ほっけじ|光明宗
法華寺のお参りの記録一覧
秋の特別拝観。ガイドブックなどでよく見る、珍しい光背が蓮の国宝十一面観音像を拝見に。綺麗‼︎ため息が出る。光背が繊細で、蓮の花を背負っているから女性的なのかと思ったらお顔立ちは男性的。こちらもお気に入りリスト入りで。
奈良市にある光明宗の本山の門跡尼寺で、総国分尼寺と位置付けられていたとのことです。
非公開の本尊・十一面観は国宝、豊臣家により再建された本堂、鐘楼、南門は重要文化財に指定されています。
本堂(重要文化財):1601年に豊臣秀頼と淀殿により再建
鐘楼(重要文化財):1602年に豊臣秀頼と淀殿により再建
南門(重要文化財):1601年に豊臣秀頼と淀殿により再建
浴室(重要有形民族文化財):1766年再建
赤門:江戸時代中期築
【法華寺(ほっけじ)】
本尊:十一面観音
宗派:光明宗
開基:光明皇后
法華寺の歴史は、第45代聖武天皇(在位:724-749)の后・光明皇后の発願によってはじまる。父・藤原不比等の死後、皇后は子どものころから住み慣れた邸宅を皇后宮とされる。その後、皇后宮を宮寺に改め法華寺とした。正式には法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)といい、総国分寺である東大寺に対し、総国分尼寺(にじ)として、女人成仏の根本道場としての役割を担った。元は真言律宗であったが、1999(平成11)年に同宗を離脱、光明宗としている。
大和路秀麗 八十八面観音巡礼 で参拝。
【赤門(東門)】
【南門】
重要文化財。桃山建築の特色豊かな四脚門(よつあしもん)。
【本堂】
重要文化財。淀殿の寄進により、桃山時代、1601(慶長6)年に再興された建物。
【鐘楼】
重要文化財。
【護摩堂】
【護摩堂】
【慈光殿】
【慈光殿】
【浴室(からぶろ)】
重要有形民俗文化財。「からぶろ」とは今でいうサウナのこと。現在の建物は1766(明和3)年に再建されたもの。傍らの井戸は常に清らかな水をたたえています。
【浴室】
扁額。
【横笛堂】
【光月亭(旧東谷家住宅)】
【光月亭(旧東谷家住宅)】
【十一面観音立像:参拝朱印帳】
★慈悲深き光明皇后のお姿を写したとされる★
天竺(インド)の仏師・問答師が、光明皇后のお姿を模して刻んだと伝わります。 ほの暗いお厨子の中にくっきりと浮かび上がる十一面観音(国宝)を拝すると、 その生き生きとしたお姿にうっとりします。右足は今にも踏み出して、 こちらに歩んでこられるかのよう。これは蓮池を渡っているお姿といわれています。 天衣をつまんだ右手や、蓮台から突き出してぴんと立てた右足の親指に、 軽やかに弾む御心がうかがえ、光明皇后の慈悲の精神が伝わってきます。(HP大和路秀麗 八十八面観音巡礼より)
今回は奈良でも未訪問の神社仏閣へ。まずは法華寺。
朝一番に訪れたのはHPに「蓮の花が咲いた」とあったからなのですが、あまり見つけられず???気を取り直して本堂へ。
光明皇后の発願で作られた門跡寺院で 1,300 年の歴史を有します。東大寺に対する女人根本道場として完成時には金堂、食堂、講堂、東西両塔など広大な伽藍を誇ったそうです。
本尊は十一面観音菩薩です。
ご本尊十一面観音の御朱印です。
赤門から中へ。この先に拝観受付があります。
復元された護摩堂。
本堂です。
鐘楼。
浴室。
光月亭。月ヶ瀬村から移築されたそうです。
少しだけ蓮。
鉢植えでしたが、法華寺蓮。ふちがほんのりピンクが特徴。
令和4年10月下旬は、奈良県奈良市編です🦌
最初は平城宮跡の東に位置する、光明宗法華寺の秋の特別公開へ卍
聖武天皇の后・光明皇后が創建した総国分尼寺。
特別公開される本尊十一面観音菩薩立像と絹本着色阿弥陀三尊及び童子像三幅はともに国宝✨
また通常公開の維摩居士(ゆいまこじ)坐像も国宝です👍
ほかに釈迦如来仏頭、梵天・帝釈天頭部や本堂、南大門、鐘楼堂などが重要文化財に指定。
比較的広い駐車場があって助かります🚙
御朱印は複数ある中から、十一面観音と阿弥陀三尊をいただきました😊
入り口の赤門。
すぐ前に駐車場🅿
淀殿の寄進による本堂。
本尊十一面観音立像、維摩居士坐像はこちら👀
鐘楼堂
横笛堂
薬師堂
護摩堂の前の池にて🐢
慈光殿。
絹本阿弥陀三尊及び童子像はこちら👀
浴室(からふろ)
日本最古の風呂と言われる蒸し風呂(サウナ)
光月亭。
中で無料コーヒーサービス☕😄
十一面観音にはお守り犬の押印🐕
東大寺を創建した聖武天皇の皇后となった、藤原光明子が女人のための総国分尼寺として、法華寺の名で知られる法華滅罪之寺として創建。
一説に東大寺が女人の参拝を禁じたため、光明皇后が父の藤原不比等の宅を移建し、十一面観音を安置し男子不入の国分尼寺としたという。
都が平安京に遷り平安後期には荒廃したが、平重衡率いる軍勢により大きな被害を受ける。
鎌倉時代には、東大寺俊乗坊重源や叡尊により復興を進める。
叡尊は、寺内に戒壇を設け尼僧に戒律を授け、明治に至るまで唯一の尼僧の戒壇道場となります。
室町時代には、兵火や地震でほとんどの伽藍を失い、興福寺の末寺の西大寺の末寺となっています。
江戸時代から正式に門跡寺院となり現在に続きます。
平成11年に真言律宗から独立し、光明宗となります。
法華寺の鳥居といわれるものは、確認しておりません。
赤門
参拝時は彼岸花が咲いていました。淀君が復興。
横笛堂
「平家物語」などで語られる横笛、尼となった後に住んだとされる。
飛び地境内にあったものを寺内に移築。
喜一稲荷神社
薬師堂
鐘楼
上層に縁や高欄を設けない珍しい形式。
本堂や南門と同時に復興されたものか。
護摩堂
平成16年建立。室町時代に倒壊して以来の復興。
南門
正門、1601年淀君が復興。
万葉歌碑
いにしへの古き堤は年深み池の渚に水草生ひにけり 万葉集巻三・山部赤人
本堂
創建時の講堂位置に、淀君が豊臣家の家老であった片桐且元を奉行に復興。
慈光殿
宝物館。昭和54年建立。
名勝庭園
本堂奥の本坊客殿と庭園は江戸初期に仙洞御所から五されたもの。
参拝時は公開されていませんでした。
会津八一歌碑
ふちはらのおほききさきを うつしみにあひみるごとく あかきくちびる
華楽園
蓮池 コロナ禍の影響か、前回訪問時ほど手入れがされてなくて
から風呂
江戸時代に再建された一種の蒸し風呂。
光明皇后が病人・貧者を入浴させたとの伝承。
から風呂横の井戸
常に清らかな水をたたえたと。
光月亭
梅林で名高い月ヶ瀬村の旧東谷家住宅を、昭和46年に移築。
華楽園内の華供養碑
不退寺から歩く事10分。
大和北部八十八箇所霊場特別札所の光明宗寺院。ご本尊は十一面観音です。
「大和三門跡寺院」の一つで、光明皇后によって創建された総国分尼寺院です。
今回は訪れることが出来ませんでしたが、4月〜6月にかけて杜若が綺麗に咲く頃に庭園を開放させてくれるそうです。
閉門近くに訪れましたが、本堂では門跡様が読経をしており、どこかピリッとした雰囲気になりました。
から風呂と呼ばれる「浴室」です。
光明亭。
月ヶ瀬にあった旧東谷家の住宅を移築したものです。
鐘楼堂です。
本堂です。この中でお参りをして御朱印をいただきました。
護摩堂です。
平成16年に再築されました。
奈良県のおすすめ2選❄️
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