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元興寺ではいただけません
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がんごうじ|真言律宗

元興寺
奈良県 近鉄奈良駅

9:00〜17:00(入門は16:30まで) 

御朱印について
御朱印
あり

「智光曼荼羅」の御本尊の御朱印の他、「瑠璃光」と書かれた薬師如来と御詠歌、大和地蔵十福霊場「印相地蔵」、見開きでいただける「南無上宮太子」(ぼさつの寺めぐり)の5種類の御朱印を拝受できます。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

元興寺について

日本最古、飛鳥時代の瓦が残るお寺


西国四十九薬師霊場第5番札所

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のぶさん
のぶさん
2022年08月30日(火)
1574投稿

元興寺は蘇我馬子が崇峻天皇元年(588)、飛鳥に創建した飛鳥寺(法興寺)を基とします。
日本最初の本格的伽藍寺院、「仏法興隆」の寺の由緒から、平城遷都にともない、「元興寺」として養老2年(718年)に寺籍を平城左京(外京)に新築移建されました。創建当初の新たな金堂本尊は弥勒如来であり、飛鳥大仏(釈迦如来)は旧地に留まり、初伝の三論、法相教学の拠点として優秀な僧を輩出しました。その学問僧たちが寄宿し学問した堂舎が僧坊であり、「元興寺極楽坊縁起」に登場する智光と礼光(頼光)は同朋であったといいます。
智光法師には三論宗の「浄名玄論略述」や浄土教の「無量寿経論釈」など多くの著述があったとされます。特に阿弥陀如来西方極楽浄土の信仰に係わる先駆的著作として、天台の良源や恵信の「往生要集」などに引用され、平安時代半ばから隆盛となる阿弥陀浄土信仰において、智光の存在は再評価されました。智光が感得した阿弥陀極楽浄土の変相図、すなわち「智光曼荼羅」にまつわる説話は慶滋保胤(~1002)の「日本往生極楽記」に著されて、智光の住んだ僧坊は、極楽浄土図を本尊としたが故にか、あるいは往生者の智光、礼光に因み「極楽坊」とよばれて浄土信仰の聖地のひとつとなりました。
元興寺の伽藍堂舎は律令体制の衰退にともない退転を余儀なくされましたが、その旧境内には庶民の町屋が建てられて「ならまち」が中世以来成立してゆきます。
浄土往生信仰が庶民層に広がると、その庶民の信仰により極楽坊は護持されてきました。智光曼荼羅の原本は焼失しましたが、各種の写本を伝え、曼荼羅堂(極楽堂)と禅室(僧坊)が国宝建造物として現存し、近年世界文化遺産に登録されました。

元興寺の山門
元興寺(奈良県)
元興寺の本殿
元興寺の建物その他
元興寺(奈良県)
元興寺の建物その他
元興寺の手水
元興寺(奈良県)
元興寺(奈良県)
元興寺(奈良県)
元興寺(奈良県)
元興寺(奈良県)
元興寺(奈良県)
元興寺(奈良県)
元興寺(奈良県)
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歴史

 元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
 明治維新の回禄により門流が途絶え、無住化しました。しかし、昭和十七年より真言律宗大本山宝山寺の実質支配となり中興されることになりました。そして、戦後の文化財保護法や宗教法人等の制定によって復興されました。

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元興寺の基本情報

住所奈良県奈良市中院町11
行き方

近鉄奈良駅
 徒歩・・駅から15分
 バス・・福智院町下車、徒歩5分 
JR奈良駅
 徒歩・・駅から20分
 バス・・田中町下車、徒歩5分

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名称元興寺
読み方がんごうじ
参拝時間

9:00〜17:00(入門は16:30まで) 

トイレあり
御朱印あり

「智光曼荼羅」の御本尊の御朱印の他、「瑠璃光」と書かれた薬師如来と御詠歌、大和地蔵十福霊場「印相地蔵」、見開きでいただける「南無上宮太子」(ぼさつの寺めぐり)の5種類の御朱印を拝受できます。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0742-23-1376?7
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://gangoji-tera.or.jp/
おみくじあり
絵馬あり

巡礼の詳細情報

西国薬師四十九霊場

第5番

御真言:

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

神仏霊場巡拝の道

大和北部八十八ヶ所

第9番

御本尊:智光曼荼羅(阿弥陀如来)

詳細情報

ご本尊智光曼荼羅(阿弥陀如来)
宗旨・宗派真言律宗
ご由緒

 元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
 明治維新の回禄により門流が途絶え、無住化しました。しかし、昭和十七年より真言律宗大本山宝山寺の実質支配となり中興されることになりました。そして、戦後の文化財保護法や宗教法人等の制定によって復興されました。

体験世界遺産御朱印札所・七福神巡り

Wikipediaからの引用

概要
元興寺(がんごうじ)は、奈良県奈良市にある寺院。南都七大寺の1つ。 蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院である。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退した。 現在、次の3寺院が分立する。 元興寺(奈良市中院町) 旧称「元興寺極楽坊」。1978年(昭和53年)「元興寺」に改称。 真言律宗、西大寺末寺。本尊は板絵智光曼荼羅。元興寺子院極楽坊の系譜を引き、鎌倉時代から独立。本堂・禅室・五重小塔は国宝。境内は国の史跡「元興寺極楽坊境内」。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の1つ。 元興寺(奈良市芝新屋町) 別称「元興寺塔跡」。 華厳宗、東大寺末寺。本尊は十一面観音。元興寺五重塔・観音堂(中門堂)の系譜を引く。木造薬師如来立像は国宝。境内は国の史跡「元興寺塔跡」。 小塔院(奈良市西新屋町) 真言律宗。本尊は虚空蔵菩薩。元興寺小塔院の系譜を引く。境内は国の史跡「元興寺小塔院跡」。
歴史
歴史[編集] →「§ 衰微と分立」、および「§ 智光曼荼羅と尊像の信仰」も参照 極楽院は明治以降は荒れ果て、現在国宝に指定されている本堂も1950年(昭和25年)ころまでは床は落ち、屋根は破れて「化け物が出る」と言われたほどの荒れ方であった。 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)に極楽院の住職となった辻村泰圓は、戦後になって戦災孤児のための社会福祉事業に尽力するかたわら、境内の整備や建物の修理を進めた。1962年(昭和37年)には辻村により境内に財団法人元興寺仏教民俗資料研究所が設立され(1978年(昭和53年)に元興寺文化財研究所と改称)、1965年(昭和40年)には寺宝を収蔵展...Wikipediaで続きを読む
引用元情報元興寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%83%E8%88%88%E5%AF%BA&oldid=102385210
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