さむはらじんじゃ おくのみや
サムハラ神社 奥の宮岡山県 美作加茂駅
24時間参拝可能
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楽しみ方突如早退が決まりましたが、予定がいきなり無くなってしまうという謎の経緯を経てお伺いしました(笑)
あれは何だったんだろうと思います。
大阪のサムハラ神社にて指輪守を昨年授かりました。そのお礼にお伺いしようとずっと思っていましたが、なかなか予定が合わずに年を越してしまいました。
こういう機会は滅多にないので、神様に呼ばれたのだと思っています。御本殿にサムハラ神社指輪守の箱を供えて拝礼させていただきました。
平日というのに人がわりといらっしゃいました。やはり神様に呼ばれた人だけが行ける神社は人気ですね(^^)
春の装いの中、御神木を前に手を合わせて拝礼をしていると、ごおおっと強めの風が駆け抜けていきました。しかもわりと長めに。御神木の揺れる木の葉の音と共に時間を過ごさせていただきました。
黄砂や花粉でくしゃみ連発しました(笑)
あの雪の日のアングルで写真を撮ろうにも、うまくいきませんでした。日が高いので木が枝で影になるのです。
やはりあの日の御神木の写真が特別なんだと改めて実感しました。
木が一切影にならず輝いている雪の中の写真は、いつも上げようとするとダウンロード失敗になるので諦めます(笑)
雪の時の写真と見比べていただけたら違いがわかりやすいと思います。
貴重なお時間をありがとうございます。
追記。スクリーンショットしたらあげられました!雪の日の御神木です(^^)
由緒です。
サムハラ神社奥ノ宮です。日差しが心地良いですね。
鳥居です。
表札です。
御本殿です。日が高いと影になって分かりにくいですね。
サムハラ神社指輪守の箱です。
サムハラ神社奥ノ宮です。
御神木です。
風が通り抜けたので、見上げた御神木です。
御神木からの風景です。
御神木からの風景です。
金刀比羅神社若一神社です。雪の時と印象がかなり違いますね。
展望台からの風景です。
展望台からの風景です。
展望台からの御神木です。
雪の日の御神木です!御神木だけ雪が積もらず木の下に一切影がないのです。
金刀比羅神社様まで戻りサムハラ神社様の奥の宮は?と思っていると駐車場から登る途中の分岐を金刀比羅神社様と逆に向かえば鎮座されていました。
御祭神は
天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)
高皇産霊大神(タカムスビノオオカミ)
神皇産霊大神(カミムスビノオオカミ)
あらゆるものを生み出した「造化三神」をお祀りされています。
津山市出身の田中富三郎は日露戦争で危機を逃れ、深く信仰しているサムハラ神社様の御加護であると考えました。世にその存在を知らしめたいと考えた富三郎は大阪にサムハラ神社の分霊をお祀りしました。
これが現在の大阪市西区立売堀(イタチボリ)のサムハラ神社様です。
平日の早朝、雪が舞う中ということもあって誰一人会うこともなく静かに神聖な空気を感じながらお詣りすることが出来ました。
美作国東北條郡中原村(現津山市加茂町中原)日詰山山中の城郭址に古祠在り、「サムハラ」を伝える謂われあるも年紀不詳、恐らくは中世の日詰城の場内に守護祠の在ったものかと推測される。歳月の中に古祠荒廃し、付近の住人の細々たる尊栄のみのうちに継がれる。
同地出生の当神社初代主管者、田中富三郎翁の往時により災難除・身体健固の加護に与りて日清・日露の戦役に助かり、常陸丸、鉄嶺丸に難を逃れ、しばしばの危難を避けて無事なるは、奉持したサムハラの護符の御蔭と畏んで、昭和九年に奉賛会たる信光会を催し、昭和十年に荒廃の古祠を再建する。大東亜戦争に至り、大阪師団司令部を通じて出征兵士に御守りを贈呈、武運長久を願う。
戦後昭和二十一年、改めて中原・日詰城山中に社殿再建。次で昭和二十五年、当時の大阪市要人達の賛同を得て大阪中之島豊国神社(当時)の境内に岡山より分霊、中原の社殿は元宮・奥の宮と称する。
昭和三十六年・大阪市役所増築により豊国神社大坂城内に奉遷、当神社も西区立売堀に移築遷座する。
平成十七年、台風の為毀たれた岡山奥の宮を、加茂金刀比羅神社、地元有志の協力を得て加茂町中原900-3の現在地に遷座する。
(※「サムハラ」の字が文字化けしてしまう為カタカナで表記しています)
名称 | サムハラ神社 奥の宮 |
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読み方 | さむはらじんじゃ おくのみや |
参拝時間 | 24時間参拝可能 |
参拝にかかる時間 | 5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり(金刀比羅神社) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | なし |
SNS |
ご祭神 | 天之御中主大神 高皇産霊大神 神皇産霊大神 |
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創建時代 | 不詳(再建は昭和二十一年) |
創始者 | 不詳(再建は田中富三郎) |
本殿 | 一間社流造 |
ご由緒 | 美作国東北條郡中原村(現津山市加茂町中原)日詰山山中の城郭址に古祠在り、「サムハラ」を伝える謂われあるも年紀不詳、恐らくは中世の日詰城の場内に守護祠の在ったものかと推測される。歳月の中に古祠荒廃し、付近の住人の細々たる尊栄のみのうちに継がれる。
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体験 | 御朱印お守り伝説 |
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