たちばなでら|天台宗|仏頭山
橘寺奈良県 飛鳥駅
9:00~16:30
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
【仏頭山(ぶっとうざん)上宮皇院(じょうぐうおういん)菩提寺(ぼだいじ)】
本尊:聖徳太子
宗派:天台宗
開基:聖徳太子
橘寺は、聖徳太子誕生の地といわれ、太子建立の7カ寺の一つ。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、橘寺という名は、第11代 垂仁天皇の命により不老不死の果実を取りに行った田道間守(たじまもり)が持ち帰った橘の実を植えたことに由来するという。
境内の桜は、見頃を過ぎていますが、八重の桜が美しく咲いていました。参拝は、駐車場に近い西門から入りましたが、本堂は東向きの配置になっており、正式には、東門からのようです。
【東門】
【鐘楼】
【本堂(太子殿)】
【扁額】
【黒駒像】
太子の愛馬。
【観音堂】
本尊の如意輪観音は大きくて迫力があります。いいです。
【護摩堂】
【親鸞聖人】
親鸞聖人は聖徳太子を大変慕っていたゆかりで像が建てられたようです。
【二面石】
【二面石(善面)】
【二面石(悪面)】
【境内の路】
【御衣黄桜】
【白妙】
【普賢象桜】
【往生院】
【往生院の天井画】
【往生院の天井画】
【西門】
【手水舎】
【手水舎の龍】
【西門】
【西門】
【御朱印】
明日香村橘の天台宗橘寺、正式名称は仏頭山上宮皇院菩提寺らしい卍
聖徳太子誕生の地とされ、太子建立7カ寺の一つ。
創建時期は不明ですが、欽明天皇の別宮を改造して造られた当初は、東西870m南北650mの寺地に66棟の堂舎があったそうです。
聖徳太子勝鬘経講讃像、如意輪観音菩薩像、日羅上人像、だ太鼓の縁など重要文化財多数。
この日は秋の特別公開で聖倉殿(収蔵庫)も見学、奈良国立博物館から一時帰宅(?)の、聖徳太子絵伝(重文)の一部も見られました😄
御朱印は本堂にて二ついただきました🖌️
西門近くに駐車場ありました🅿
コスモス撮影の方も多数📷
カエルさんがお出迎え🐸
本堂と太子のお馬「黒駒ちゃま」🐴
二面石
経堂の賓頭盧さん✋
放生池
往生院天井画
五重塔跡
観音堂
創建年代不詳。文献に初めて登場するのは天武9年(680)。聖徳太子誕生の地といわれ、太子建立の7カ寺の一つ。8世紀には66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとっていた。現在は江戸期に再建された本堂(太子殿)など、わずかな諸堂を残すのみとなっている。室町時代の聖徳太子坐像(重要文化財)をはじめ、善悪2つの顔が刻まれた二面石などがある。境内には3つの副柱の穴をもつ塔心礎が残る。
名称 | 橘寺 |
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読み方 | たちばなでら |
参拝時間 | 9:00~16:30 |
参拝料 | 大人:400円 中高生:300円 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0744-54-2026 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://tachibanadera-asuka.jimdo.com |
新西国三十三箇所 第10番 | 御本尊:如意輪観音 御詠歌: 仏いで 花ふるにはの ありけるに 遠きくにとは 何おもうらん |
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聖徳太子霊跡 第8番 | 御本尊:聖徳太子 |
ご本尊 | 聖徳太子 |
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山号 | 仏頭山 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 創建不詳 |
開山・開基 | 聖徳太子 |
文化財 | 聖徳太子勝鬘経講讃像、聖徳太子孝養像、田道間守像、六臂如意輪観世音菩薩像、日羅上人像、地蔵菩薩立像、だ太鼓の縁、橘寺型石灯炉、聖徳太子絵伝八幅、釈迦涅槃図(国指定重要文化財) |
ご由緒 | 創建年代不詳。文献に初めて登場するのは天武9年(680)。聖徳太子誕生の地といわれ、太子建立の7カ寺の一つ。8世紀には66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとっていた。現在は江戸期に再建された本堂(太子殿)など、わずかな諸堂を残すのみとなっている。室町時代の聖徳太子坐像(重要文化財)をはじめ、善悪2つの顔が刻まれた二面石などがある。境内には3つの副柱の穴をもつ塔心礎が残る。 |
体験 | 仏像食事・カフェ御朱印重要文化財札所・七福神巡り |
概要 | 橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村橘にある天台宗の寺院。山号は仏頭山。本尊は聖徳太子。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、橘寺という名は垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。観音堂は新西国三十三箇所第10番札所で本尊は如意輪観音である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 橘寺の付近には聖徳太子が誕生したと言われている場所があり、当寺は聖徳太子建立七大寺の1つとされている。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わる。史実としては橘寺の創建年代は不明で、『日本書紀』天武天皇9年(680年)4月条に、「橘寺尼房失火、以焚十房」(橘寺の尼房で火災があり、十房を焼いた)とあるのが文献上の初見である[1]。 考古学的には、当寺出土の古瓦のうち、創建瓦とみられる複弁蓮華文軒丸瓦は7世紀第I四半期に位置付けられ、当寺の創建はこの頃とみられる。ただし、この時期の瓦の出土は少なく、本格的な造営が行われたのは7世紀半ば以降とみられる。橘寺の北側には官寺...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「橘寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A9%98%E5%AF%BA&oldid=98596223 |
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