宕山勝軍地蔵が祀られ、夏の地蔵会(7月23・24日)に通りをはさんだ南側の空地に小屋を設けて祀ったところ、多くの参拝者が訪れたという。
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体験 | 御朱印祭り |
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