はせでら|真言宗豊山派|豊山( ぶさん )
長谷寺のお参りの記録一覧
青空が広がり、少々ひんやりとした空気。絶好のお参り日和でした。🙌
近鉄長谷寺駅で下車。改札を出ると、リュックを背負っている方々。グループごとに人を待っているご様子。ハイキング日和でもあります。🙌
門前通りには、お店が並んでいます。昔(お参り始めた頃)とあまり変わらないので、ここに来るとホッとします。🤭
西国三十三所観音霊場 第8番札所
山号:豊山
宗派:真言宗豊山派
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:伝686年(朱鳥元年)
【長谷寺正面】
総受付とありますが、休憩場所です。
【仁王門】
現在の建物は、1894年(明治27年)再建されたものです。
【登廊(のぼりろう)】
ここからゆっくりとした石段が続きます。399段だそうです。
【道明上人御廟塔】
【手水舎】
【嵐の坂】
菊の花が季節を教えてくれます。通り抜けできます。
【紀貫之の歌】
【本堂】
御本尊十一面観音さんに手を合わせます。🙏国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大だそうです。右手に数珠と錫杖をもち、左手には水瓶。"長谷寺式十一面観音"
と呼ばれています。
【本堂】
懸造です。
【本堂内陣】
【五重塔】
【大黒堂】
【開山堂】
徳道上人が祀られています。
いただいた御朱印です。
真言宗豊山派総本山は奈良県の桜井市にある長谷寺だ。
自分の育った集落は選択の余地なく真言宗豊山派であった。村の中にいくつもの無人寺があり、1人の住職が10近くも兼務していたのだ。
そんな環境であったためか、真言宗豊山派の広報誌がよく届く。
都内でも真言宗豊山派の寺院にはよく行くし、話こむ。
その時に言われることとと言ったら、もう!
「奈良県の長谷寺に行ったらいいよ」である。
よし!行くぞーーーー!ついでに、朝のお勤めにも参加しようじゃあないか。ということで、長谷寺の前にある宿を予約したのであった。
3時半頃に長谷寺駅に到着。宿の方に迎えに来ていただく。
宿の部屋に荷物を置き、軽い身で長谷寺にゴイゴイスー!
とにかく、見るべきものが多く、閉門の時間を気にしながら走り回ってしまった。
やはり、昼間は観光客も多く慌ただしい。
長谷寺というと、花の寺!その思い込みできたのであるが、季節が悪かったのか、日頃の行いが地獄餓鬼畜生だからなのか、花も紅葉も見ることもなかった。涙。
さてさて、翌朝は、6時半に同じ宿に泊まった人たちと朝の勤行に。
観光客のいないお寺の静けさが又気持ちよい。
前日に見落としていたのだろう。
石段に菊の鉢が置かれ、若い修行僧が手入れをしていた。
境内を丁寧に掃除する姿。
実を言うと、私は9月末で仕事の契約は打ち切りとなり、無職オバサンとして好き放題に生きようと思っていたのだ。時間も出来たし、の旅でもあった。
けれども、この若き僧たちの姿から、丁寧な生き方をしようか、などと思ったのであった。
勤行はもちろん初めてである。実を言うと、私は宗派関係なく、葬儀の席では必ず寝てしまう。座布団に正座して居眠りだ。朝早く、寝てしまわないか。ちと不安でもあった。
だが、そんな心配はなかった。
若い修行僧の太鼓を叩く迫力。まるで、LUNA SEAの真矢みたいだった。 親戚などの法事では常に寝ている私だが、気持ちよく参加出来た。
私の前には、大きな十一面観音菩薩がおられる。
最後の法話でも少し話があったが、怒り、悲しみ、笑いなどの人の感情を表しているのだという。
自分なりにこの十一面観音菩薩と対面しながら考えた事は、この菩薩像は、人の色んな感情、怒りや憎しみなどを十一面観音に表している。
けれども、最後は全てを受け入れて穏やかな顔になるのかな?ということだった。
多分、お寺の関係者、僧侶やらその家族らが聴いたら、「だからお前は地獄行きなんだなあーー」「そんな考えはおかしい」と責められるであろう。
まあ、私が勝手に思ったことだから仕方ない。
最後は本堂から縁に出て、一同が立ち、周りの山に向かい、その山に祀られている神様に祈るのであった。
そういえば、前日に、近くの山の神社を見たな、あ、あそこは行ってない、など思いながらも、地域の為に祈る尊さに感動したのであった。
改めて、神仏習合が良い!と思うのであった。
参道や 菊で埋まりし 勤行よ
https://note.com/shaludone1/n/n836c79c2ce34
こちらに詳しくあります。
実を言うと、受付から本堂までのこの石段。段差が短すぎて歩くのが非常に疲れるのだ。歩幅を短くされてしまうというか。
1段飛ばしに走ったら楽になれた。
奈良県内の寺院巡りの4寺目は、3寺目と同じく桜井市に在る豊山 神楽院 長谷寺です。
西国三十三所観音霊場 第8番札所。
真言宗豊山派総本山で、本尊は十一面観音。
この本尊・十一面観音立像と脇侍の難陀龍王立像、雨宝童子立像は重文です。
この寺院へは過去何度も参拝しており、昨年4月以来の参拝となりますので1年3ヶ月振り。
過去2回投稿しておりますので今回は簡単に。
花の寺としても有名なので、いつ来ても人出が多いのですが、今はアジサイも終わり、殆ど花は咲いていないし、日も傾いた時間帯なので空いていると思い伺いました。案の定、駐車場はガラガラ、500円支払って悠々駐車。山門(仁王門)前に着いても参拝客は私のみ。入山料(500円)を納め仁王門をくぐって境内へ。
静かでいいですね、登廊は貸切り状態、牡丹の時期は登廊の両側に咲き誇っていますが今はなく、両側に在る塔頭(中には入れませんが)の写真を撮りながら上がります。登廊がクランクする所に蔵王堂、最後の登廊を上がって行くと三百余社があり鐘楼の真下で上がり切りとなります。(鐘楼と気付かない人が殆どかと思います。)
すると結構な人、皆さんバッチを着けています。クラブツーリズムのツアーですね。
本堂外舞台へ行ってみると誰も居ませんね、こちらも貸切り状態。それから堂内に入り(実際は本尊が祀られている正堂と礼堂の間を通り抜け出来る所)、左側の赤精童子立像、中尊の十一面観音立像、右側の難陀龍王立像に手を合わせました。高さ10mを超える十一面観音は何度観てもデカい。左手に錫杖を持っていますが、この錫杖を持っている十一面観音を長谷寺式と読ばれています。納経所で御朱印を頂き、境内を少し巡り(本坊、奥の院へは行かず)、下山しました。
御朱印(軸装納経帳)
仁王門(重文)
登廊(重文)・下段部分
道明上人御廟塔
歓喜院
宗宝蔵(清浄院跡地に建つ、春と秋に宝物公開)
梅心院
慈眼院
最初の手水(繋屋の下)
社?
蔵王堂
登廊・上段部分
本堂の懸造り部分
三百余社(重文)
本堂横の手水
鐘楼
本堂(国宝)
本堂外舞台
本堂外舞台から見た本坊、仁王門
愛染堂
稲荷社
三社権現
大黒堂
御影堂
一切経蔵
本長谷寺
五重塔
開山堂
三部権現社
金蓮院
登廊・下段部分を上から
梅雨の合間の何とか天気良好な今日、あじさい見物ということで奈良、桜井へ。
まずは長谷寺。久しぶりの参拝です。早めに出たからか車は門前駐車場に止めれました。
さて回廊へ。結構人は多いです。地植えのあじさいは見頃でしたが、回廊の鉢植えはやや見頃過ぎてます。それでも見事です。若い人も多くていろんな情報ゲットして来てるんでしょうね。
本尊十一面観世音菩薩立像は10mを超えます。特別拝観で無事お足を撫でてきました。本堂のHPにある写真も近いものが撮れました。満足満足。
外人さんも多くて賑やかですが、次は落ち着いたころに来ます。さあ、岡寺へ。
あじさゐ回廊の御朱印いただきました。岡寺、壷阪寺の三寺あじさゐ回廊御朱印の台紙もありましたが、今回は御朱印のみいただきました。
本坊御影御朱印。
能満院日限地蔵さまの御朱印
仁王門
門をくぐると登廊へ。
ここから登廊。
舞台からの景色。
宗宝蔵。博物館です。無料。
宗宝蔵まえから登廊を望む。
登廊が右に折れるところから先は閉鎖されている時もありますが、今は両側が地植えのあじさい、階段部分に鉢植えのあじさいが一杯。ついでに人もいっぱい。
蔵王院前の三鈷杵。
本堂。左手は舞台になってます。
舞台横のところ。HPにもなってます。うまく撮れました。
舞台から本堂。
本堂の舞台側。この中は入れません。(奥を通って参拝します)。
能満院(日限地蔵さん)
能満院
能満院
能満院
大国さん。打ち出の小槌と福袋。
本長谷寺。
五重塔。
御影堂。
本堂から開山堂。この下を左に折れるとあじさい回廊。
あじさい回廊
本坊
本坊大講堂の観音大画軸。
西国三十三所巡りで訪れました。梅雨に入ってすぐでしたが アジサイが見たくて楽しみでした。
皆さん同じことを考えていらっしゃるのでしょう 駐車場はどちらも満車。ずいぶん離れた民間の川沿いのスペースに停められました。
いやぁ長谷寺の境内は広い広い。塔頭も多くあり 写真を撮りながらまわると 2時間以上かかりました。
本堂の御本尊大観音特別拝観は 本堂の内陣のさらに御本尊のところまで行かせていただけ 大観音様に触れることができます。
十一面観世音菩薩の特別拝観時には 拝観者のみ「結縁(けちえん)の五色線」というものを手首につけていただけます。観音様との縁が結ばれた証になるそうです。
堂宇については説明できません。多すぎて。
山号は豊山 院号は神楽院 宗旨宗派は新義真言宗豊山派 寺格は総本山 ご本尊は十一面観音(重要文化財) 創建年は伝・朱鳥元年(686年) 開山は道明 別称は花の御寺 札所等は西国三十三所第8番・真言宗十八本山第16番・神仏霊場巡拝の道第35番(奈良第22番)です。
由緒については
創建は奈良時代 8世紀前半と推定されるが 創建の詳しい時期や事情は不明である。
寺伝によれば 天武天皇の朱鳥元年(686年) 僧の道明が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺が建てられている場所)に三重塔を建立 続いて神亀4年(727年) 僧の徳道が聖武天皇の勅命により東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀ったというが これらのことについては正史に見えず 伝承の域を出ない。
長谷寺は平安時代中期以降 観音霊場として貴族の信仰を集めた。
万寿元年(1024年)には藤原道長が参詣しており 中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。
創建当時の長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺であったが 平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺となり 16世紀以降は覚鑁(興教大師)によって興され頼瑜僧正により成道した新義真言宗の流れをくむ寺院となっている。
天正16年(1588年) 豊臣秀吉により根来山(根来寺)を追われた新義真言宗門徒が入山し 同派の僧正専誉により真言宗豊山派が成立していった。
この後 本堂は焼失したが 徳川家光の寄進によって慶安3年(1650年)再建された。
寛文7年(1667年)には徳川家綱の寄進で本坊が建立されたが 1911年(明治44年)に表門を残して全て焼失した。
しかし 1924年(大正13年)に再建されている。
近年は子弟教育・僧侶(教師)の育成に力を入れており 学問寺としての性格を強めている。
十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ日本各地に多くあり 240か寺ほど存在する。
他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもある。
とありました。
石柱
入山料を支払い
縁起を読み
手水で手を清め
特別拝観の看板を見て
境内地図を見て
いよいよ仁王門をくぐり
下登廊に進みます
雨が降っていても安心 両サイドには塔頭
下登廊から中登廊へ
あじさい回廊
蔵王堂
由縁
三鈷がかっこいい
蔵王権現がいらっしゃいいます
いよいよ本堂
花手水
急に空気が変わります
曽我地蔵
本堂と舞台の間に拝所?
本堂の舞台 清水寺ぐらいかな
扁額
素敵なながめ
鐘楼
特別拝観を終えて出たところ
結縁(けちえん)の五色線
愛染堂
由縁
拝所
御影堂
一切経蔵
由縁
五重宝塔
由縁
三重塔跡
納骨堂
由縁
開山堂
由縁
あじさい回廊を下りてみました
鉢植えもありました
ハイビスカスみたい
この色は初めて見ました
源氏物語に出てくる二本杉
由縁
樹齢何年?
蓮の鉢植えも
本坊にある閼伽井
由縁
本坊の山門
本坊
由縁
こちらにも大河ドラマの影響が
雌雄の鶴
説明
阿弥陀如来坐像と十祖像
説明
大御影大画軸
説明 書置き御朱印は品切れ
長谷寺縁起 六巻
指定有形文化財に指定されています
説明
本坊の中庭
寺事務所
各殿下御手植松
本坊から見た本堂
本坊下の池
【能阿弥さんは、茶道・華道・和歌・絵画など、
「日本文化」の礎を築いた総合プロデューサー】
今日は、真言宗豊山派総本山であり、源氏物語にも登場する奈良の長谷寺へ1年ぶりの参拝。
武者小路千家第15代家元後嗣である千宗屋さんが代表をつとめ、長谷寺で最期に亡くなられた能阿弥さんをたたえるお茶会に参加しました。
感動しました!
これまで能阿弥さんの存在はもちろん存じ上げていましたが、
現代の我々がいわゆる「日本文化」と思っている、茶道・華道・和歌・絵画などに大きな影響を与えた、日本文化総合プロデューサーとしての能阿弥さんは知りませんでした。
能阿弥さんは、75歳で最期は長谷寺で亡くなったことが、
550年前の興福寺のお坊さんの日記に残っています。
そして最期に描かれたのが、この「蓮図」です。
水墨画は基本的に漢詩が添えられていますが、
和歌が詠まれています。中国から入ってきた水墨画に、日本の和歌が詠まれているのは珍しいです。
同じく室町時代の村田珠光さんが、「茶道では、和漢のさかいをまぎらかすことが大事だよ」と仰っていますが、この蓮図こそ、です。
また、私は辞世の句マニアです。
辞世の句に、その人の生き様が表れるからです。
起業していちばん初めの中心事業は、真田幸村や石田三成の辞世の句をしたためたふんどしを売っていたほどです。
(即完売でしたが、他人の褌で相撲を取っては未来がないと思い、紆余曲折あり、ホトカミを始めました。)
というなか、日本文化の総合プロデューサーたる能阿弥さんが最期に描かれた、残した「蓮図」には、本当に感動しました。
また、千宗屋さんが本当に能阿弥さんのことをリスペクトされていて、その功績を現代の人々、そして、未来の人たちに伝えていきたいという熱い想いが伝わってきたことも感動しました。
献茶式での能阿弥さんを讃えるお話も、お茶室での蓮図の解説も、感動して鳥肌が立ったほどです。
ご挨拶させていただいたところ、ホトカミのことも知って下さっていました。
最後に、最近は神主さんお坊さんに限らず、いろんな道のプロの方とお会いしたり、お話する機会が増えました。
私はIT企業の経営者なので、文化の道では、なんでもない素人です。
しかし、自分が良いな!面白い!と思った文化や歴史を伝えたい、体験して欲しいというのが、事業を考える際の根底にあります。
論語に「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」という一説があります。
いまは、好む者ではあるけど、楽しむ者には如かず、といったところ。
いや、もっと楽しむ者になるための努力をしようと思いました。
楽しむためには、より能動的である必要があり、そのためにはスキルや知識が必要で、身につけるための努力をする。
その方が、より良い事業が生み出せる気がしました。
能阿弥さんに想いを馳せていたら、意識が高まってきた。笑
お誘いくださった、清水焼・陶あんの女将さん、本当にありがとうございました。
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