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さむはらじんじゃ おくのみや

サムハラ神社 奥の宮の御由緒・歴史
岡山県 美作加茂駅

ご祭神天之御中主大神
高皇産霊大神
神皇産霊大神
創建時代不詳(再建は昭和二十一年)
創始者不詳(再建は田中富三郎)
ご由緒

美作国東北條郡中原村(現津山市加茂町中原)日詰山山中の城郭址に古祠在り、「サムハラ」を伝える謂われあるも年紀不詳、恐らくは中世の日詰城の場内に守護祠の在ったものかと推測される。歳月の中に古祠荒廃し、付近の住人の細々たる尊栄のみのうちに継がれる。
同地出生の当神社初代主管者、田中富三郎翁の往時により災難除・身体健固の加護に与りて日清・日露の戦役に助かり、常陸丸、鉄嶺丸に難を逃れ、しばしばの危難を避けて無事なるは、奉持したサムハラの護符の御蔭と畏んで、昭和九年に奉賛会たる信光会を催し、昭和十年に荒廃の古祠を再建する。大東亜戦争に至り、大阪師団司令部を通じて出征兵士に御守りを贈呈、武運長久を願う。
戦後昭和二十一年、改めて中原・日詰城山中に社殿再建。次で昭和二十五年、当時の大阪市要人達の賛同を得て大阪中之島豊国神社(当時)の境内に岡山より分霊、中原の社殿は元宮・奥の宮と称する。
昭和三十六年・大阪市役所増築により豊国神社大坂城内に奉遷、当神社も西区立売堀に移築遷座する。
平成十七年、台風の為毀たれた岡山奥の宮を、加茂金刀比羅神社、地元有志の協力を得て加茂町中原900-3の現在地に遷座する。
(※「サムハラ」の字が文字化けしてしまう為カタカナで表記しています)

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