おおみわじんじゃ
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大神神社には本殿がありません。三輪山そのものがご神体であり、拝殿から神体山を拝するという自然崇拝に基づく上代の信仰形態を伝えています。
「日本書紀」による創祀のことは、疫病が流行した際、古代大和政権を確立した人物との見方が強い崇神天皇が神託にもとづき、大田田根子を神主として大物主大神を祀り、国に平穏を取り戻したのが大神祭の始まりとされています。
大神神社について記紀の中にも多くの物語があり、神仏習合や廃仏毀釈の時代を強固たる祭祀により乗り切り未来へと続きます。
多くの祭りにも一般の参列が認められるものがあり、機会にあわせて立ち寄ってみてはいかがでしょうか。古代の風が感じられるかも。
本社部分と周辺部に分けて投稿したいと思います。

大鳥居
昭和59年の昭和天皇ご親拝と在位60年を記念して建立。昭和61年完成、高さ32.2m柱間23mで国内屈指の大きさ、車道をまたぐ鳥居としては日本一。

綱越神社 延喜式内社 摂社
大鳥居の右 国道169号桜井より。
祓戸の大神を祀り往昔から夏越しの祓えが例祭として行われます。社名の綱越は「夏越し」が訛ったとされ、例祭「御祓祭おんぱらさい」の名から神社は通称「おんぱらさん」と親しまれます。
本社の最も大切な「卯の日神事」つまり大神祭の奉仕に先立ち、その前日に神主以下奉仕員が初瀬川で禊の儀を受けて、初めて本社の神事に携わる事が出来ました。

本社周辺部を周ってみました。
大直禰子神社の本堂として残り、かっては大神寺あるいは三輪寺と呼ばれた大御輪寺、寺院は完全に消え去り、鎮守社だけが残った尼寺の浄願寺、一旦は消滅しながらも住職や近在有志の努力により復興再建した平等寺。
明治の廃仏毀釈の嵐の中で、大神神社の三つの神宮寺は同時に廃寺となりながらも、まさに三者三様の道をたどっています。
廃仏毀釈の嵐の中で、本当に周囲から必要とされ支えられた寺院であったのか、厳しい選別をされた時代であったのかも。
現在も形を変えた同様の時代が訪れているように思えてなりません。

磐座神社 摂社
三輪山周辺点在する神が鎮まる岩、辺津磐座の中心でご神体は磐座そのもの。
薬の神様、少彦名命を祀り御殿がありません。
磐座を神座とする原始の神道の姿を伝えます。

市杵島姫神社
九州の宗像や安芸の宮島と同じ海の神・水の神である市杵島姫を祀ります。
七福神の中で、芸能や財宝を司る弁天さんとして親しまれます。
この神社は桜井市茅原鎮座の末社・厳島社から勧請。

大神神社(おおみわ~)は、奈良県桜井市にある神社。式内社(名神大)、大和国一之宮、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。平安時代の延喜式神名帳では「大神大物主神社(おほむわのおほものぬしの~)」、中世以降は「三輪明神」と呼ばれ、明治時代に「大神神社」と改称。社殿は拝殿のみで本殿を持たず、拝殿背後の三輪山自体を御神体として、三ツ鳥居を通して仰ぎ見る古神道の形態を持つ。なお、大神神社境内は国の史跡に指定されている。
『古事記』や『日本書紀』にも記載がある古社。創建は不詳だが、有史以前。国史にも当社の奉幣や神階昇進に関する記事が多数あり、朝廷から篤く信仰されていたことが分かる。859年には御祭神の大物主大神の神階が最高位の正一位となった。927年の延喜式神名帳では、「大和国城上郡 大神大物主神社 名神大 月次相嘗新嘗」と記載されている。
中世以降は神仏習合が色濃く、平等寺、大御輪寺、浄願寺という3つの大きな神宮寺のもと、「三輪明神」として信仰を集めた。
明治時代になると、神仏分離令により「大神神社」と改称。神宮寺はすべて廃仏毀釈で廃寺となった。
当社は、JR桜井線(万葉まほろば線)・三輪駅の東側300mの場所に神域入口の二の鳥居がある。さらに200m東に拝殿があり、その東側1kmに三輪山(標高467m)があって、そこまでが神域となっている。主要境内地はちょっとしたアップダウンがある傾斜地になっていて、平野が見渡せる場所もある。
参拝時は週末の朝早くで、大雨が降っていたが、その割には参拝者がけっこういた。
★(祝)奈良県の神社の初参拝は、あこがれの<大神神社>。『古事記』や『日本書紀』に書いてあるって、由緒がスゴイ。
降り止まない大雨が熱烈歓迎...涙 でも、おかげで写真は古社特有のしっとり感が抜群...汗

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