てながじんじゃ
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楽しみ方手長神社のお参りの記録一覧(2ページ目)

甲斐・諏訪神社巡り③八剱神社から街中を通り向かいました。到着したのは鳥居の前、三の鳥居でした。上諏訪駅から徒歩でくれば一の鳥居からこれたようですが、車で来るとこのようなことがままあります。一の鳥居には社号標も手水舎もあり、又その水は温泉のようです。そこから石段を相当数上った地が三の鳥居というわけです。帰宅してから気づき残念に思いました。こちらは諏訪大社上社の境外末社で先程の足長神社の夫婦神になります。境内は結構広く多くの境内社があり、先程の八剱神社にもあった土着神を祀っている御社宮司社もありました。拝殿は片拝殿付きで回廊まである諏訪大社の形態ですが、この形になったのは差ほど古くはないそうです。境内から諏訪の街や諏訪湖を眺めながら少し奥へ行くと狛鯱のある聖徳神社に行くことが出来ます。社務所でお声掛けし、ご丁寧な御朱印を書き入れていただきました。今回はこれで諏訪地区終了。せっかく来たのに諏訪大社へは行けませんでした。

三の鳥居

手水舎

狛犬


石段

神楽殿

むすびの大欅

一之御柱跡地
今年は無事に諏訪大社の御柱祭が執り行われました。この地にも9月には新しい御柱が建てられます


境内社




灯籠

狛犬




石段


拝殿

灯籠


扁額「手長宮」



境内社鳥居

境内社 龍王大明神

境内社鳥居

境内社 松尾大明神

境内社 彌榮神社(手長神社旧本殿)宝永六年(1709)造営



片拝殿

由緒書

御神木 延命杉


片拝殿

手水

回廊



境内より諏訪湖を望む




聖徳神社 社号標

境内社 聖徳神社

鯱






こちらで水占いが出来ます




諏訪大社上社末社であり、奇稲田姫命さまの親神として登場する手名椎命さまを祀る数少ない神社です。諏訪地方に攻め入った諏訪大社御祭神の建御名方命さまに随従したそうです。今回は御柱祭が終了した次の日に参拝しましたがなにか動きはあるのでしょうか?

《三の鳥居と手水舎》
境内入り口にあるのはなんと三の鳥居!車で境内前までショートカットしてしまいましたが本来は長い階段があったようです。

《由緒書き》
実は諏訪大社の上社境外末社ではありますが、上社の末社三十九所という境外にある末社群の中には手長神社は含まれておらず、関係ある神社ではありますが基本的には独立していたと思われます。

《神楽殿》
酒樽が積んでありますね。

《拝殿》🙏
心なしか上社本宮の拝殿によく似た建築様式に感じます。

《扁額》

《回廊》
👁チェックポイント‼️
境内に入るとまず階段下で氏子さん型と思われる方々がなんかたくさんの綱をいろんなところに引き摺り回していました。やはりここも諏訪大社の末社ということで御柱祭に合わせて境内の御柱が取り替えられるようです。

《由緒書き2》
ここの由緒書きをよく見ると、手名椎命さまは先にこの地を治めており、あとから来た建御名方命さまに従属したと書かれています。なんとなく日本神話をなぞっていると出雲国から一緒に来たのかと思ったら、先にいて土地の統治を譲ったんですね。

《末社・弥栄神社》
こちらでは本社とこの弥栄神社の御朱印をいただくことができます。参拝したときには御柱祭の飛び出す御朱印を拝受できました。

《末社群》
末社にも細かくミニ御柱が立てられていますね。

《御柱跡地》
こちらでは9月に立てられるそうです。
公式寺社巡り その21
宿で1泊して自宅方面に向かいつつ参拝です

一之鳥居
鳥居付近は駐車場になっているのですが、残念ながら横にある郵便局の駐車場です
こちらの写真は参拝後、参道を降りて撮影しています
登るの大変でした

社号標

ん~
近所の方はこちらでお参りをという事でしょうか?

うばかうところ

清水が湧いていて和泉町の語源になった場所との事です
もしかしたら神社とは関係ないかもしれません

石燈籠

燈籠

参道

二之鳥居

二之鳥居の後ろ
余り参道っぽくはないですが、ナビで来るとこちらに出ます

社号標

手水舎


との事で

こちらから手水を取ります

三之鳥居

三之鳥居 扁額

狛犬 阿形

狛犬 吽形

由緒書き

境内全景

造り的には神楽殿でしょうか?

大量の藁が
社務所で伺った処、来年の御柱祭での御柱の引綱になるそうです

石燈籠

戦没者追悼碑


参道 石段

参道石段前 狛犬 阿形

参道石段前 狛犬 吽形

拝殿

神紋

拝殿 扁額

月替わり御朱印の案内がありました


御神籤


拝殿前全景

少し見難いですが、本殿です

恐らくこちらを通って宮司さんが本殿に向かうのかと

由緒書き

神系図

延命杉

注連縄のありますし、御神木かと

上にも手水処がありました

絵馬掛けと御籤結び

末社群

かなりの数があります








名称の判る末社をいくつか

藍竃大明神でしょうか?
少し滲んだ感じなので違うかもしれません

白山宮


高尾穂見神社


龍王大明神





彌榮神社

旧本殿ですから、こちらは摂社でしょうか?

一之御柱跡地

柱休めという行事もあるんですね

案内があったので向かってみました

途中にありました
何でしょう?
戦艦の砲弾でしょうか?

聖徳神社 社号標

聖徳神社

狛鯱
で良いんでしょうか?
右側

左側
阿形吽形ではなさそうです

お社

手長神社とは逆方向に鳥居がありました

鳥居 扁額

むすびの大欅


光の加減などもあり少し判り難いかもしれませんが

拝殿のある上からみた境内全景

境内全景

水みくじがあるようです

水みくじを浸す場所ですね

注連縄もされているので何か謂れがありそうですが

手長会館
参集殿のような感じでしょうか?


納札所

御神籤

厄落とし絵馬と八方災難除絵馬

「厄」の字と

「八」の字になっていました

駐車場 2台でしょうか?
軽自動車で詰めれば3台行けるかも?


こちらにも1台停められそうです

通常の御朱印

彌榮神社の御朱印

月替わりの御朱印の3体を頂いてきました

参拝記念という事で頂きました
「てなが様の手」
座布団1枚あげたくなったのは私だけでしょうか?

創建の由諸は不明であるが、境内の近くには旧石器時代・古墳時代の複合遺跡である手長丘遺跡が、境内上方には茶臼山古墳群があり、周辺には古代から人が住んでいた。
古くは「手長宮」・「手長大明神」と称され、諏訪大社の末社であった。
元は桑原郷の総鎮守で、足摩乳命とともに祀られていた。
のちに鎌倉時代に桑原郷が上桑原と下桑原に分けられたとき、下桑原に手摩乳命を祀る手長神社が作られ、上桑原の足長神社とともにそれぞれの鎮守となったとされる。
領主・武家や庶民からの崇敬が篤く、高島城の鬼門に位置することから諏訪藩家中の総鎮守とされた。
































諏訪大社にお参りしたあと、こちらの手長神社にもお参りしました。旧県社で現在は別表神社でもあります。以前お参りしたときはちょうど御神渡りの観測祭の時期で、八剱神社の宮司さんも兼ねていたこちらの宮司さんは八剱神社に詰めていらっしゃったのですが、その後宮司さんが交代されたようで、手長神社と、八剱神社・足長神社をそれぞれ別の宮司さんがお祭りされる体制になっているようです。
以前お参りしたときにも感じましたが、高台にあるとても清々しい、気持ちの良い神社です。
御朱印については、以前は手長神社、足長神社、八剱神社の御朱印をこちらの手長神社で頂くことができたのですが、現在は手長神社と境内社である彌栄神社の御朱印が頂けるようになっています。足長神社、八剱神社の御朱印については八剱神社で頂けます。
月替わりの御朱印のてながさまの印が可愛らしいです。二月は節分がテーマだったようです。

手長神社 二月の御朱印

彌栄神社御朱印

拝殿


彌栄神社



【過去参拝】諏訪大社詣での旅行
手長神社を参拝しました。前日にも参拝に訪れたのですが社務所が不在でしたので、朝一番に再訪しました。
(写真は前日夕方撮影分です)

鳥居から続く石段

石段の先に拝殿が見える

拝殿 向拝の彫刻が美しい

旧本殿(弥栄神社)

松尾大明神

龍王大明神
長野県のおすすめ2選❄️
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