つゆのてんじんじゃ(おはつてんじん)
露天神社(お初天神)のお参りの記録一覧(10ページ目)
御朱印を始めたばかりのころ、伺いました。
梅田の真ん中にある神社で、参拝しやすい場所です。
平成29年当時はこの御朱印だけだったように記憶しています。
菅公聖蹟二十五拝巡りにてお参りさせて頂いております。
曽根崎心中の舞台になっているので、登場人物の名前をとって、通称「お初天神」と呼ばれています。
悲哀のまま亡くなったというマイナスのエネルギーを、神道はプラスに変えることができるので、いまでは恋愛成就のご利益があります。
こういう「絶対値」的な発想はいいですね。たとえ悪いことがあっても、それが神仏や人々の願いによりプラスになります。現世にも来世にもどこかで希望が見つかりそうです。
自分の生まれ育った文化圏にこういう世界観があって本当に良かったです。
「信者以外は問答無用で地獄行き!」とか正直、勘弁してもらいたいです、、、。
神印の篆と神紋印がお気に入りですw
組み合わさった紋の呼び方って
どうしたら良いんでしょう?w
しかも陰紋なのですよね…
印
陰十六葉菊に陰右三つ巴紋?
露天神社
墨
お初天神
露天神社
近松門左衛門の「曽根崎心中」で有名な神社で、大阪人には通称「お初天神」という名前の方が通じます。
大阪梅田の繁華街のど真ん中にありますが、大阪人には馴染み深い神社ですので、その横に伸びる商店街は「お初天神通り商店街」と呼ばれています。
元々この社があった地域は曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ孤島で、そこに「住吉住地曾根神」と祀っていたと社伝にはあります。
創建は西暦700年頃とされ、「難波八十島祭」(*1)旧跡の一社とされているのだそうです。
天照皇大神を祭神として祀ることから、かつては難波神明社とも呼ばれ、日本七神明(*2)の一つにも挙げられていました。
社名の「露」というのは諸説ありますが、「梅雨のころに神社の前の井戸から水がわき出たため」とか、「菅原道真が太宰府へ左遷される途中、ここで都を偲んで、(露とちる 涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出づれば)との一首を詠んで涙を流したからとも伝えられています。
近松が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書きあげたモデルとなった事件、元禄16年(1703年)に堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が「天神の森(現在の社の裏手)」にて心中を遂げたというのがあるのですが、そのヒロインである「お初」の名前から以後今日に至るまで「お初天神」と通称されています。
でも、本当のお名前は「お妙さん」とおっしゃるようで、得てして事実とはこういうものなんだなと(苦笑)
1、浪速八十島祭とは、天皇の即位礼の翌年に行なはれた皇位継承の儀式の一つで、平安時代から鎌倉中期まで行なはれた。難波(大阪市北区・福島区のあたり)には大小多数の島々があり、これらの島々を大八洲おほやしまに見立て、島々の霊を招き寄せて大八洲の主としての天皇の資格を祝福するものといはれる。
2、東京芝神明宮、京都松原神明宮、京都東山神明宮、大阪難波神明宮、加賀金沢神明宮、信濃安曇神明宮、出羽湯殿山神明宮の七社の神明神社。 日本を代表する神明神社という括りと思われるが、出所などは不詳。『平成祭礼データ』「露ノ天神社由緒略誌」などに記述がみられる。
お初天神通り側の入り口1
お初天神通り側の入り口2
本殿
本殿
神牛舎
露ノ井
『曽根崎心中』の脾
大阪府のおすすめ3選🎍
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