かりたはちまんぐう
蚊里田八幡宮公式長野県 三才駅
授与所開所時間 午前9時~午後4時
水・木曜日はお休みですが、変更になる場合がございます。
当社公式HPの『授与所カレンダー』でご確認ください。
かりたはちまんぐう
授与所開所時間 午前9時~午後4時
水・木曜日はお休みですが、変更になる場合がございます。
当社公式HPの『授与所カレンダー』でご確認ください。
長野県長野市若槻東条に鎮座する信州若槻郷総鎮守、かりた八幡宮です。誉田別尊、足仲彦尊、息長足姫尊の三柱の神様をお祀りしています。鎮懐石伝説や佐久間象山先生揮毫の七反幟で知られており、春季例祭は善光寺平、春の三大祭のひとつに数えられています。
お気軽にお声がけください。ご参拝お待ちしています!(宮司)
参拝記念⛩️✨️
蚊里田八幡宮
御神縁めぐり⑧ 満願達成
長野県長野市に鎮座する蚊里田八幡宮へ参拝に上がらせて頂きました🙏
『信濃巡縁御神縁めぐり』が10月末までとのことで(^_^;)
あと2週間しかなく遅ればせながら期間中に無事達成させて頂きました。
上がらせて頂く時間が15:40頃で遅い時間になってしまったにも関わらず、若槻さまには社務所から出てきて頂き拝殿の彫刻について説明を頂いたり、ホトカミの投稿用に撮影させて頂きたいと申したところ拝殿内の照明を点けて頂いたりと至れり尽くせりな対応を下さり、ありがとうございました🙇♀️
生憎の雨模様でしたが以前上がらせて頂いた時とはまた違った境内の様子を拝見出来たのでとても有意義な時間を過ごさせて頂きました。
蚊里田八幡宮さまは今年から常駐されるようになり、御神縁めぐりにも今年から参加されているとのことで長野県の神社をこれからも盛り上げていってくださることと思います。
御神縁めぐりの企画自体も参加している神社さまによる手作りの企画ということで大変ありがたく思います。
10月で令和6年の御神縁めぐりは一応終わってしまいますが、また来年の内容も楽しみにしたいと思います。
御朱印 書入れ
月替り
御朱印 書入れ
御神縁めぐり
(母親が拝受させて頂いた方を掲載させて頂きました)
入口 参道
鳥居
狛犬
桜井土音の句碑
手水舎
参道
雨に打たれて瑞々しい✨️
拝殿前からの振り返り
市杵島姫命さまもこっそり居ます。
神楽殿
神輿庫
モミジと社殿の風景が落ち着きます。
雨に打たれてモミジも生き生き♪
(結構な雨降りです)
拝殿と本殿
色付きと本殿
拝殿内
拝殿の彫刻
柱の下に龍がいます!
後側には海老が!!
長野地域には4人の彫師が関わっていた様子で富山の方が関わったため、長野の山奥で海老の彫刻が見られる説があると教えて頂きました。
亀さん
親子亀さん
提灯
土足のまま上がって良いとのことです。
地域によって社殿の作りが違うのも面白いです。
表示をしないと土足禁止と思って靴を脱いで上がられる方がいるとのことで、案内表示をしている様子でした。
お賽銭箱の三つ巴紋
拝殿内
撮影用に照明を点けて頂きました。
お心遣い、ありがとうございます🙇♀️
拝殿横の社務所
御神縁めぐり
満願達成の印と記念品の手ぬぐいを頂きました🙏
ご企画して頂いた皆さま、ありがとうございます🙇♀️
参拝記念⛩️✨️
蚊里田八幡宮
長野県長野市に鎮座する蚊里田八幡宮へ参拝に上がらせて頂きました🙏
ホトカミで御朱印の検索をしていたら上位に毎回表示がある神社さんです。
長野県の広告神社だったのかなー?(詳細は不明です)
七夕仕様の御朱印が欲しいという親の切実な希望を叶えるために母親と一緒に参拝に上がらせて頂きました。
御朱印が目的ですみません。
拝殿側から街を眺める様子が今月の見開き御朱印と全く同じ風景で感動してしまいました。
今日は社務所の時間が12時までだったみたいで参拝時は不在でしたので、また改めて違う季節に参拝に上がらせて頂きたいと思います。
7月限定御朱印
書置き(書入れ可能の様子です)
鳥居
狛犬
一瞬、戸隠神社の宝光社の階段が頭をよぎりました。
参道 階段
拝殿
神楽殿
御神縁巡りラスト8神社目を達成しましたが、神事で宮司不在の為ラリーの景品は頂けませんでした。階段を登りきると古社の趣きがあり、床下には切った藁を混ぜた土壁(漆喰?)で雨による腐敗を防ぎ、天井裏も藁か茅を敷き詰めて湿気対策をしているのかなと思いました。
由緒
仁平年間(1151~1154)の創建と伝えられています。長野市若槻地区の総鎮守であり、旧社格は郷社。御神体は神功皇后が朝鮮征伐の際、皇子(後の応神天皇)誕生を遅らせるため身につけられた鎮壊石といわれる霊石だと伝えられています。
平安時代後期、武将源義家が陸奥征伐の際、この霊石を陣中の守護神として携えて出陣し戦功をあげました。その後、霊石は六男義隆(若槻氏を称す)をへて、義隆の子頼隆に伝えられ、頼隆がこの地の領主となったおり、社殿を造営し霊石を納めて八幡大神を奉祭しました。社名はこの霊石に由縁ある筑紫国蚊田の里(現在の福岡県宇美町)から転称したものです。現在の社殿は文久二年(1862)の再建です。
門前町として知られる長野市の中核をなす善光寺との由縁もあり、当社は善光寺から見て北東の方角に位置することから鬼門除けとしての役割を担っていると語り伝えられています。
昼食は神社巡りの先輩と長野市内でモツ焼きの有名な「食堂乙妻」さんでモツ焼き定食&ノンアルを頂きました。
スタンプラリーコンプリート
書き置き御朱印
神額
歌碑
参道
水鉢
拝殿
彫刻
拝殿内
本殿
奉納絵馬
天井裏
由緒
拝殿左側から
神楽殿
社務所
境内社 山の神
境内から鳥居⛩️
長野市内「食堂乙妻」
モツ焼き定食&ノンアル
社頭祈願(ご祈祷)について
蚊里田八幡宮では、年間を通して各種ご祈祷を受け付けています。
ご祈祷は「ご祈願」ともいい、神さまのご加護をいただけるように祈り願う神事です。初宮参りや七五三といったお祝いごとや、家内安全や商売繁昌、厄除などのお願いごとがあるときには、社殿にお上がりいただいて祈願することができます。
※事前にご予約ください(蚊里田八幡宮:050-1720-5855)
御朱印帳
当社の御神体である鎮懐石に縁がある二つの舞楽(舞)をモチーフにデザインいたしました。
表紙:舞楽「散手(さんじゅ)」の装束胸部に描かれた紋
「散手」は神功皇后の三韓征伐の様子を舞にしたと伝えられています。三韓征伐の折、神功皇后は身籠っておられた応神天皇(八幡様)がお生まれにならぬよう鎮懐石を身につけて戦に臨まれました。
裏表紙:舞楽「陪臚(ばいろ)」で用いられる楯
「陪臚」は陣中において奏すると死生を知る、とされています。聖徳太子が物部守屋と戦った際に奏され、その戦いを模してこの舞がつくられたともいわれています。陣中の守りとして鎮懐石を携えて出兵した源義家・義光は合戦毎に奏し、勝利を得たと伝えられています。
御神矢
御神札
由緒
仁平年間(1151~1154)の創建と伝えられています。長野市若槻地区の総鎮守であり、旧社格は郷社。御神体は神功皇后が朝鮮征伐の際、皇子(後の応神天皇)誕生を遅らせるため身につけられた鎮壊石といわれる霊石だと伝えられています。
平安時代後期、武将源義家が陸奥征伐の際、この霊石を陣中の守護神として携えて出陣し戦功をあげました。その後、霊石は六男義隆(若槻氏を称す)をへて、義隆の子頼隆に伝えられ、頼隆がこの地の領主となったおり、社殿を造営し霊石を納めて八幡大神を奉祭しました。社名はこの霊石に由縁ある筑紫国蚊田の里(現在の福岡県宇美町)から転称したものです。現在の社殿は文久二年(1862)の再建です。
春季例祭
わかつき てつや
役職:
宮司
1971年生まれ。母方の生家が代々の社家で、神職としての祖父の姿を目にしながら育ちました。薬局を営む両親の影響を受けて薬学部に進学。大学卒業と同時に跡取りがいなかった祖父母の養子となり、母方の家を継ぎました。薬剤師として就職して数年後、1年違いで祖父母が亡くなり、周囲の方々の後押しもあり神職の資格を取得することを決意。大阪國學院で学び権正階を授かり宮司を拝命しました。その後、階位検定試験にて正階、明階を授かりました。令和6年3月をもって薬剤師の務めに区切りをつけ、専任神職となり授与所常駐を開始しました。宮司拝命以降、雅楽器の笙を続けています。
母方の実家(社家)を継ぎましたが、当初は神職となることまでは考えていませんでした。喪主として祖父母の神葬祭(神式のご葬儀)での経験や周囲の方々の後押しがきっかけとなり、これも自身に与えられた役割だと考えて資格を取得するにいたりました。
訪れるだけで心地良さを感じる空間としての在りかたが好きです。また地域の歴史や文化がギュッと濃縮された存在でもあり、大切にしたいという思いと、次代に残し伝えていきたいという気持ちがあります。
和楽器(笙)、スポーツ観戦、映画鑑賞、読書
境内のご案内もいたします。ご参拝時にはお気軽にお声がけください。
当社オリジナル『福徳銭』をお頒けします(社頭頒布はしていません)。
刻印の社名が『加利多(かりた)八幡宮』となっており、あなたにより多くの御利益を加え(もたらし)ます。
当社オリジナル『福徳銭』をお頒けします(お気持ちで特典以外…続きを読む
投稿:2024年12月05日(木)
住所 | 長野県長野市若槻東条1313番地 |
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行き方 | JR長野駅より長電バス「東長野病院行き」に乗車し、蚊里田神社前で下車(乗車時間約30分)。
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名称 | 蚊里田八幡宮 |
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読み方 | かりたはちまんぐう |
通称 | 蚊里田さん |
参拝時間 | 授与所開所時間 午前9時~午後4時
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参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | ご利用のご希望がございましたら授与所までお声がけください |
御朱印 | あり 通常御朱印の他、月替わりの御朱印も授与所にて受付しています。
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限定御朱印 | あり |
御朱印帳に直書き | あり 月限定の見開き御朱印が書置きのみのご用意となります。それ以外の御朱印は直書き・書き置きのいずれかをお選びいただけます。
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御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 050-1720-5855 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | karitahachimanguu@gmail.com |
ホームページ | https://www.karitahachiman.com/ |
お守り | あり |
SNS |
ご祭神 | 誉田別尊(応神天皇) 足仲彦尊(仲哀天皇) 息長足姫尊(神功皇后) |
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ご神体 | 鎮懐石 |
創建時代 | 1150年 |
本殿 | 流造 |
ご由緒 | 仁平年間(1151~1154)の創建と伝えられています。長野市若槻地区の総鎮守であり、旧社格は郷社。御神体は神功皇后が朝鮮征伐の際、皇子(後の応神天皇)誕生を遅らせるため身につけられた鎮壊石といわれる霊石だと伝えられています。
鎮懐石について
七反幟
威稜扶宇宙(いりょううちゅうをたすけ)恩眷煦生霊(おんけんせいれいをくす)
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り花の名所 |
概要 | 蚊里田八幡宮(かりたはちまんぐう)は、長野県長野市に鎮座する神社である。若槻荘の総鎮守とされていた。 |
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歴史 | 由緒[編集] 源義隆(若槻義隆)が父の源義家より継承した霊石の鎮懐石を神体として納めて当社を創建した[1][2]。社殿は正徳年間と文久2年(1862年)に再建された。 ^ 若槻地区住民自治協議会. ^ 公式ウェブサイトの由緒 |
アクセス | 交通[編集] しなの鉄道北しなの線 三才駅より長電バス 63・64系統(長野駅行き)で上松五差路にて下車し乗り換え、上松五差路より長電バス 62系統に乗り継いで蚊里田神社前停留所にて下車。 しなの鉄道北しなの線 三才駅より徒歩で45分(約3km)。 長野駅より長電バス 62系統で蚊里田神社前にて下車(長電バス)。 |
行事 | 例祭[編集] 春季例大祭では、神楽舞や子供相撲の奉納[1]などが催されにぎわいみせる[2]。 ^ 丸山肇 2005. ^ 長野市都市政策課景観広告担当. |
引用元情報 | 「蚊里田八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%9A%8A%E9%87%8C%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=101974677 |
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