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よしのみくまりじんじゃ

吉野水分神社(吉野町)
奈良県 吉野駅

拝観時間
8:00~16:00(4月のみ8:00~17:00)

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり(2台)ただし道中、道が狭いので車での参詣はお勧めできません。

吉野水分神社(吉野町)について

子守明神と呼ばれている世界遺産の神社


宣長の両親の子守明神への祈願により本居宣長が授けられたといわれている。

おすすめの投稿

ハイチュウ
ハイチュウ
2025年11月17日(月) 14時53分58秒
4222投稿

ちょっと社殿の配置がかわっている神社さん。カタカナのコの字を描くように参拝します。
世界遺産に参詣できたことに感無量です。

吉野水分神社(吉野町)の鳥居
吉野水分神社(吉野町)の鳥居
吉野水分神社(吉野町)の山門・神門

楼門

吉野水分神社(吉野町)の山門・神門
吉野水分神社(吉野町)のその他建物
吉野水分神社(吉野町)の手水舎

手水舎

吉野水分神社(吉野町)のその他建物

延喜式内大社 吉野水分神社

吉野水分神社(吉野町)の山門・神門

楼門をくぐります。

吉野水分神社(吉野町)のその他建物
吉野水分神社(吉野町)の像

木造 西行法師坐像 益田慶運作  
江戸·天明5年(1785)
袈裟を着けた温和な老相の西行像で、西行庵に伝来したが、現在は吉野水分神社にて祀られる。
ヒノキ材の一木造りで、背面の陰刻銘から天明5年、江戸の大井八右衛門定恒が願主となり、益田慶運に彫らせて奉納したことがわかる。

吉野水分神社(吉野町)の本殿・本堂

拝殿

吉野水分神社(吉野町)の本殿・本堂

拝殿

吉野水分神社(吉野町)の本殿・本堂
吉野水分神社(吉野町)の本殿・本堂
吉野水分神社(吉野町)の末社・摂社
吉野水分神社(吉野町)のその他建物

慶長9年(1604)豊臣秀頼公 寄進の神輿(八角八棟造り)

吉野水分神社(吉野町)の本殿・本堂

弊殿

吉野水分神社(吉野町)のその他建物
吉野水分神社(吉野町)の末社・摂社
吉野水分神社(吉野町)の本殿・本堂

本殿

吉野水分神社(吉野町)の本殿・本堂

本殿(左殿)

吉野水分神社(吉野町)の本殿・本堂

本殿(正殿)

吉野水分神社(吉野町)の本殿・本堂

本殿(右殿)

吉野水分神社(吉野町)の本殿・本堂

本殿(三殿一棟)

吉野水分神社(吉野町)の末社・摂社

紫神社

吉野水分神社(吉野町)のその他建物
吉野水分神社(吉野町)の山門・神門

楼門裏

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歴史

創建については不詳である。当社に関する最も古い記録は、『続日本紀』の文武天皇2年(698年)4月29日条で、芳野水分峰神に馬を奉り祈雨したとの記述である。 当神社は、元来は吉野山の最奥部、吉野町、黒滝村、川上村の境に位置する青根ヶ峰に位置したとされる。青根ヶ峰は吉野川の支流である音無川が東へ、喜佐谷川が北へ、秋野川が西へ流れるなどの源流となる山で「水分 = 水配り」の神の鎮座地にふさわしい。大同元年(806年)ごろに現在地へ遷座した。延喜式神名帳では「大和国吉野郡 吉野水分神社」として記載され、大社に列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。前防家が社家。平安時代中期ごろから「子守明神」と呼ばれるようになった。豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれる。現在の社殿は慶長10年(1605年)に秀頼によって創建されたものである。作事の奉行を務めたのは豊臣家臣で尼崎郡代の建部光重。神仏習合時代には、水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ(子守権現)、金峰山の蔵王権現(金峯山寺)に属する神社として修験道の行場の一つとなっていた。明治の神仏分離によって金峯山寺より独立し、村社に列格した。

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吉野水分神社(吉野町)の基本情報

住所

奈良県吉野郡吉野町吉野山1612

行き方

ロープウェイ山上駅からバスで(バス奥千本口下車)
奥千本口から徒歩で30分

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名称

吉野水分神社(吉野町)

読み方

よしのみくまりじんじゃ

参拝時間

拝観時間
8:00~16:00(4月のみ8:00~17:00)

参拝料

なし

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0746-32-3012
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神正殿:主祭神 - 天之水分大神
右殿:配祀神 - 天津彦火瓊瓊杵命、玉依姫命、天萬栲幡千幡比咩命
左殿:配祀神 - 高皇産霊神、少名彦神、御子神
文化財

木造玉依姫命坐像(非公開) 国宝
吉野水分神社社殿 重要文化財
木造天萬栲幡千幡姫命坐像(非公開)重要文化財

ご由緒

創建については不詳である。当社に関する最も古い記録は、『続日本紀』の文武天皇2年(698年)4月29日条で、芳野水分峰神に馬を奉り祈雨したとの記述である。 当神社は、元来は吉野山の最奥部、吉野町、黒滝村、川上村の境に位置する青根ヶ峰に位置したとされる。青根ヶ峰は吉野川の支流である音無川が東へ、喜佐谷川が北へ、秋野川が西へ流れるなどの源流となる山で「水分 = 水配り」の神の鎮座地にふさわしい。大同元年(806年)ごろに現在地へ遷座した。延喜式神名帳では「大和国吉野郡 吉野水分神社」として記載され、大社に列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。前防家が社家。平安時代中期ごろから「子守明神」と呼ばれるようになった。豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれる。現在の社殿は慶長10年(1605年)に秀頼によって創建されたものである。作事の奉行を務めたのは豊臣家臣で尼崎郡代の建部光重。神仏習合時代には、水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ(子守権現)、金峰山の蔵王権現(金峯山寺)に属する神社として修験道の行場の一つとなっていた。明治の神仏分離によって金峯山寺より独立し、村社に列格した。

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