こうじょうじんじゃ
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本来は大仏殿などから二月堂へ向かうと一番最初にお詣り出来る お社様の興成神社様へ向かいました。
御祭神は
豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
をお祀りされています。
二月堂で行われるお水取り(修二会)の行法を守護する三社の内の一座になります。
二月堂を建立した実忠が全国の神々を招いて法要を行った際に若狭国の遠敷明神だけは魚釣りに夢中になっていて遅刻してしまいました。遅刻を申し訳なく思った遠敷明神がお詫びとして二月堂の下にある大岩を叩き割ると そこから若狭の清らかな水が湧き出しました。これが若狭井です。
大岩を打ち破って水が湧き出た時に地中から白と黒の二羽の鵜が飛び出してきました。この飛び出してきた二羽の鵜を神の化身として祀ったのが興成神社の始まりとされています。
ここまで紹介させて頂いてきた二月堂で行われる行法の守護三社。位置取りにも意味があるそうです。
修二会の過さ伝承には魔物が水を奪おうとする話が登場します。このように修二会の主役である若狭井の聖なる水は2月の法要期間中常に魔物に狙われると考えられていました。
興成神社様
二月堂の西側(舞台下・一番下)
若狭井(閼伽井屋)のすぐ隣に鎮座されています。
井戸から直接現れた白と黒の鵜(神の化身)をお祀りすることで聖水の湧き出し口を間近で死守する役割。
飯道神社様
二月堂の東側(山側・上)
背後の山から忍び寄る魔物や災いを上から見張り食い止める役割。
遠敷神社様
二月堂の北東(少し離れた山中)
遅刻した遠敷明神をお祀りし若狭がある北の方向を意識し聖水の源流を見守る役割。
このように二月堂守護三社が鉄壁の布陣を敷いていて これにより若狭井と二月堂を外敵や魔物から立体的に守る結界の役割を果たされています。
若狭井のすぐ側で鎮座されていたので 何か謂れがあるんやろなぁと思っていたのですが 結界の一角とは!!
ここでも深く得心することが出来ました(´▽`)

興成神社は二月堂の舞台下に鎮座される神社です。
こうじょうじんじゃと読みます。
二月堂の鎮守社として創建されたそうです。
舞台下の芝生の中に鎮座されていますが 本殿まで近づいて参拝できます。
二月堂の参拝者は多いですが 興成神社本殿で参拝したのは私たち夫婦だけでした。
外国の方は興味津々だったようで 私たちの後に続いておられました。
ネット情報です。
東大寺興成神社は二月堂西側で 東大寺初代別当・良弁僧正ゆかりの良弁杉近くに祀られています。
興成神社は二月堂周辺に祀られている飯道神社・遠敷神社とともに二月堂の鎮守神とも言われています。
なお興成神社は豊玉媛命(とよたまひめのみこと)を祀っています。
興成神社は遠敷明神(おにゅうみょうじん)が若狭から送水された際 黒・白二羽の鵜が岩盤を打ち破って飛び出し その後甘泉・若狭井が湧き出したことからその黒・白二羽の鵜を祀ったのが起源です。
平安時代に「能く不死薬を取りて人に与え食せしめ 長生の齢を保たしむ」という誓願を持つ菩薩として信仰され 平安時代に既に現在の場所に祀られていたとも言われています。
遠敷明神は福井県小浜市の若狭彦神社のことです。
若狭彦神社では東大寺・若狭井に通じているとも言われている遠敷川中流にある鵜の瀬でお水送り神事が行われていました。
現在は若狭彦神社の神宮寺であった若狭神宮寺が主体として行っています。
若狭神宮寺には閼伽井戸もあります。
なお若狭彦神社は社伝によると奈良時代初期の714年(和銅7年)9月10日に彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が示現した白石の里に若狭彦神社上社が創建され 翌715年(霊亀元年)9月10日に現在の場所に移されたと言われています。
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|興成神社(東大寺境内社)の情報
| 住所 | 奈良県奈良市雑司町406 |
|---|---|
| 行き方 |
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