たちばなでら|天台宗|仏頭山
橘寺奈良県 飛鳥駅
9:00~16:30
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楽しみ方
関西シリーズ最終日の最後は橘寺さん。直書きの御朱印を拝受。聖徳太子誕生の地だそうです。これにて3日間の関西シリーズを終了。またいつの日か戻ってきます!

聖徳太子生誕の地。なので境内は見どころもいっぱい。本堂には御本尊・聖徳太子像に、珍しい伝教大師の像と法然上人の像が隣同士に。そして個人的には一番気になった田道間守。菓祖神として崇められ、京都の吉田神社内の菓祖神社でも祀られていますが像は初めて拝見しました🤗観音堂横には親鸞聖人像もありなかなかの顔ぶれ。各御堂お参りして御朱印を拝受いただきました🤗
聖徳皇太子御誕生所石碑(東側参道)
同石碑(北側参道)
歌碑?
上の訳
歌碑
由緒
山門(西側)
手水舎
同扁額
歌碑
石塔三体
親鸞聖人
護摩堂
大棟鬼瓦
観音堂
同正面。如意輪観音。
同扁額
金堂跡
経堂・阿弥陀如来
賓頭盧さん
本堂・太子堂
新西国霊場表札
三光石
阿字池
土蔵
五重塔跡
境内図と年表
本坊
鐘楼
廻廊跡
歌碑
同説明
聖倉殿
往生院
同扁額
天井画
お犬様
歌碑
同
辨天堂
放生池
二面積案内
悪面
善面
神馬。ちょっとやつれ気味?
中門跡
東門横。
東門。正門・
阿
吽
参道

実は早咲きの河津桜を目当てに明日香村にきたのですが、今年は寒波襲来でまたまだ蕾…
諦めて帰ろうと、思いましたが通りがかりに見かけた橘寺さまにお邪魔しました^ ^
こちらも創建時は広大なお寺であったとのことでかの聖徳太子さまが建立され、さらにはお生まれになった橘の宮があったところとのこと^ ^
以下、橘寺の創建と変遷より
当寺は、聖徳太子様のお生まれになった所で、当時ここには、橘の宮という欽明天皇の別宮があった。太子は、その第四皇子の橘豊日命(後の三一代用明天皇)と穴穂部間人皇女を父母とされて、西暦五七二年この地にお生れになり、幼名を厩戸皇子、豊聡耳皇子などと申し上げた。太子は大変深く仏法をご信仰になり、自ら仏典の講義をされ注釈を加えられたのが三経義疏で、現在も保存されている。三三代推古天皇一四年秋七月(西暦六〇六)に、天皇の仰せにより、勝鬘経を三日間にわたりご講讃になった。その時、大きな蓮の花が庭に一mも降り積もり(蓮華塚)、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ち(仏頭山)、太子の冠から日月星の光が輝き(三光石)、不思議な出来事が起こったので、天皇は驚かれて、この地にお寺を建てるよう太子に命ぜられた。そこで御殿を改造して造られたのが橘樹寺で、聖徳太子建立七カ大寺の一つに数えられた。当初は東西八丁(八七〇m)南北六丁(六五〇m)の寺地に、金堂、講堂、五重塔を始め六六棟の堂舎が建ち並んでいた。天武天皇九年(西暦六八一)尼房失火の為十房焼いた記録があり(日本書紀)、当時尼寺であったのか。光明皇后より丈六の釈迦三尊、淳和天皇が薬師三尊をご寄贈になり、不断法華転読及び法華八講が修法せしめられた。法隆寺の金堂日記の中に「橘寺より小仏四九体、承暦二年(西暦一〇七八)十月八日迎え奉った」と記されており、玉虫厨子を移したのもこのころか。近衛天皇久安四年(西暦一一四八)五月十五日雷火のため五重塔焼失。六十年後鎌倉時代文治年間三重塔再建、「元興寺より四方仏を迎え奉った」などの記録あり。後柏原天皇永正三年(西暦一五〇六)、多武峯の兵により焼かれ全く昔日の面影を無くしてしまい、江戸時代には正堂、念仏堂共に大破し僧舎一棟のみと記されている。現在の堂は、元治元年(西暦一八六四)多くの人々の力により再建実現したものである。昔は法相宗であったが、江戸中期より天台宗になり比叡山延暦寺の直末で仏頭山上宮皇院橘寺、別名菩提寺とも言われている。
創建年代不詳。文献に初めて登場するのは天武9年(680)。聖徳太子誕生の地といわれ、太子建立の7カ寺の一つ。8世紀には66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとっていた。現在は江戸期に再建された本堂(太子殿)など、わずかな諸堂を残すのみとなっている。室町時代の聖徳太子坐像(重要文化財)をはじめ、善悪2つの顔が刻まれた二面石などがある。境内には3つの副柱の穴をもつ塔心礎が残る。
歴史をもっと見る|| 名称 | 橘寺 |
|---|---|
| 読み方 | たちばなでら |
| 参拝時間 | 9:00~16:30 |
| 参拝料 | 大人:400円 中高生:300円 |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0744-54-2026 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://tachibanadera-asuka.jimdo.com |
| 新西国三十三箇所 第10番 | 仏さま:如意輪観音 御詠歌: 仏いで 花ふるにはの ありけるに 遠きくにとは 何おもうらん |
|---|---|
| 聖徳太子霊跡 第8番 | 仏さま:聖徳太子 |
| ご本尊 | 聖徳太子 |
|---|---|
| 山号 | 仏頭山 |
| 院号 | 上宮皇院 |
| 宗旨・宗派 | 天台宗 |
| 創建時代 | 606年(推古天皇14年)頃 |
| 開山・開基 | 聖徳太子 |
| 文化財 | 聖徳太子勝鬘経講讃像、聖徳太子孝養像、田道間守像、六臂如意輪観世音菩薩像、日羅上人像、地蔵菩薩立像、だ太鼓の縁、橘寺型石灯炉、聖徳太子絵伝八幅、釈迦涅槃図(国指定重要文化財) |
| ご由緒 | 創建年代不詳。文献に初めて登場するのは天武9年(680)。聖徳太子誕生の地といわれ、太子建立の7カ寺の一つ。8世紀には66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとっていた。現在は江戸期に再建された本堂(太子殿)など、わずかな諸堂を残すのみとなっている。室町時代の聖徳太子坐像(重要文化財)をはじめ、善悪2つの顔が刻まれた二面石などがある。境内には3つの副柱の穴をもつ塔心礎が残る。 |
| 体験 | 仏像食事・カフェ御朱印重要文化財札所・七福神巡り伝説 |
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