たかちほじんじゃ
高千穂神社のお参りの記録一覧
御朱印集め2年目。
いつかは行きたいと憧れていた高千穂参り。
思っていたより早く訪れるチャンスが来て行ってまいりました!
神話?伝説?ざっくりとしか知らないので行くまでに「古事記」とか「日本書紀」を読んでおこうと思ってたのにそんな時間もなかった。
高千穂峡に車を停めて上り坂を歩いて行ったからメッチャ暑くて疲れたけど鳥居の前まで行くと一瞬で疲れも忘れるくらいひんやりしていて不思議な感覚がありました。
神秘的な空気の鳥居
書き置きの御朱印
他の神社より紙が少し小さい
久々の神社参拝。
古札納めの目的もあり、高千穂神社へ参拝しました。
週末でしたので参拝者が多く、広い駐車場の少し奥へ🚙を止めました。
鳥居をくぐり手水舎へ。手水舎の水の冷たさに気が引き締まりました。
「階段参道、こんな急だったかな?」と思いながらもサクサクと登りました✌️
拝殿での参拝後に本殿へ向かい、右手にある「鎮目石」にお参りしました。
本殿裏の杜から聞こえてくる、姿の見えない鳥のさえずりが心地よく聞こえ、癒やされました。
拝殿
いろいろな絵馬がありました。
夫婦杉
本殿の彫刻
鎮石
本殿裏の杜
鳥のさえずりが心地よく、境内をしばらくの間散策しました。
高千穂峡を散策してから高千穂神社⛩️を参拝させて頂きました。広い駐車場前にうづめの舞の石碑があり、大きな森🌳に高千穂宮⛩️があり、石碑も高千穂宮と高千穂神社と両方ありました。
階段を登ると拝殿が見えてきます。立派な屋根の重厚感ある拝殿への左右通路に国指定重要文化財である鎌倉幕府が寄贈と伝えられる鉄製狛犬がおられましたが、拝見はしにくかったです。参道の狛犬は勇猛で強そうな狛犬でした。
本殿には見事な彫刻が彫られていて、釘付けでした。
高千穂郷ハ十八社の総社として崇められ、源頼朝から数多くの宝物寄贈を受けた古社は、大木に囲まれ、威風堂々として神聖な場所でした。
うづめの舞
宮崎県へ諸用があり、導かれるかのように高千穂神社へ御参りして来ました。初めて九州上陸で山の稜線も新鮮で、絶景が凝縮された感じがしました。宿も神社のすぐそばにして平安時代より続く高千穂夜神楽も鑑賞させて戴きました。
高千穂神社。しめ縄の下りが右から七-五-三調の綺麗な注連縄(七五三縄)
御扉前の木彫狛犬
神社の両袖
本殿と拝殿の間に見られる波乗りの龍。
今年は辰年御縁年として昇殿参拝時(御祈祷や正式参拝など)にご案内いただけます。授与品で張子の「波乗り福龍」^_^
狛犬ファンなら知らない人はいません。
さらに禰宜様より丁寧なご説明もいただきました
お尻をつけて綺麗な座り姿
意外と見れない背中の筋肉と尻尾
高千穂夜神楽 夜8時から自由席、連休前の平日と思い神楽殿へ7時15分に到着、最前席に座れず45分頃には60人以上いました。
たぶん御年配の方が舞わられてるかと思うんですが、キレッキレの舞で圧倒されました。
神楽は4番(4種類)鑑賞
高千穂神社へお参りしました。
平日なのに駐車場の混み具合に驚きました。
三連休前だから多かったのでしょうか?
観光バスも並んでいました。
大鳥居をくぐると心地良い空気に包まれました。
手水舎の水はとても冷たく、心身共に清められた感じでした。
拝殿で参拝の順番待ちをしていると、横から割り込むおば様達!
まぁ、それもありですよね😊
私が小さくて見えなかったのかな😅
心地良い空気の中、静かにお参りすることができました。
今回は、心身健康のお守りを拝受しました。
見るたびに笑顔になれるような図柄を選びました。
天細女命の図柄
見てるとほっこりします☺️
手水舎
本殿
日向国「高智保神」に比定される国史見在社です。
日本神話において、天照大御神さまの孫である瓊瓊杵尊さまが地上に降りられたのがこの高千穂の地であり、その後3代に渡って営まれた高千穂宮の跡地とされている神社です。創建者であり主祭神の一柱である三毛入野命さまは神武天皇さまの兄君にあたります。
《鳥居》
銅葺きの鳥居となっています。
《皇室御成》
「御成」というのは貴人、天下人、将軍の外出を指す言葉で、現代では天皇・皇后両陛下以外の皇族の方の外出を指します。つまりはこちらの方々が参拝に来られているということですね。
《手水舎》
柄杓もあり水も流れています。
《表参道》
《獅子狛犬像》
鬣が鱗のように逆立ち、めちゃくちゃかっこいいです。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
当社は『延喜式』神名帳には記載されていないのですが、六国史には神階授与記録のある神様として「高智保神」名前があり当社に比定されているため、国史見在社とされています。宮崎神宮や鵜戸神宮のように神社というよりは「宮(居住地)」として認識されていたのでしょうか?
《鎮め石》
伊勢の神宮と同時期に高千穂神社が建てられた時に用いられたとのこと。
ちなみに有名な鹿島神宮の要石は神宮創建の際に当社から贈られたものと伝わっているようです。
《荒立神社と四皇子社》
猿田彦さまと天鈿女さまのご夫婦を祀る荒立神社と神武天皇さまとそのご兄弟(五瀬命、稲氷命、三毛入野命)さまをがたを祀ります。
《夫婦杉》
《国旗台》
《授与品》
まだ元気な祖父母にはぼけ防止守を、神楽の舞人の知人には神楽守を。
高千穂神社は、 この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊、木花開耶姫命以下三代の神々をお祀りし、飛鳥時代から平安時代前期にかけて編纂された六国史に「高智保皇神」の神名で記載され、仁明・清和両朝(833~876)に日向国最高の御神階が授けられた国史見在社です。天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮として、今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されております。
御祭神の高千穂皇神は、日向三代と称される皇祖神とその配偶神である天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫命、彦火火出見尊と豊玉姫命、彦波瀲武鸕草葺不合尊と玉依姫命の総称です。十社大明神は神武天皇の皇兄、三毛入野命とその妻子神九柱、三毛入野命の妃神の鵜目姫命、御子神御子太郎命、二郎命、三郎命、畝見命、照野命、大戸命、霊社命、浅良部命の総称です。
創建は不詳ですが、神武天皇の兄宮三毛入野命が御東征の途次、高千穂に帰られて日向三代をお祀りされたのが初めとされています。以降、その子孫と称する三田井氏が長く 奉仕され、後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀し、垂仁天皇の時代に社殿が建立されたとされています。
天慶年間(938-947)には豊後国から来た大神氏が豊後国から大神惟基の長子の高知尾太郎政次が当地に入り、高知尾氏を興します。鎌倉時代末から高知尾氏に代わり島津氏が地頭となる一方、高知尾氏も三田井氏を称するようになりますが、天正年間(1573-1592)に三田井氏は滅んで延岡藩の領となりましたが、歴代藩主は社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。
古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきたことから、社名は古来「十社大明神」や「十社宮」などと称されてきました。明治4年(1895)に「三田井神社」と改称、更に同28年(1895)に現在の高千穂神社に改称されました。明治4年(1895)7月に延岡県の県社11月に美々津県の県社とされましたが、宮崎県に改組されると同6年(1873)に村社とされます。大正14年の秩父宮殿下の御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和46年7月1日、神社本庁の別表神社となっています。
中世、鎌倉幕府の源頼朝は、当社を篤く信仰し、畠山重忠を代参として多くの 宝物を奉納しました。社殿前に御神木としてそびえる畠山重忠公手植の杉は秩父杉と号なづけて今なお社頭に高くそびえ、千古の歴史を伝えています。樹勢は、目通りが30尺(9メートル)、高さは180尺(55メートル)、樹齢約800年になります。尚、源頼朝のよりとも公寄進の社宝鉄製の狛犬一対は世に優れたる鎌倉時代の名作として国の重要文化財に指定されています。元寇の文永の役、弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃には征西将軍・懐良親王の御祈願など、古記録や宝物も多数残っています。
社殿は、安永7年(1778)、延岡藩主の内藤政脩により立替えられたものです。拝殿は、唐破風千鳥破風付。本殿は、切妻平入の千木外削で、鰹木9本。九州南部を代表する大規模な五間社流造銅板葺の建築で地方色も顕著に有しています。平成16年(2004)7月6日には国指定重要文化財に指定されています。本殿の東側脇障子の彫像は、当宮の御祭神、三毛入野命が霜宮鬼八荒神の足を捕まえて退治されたものです。荒神を平らげ農業や産業の道を拓かれた三毛入野命は、厄祓いや産業農業の神としても深い信仰があり、鬼八退治にちなんだ「猪懸祭」は12月3日に行われ、神道祭祀の原形をとどめた故事として有名です。鬼八塚は町内に三ヶ所あり、そのなかの首塚は現在の旧ホテル神州の東北にあります。また、西側脇障子には、事勝国勝長狭神大年神を祀る稲荷社が鎮座しています。
本殿東側に祀られている鎮石は、第11代垂仁天皇の勅命により我が国で初めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際、用いられた鎮石と伝えられています。尚、往古、関東に鹿島神宮を御社殿造営の際、高千穂宮より鎮石が贈られ、同宮神域に要石として現存しています。またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。
本殿向かって左側には荒立神社・四皇子社が鎮座しています。荒立神は、猿田彦大神と天鈿女命の夫婦神。四皇子社、神武天皇、五瀬命、稲氷命、三毛入野命を祀っています。拝殿前の夫婦杉は、根元がひとつになって如何なる事があっても別れることのない形を現しています。夫婦杉の廻りを手をつないで三回廻ると、夫婦、友人など共々、仲睦まじく家内安全で子孫は繁栄の三つの願いが叶うと伝わっています。
高千穂、そしてその総社しての高千穂神社を広く知らしめているのが国の重要無形民俗文化財に指定されている夜神楽です。高千穂は11月中旬から翌年の2月まで各神楽宿にて夜神楽が催行されます。夜神楽は、氏神を神楽宿に招き入れる「舞入」から始まり、33番の神楽かぐらを舞います。高千穂神社では、11月22~23日にかけての「神話の高千穂夜神楽」で奉納され、神楽殿で夜を徹して高千穂の夜神楽の全33番が奉納されています。又、年間を通じて観光用に33番の中から「手力雄」・「鈿女」・「戸取」・「御神体」の4番が神楽殿で実演されています。
旧暦の12月3日に行われる猪々掛祭は、鎌倉時代から伝わる霜除神事で、この祭典で奉納される神楽は「笹振り神楽」といわれて高千穂神楽の原型とされています。神代の昔、荒振神の鬼八を十社大明神が退治しますが、鬼八の霊は何度も生き返り、早霜を降らせて作物を害します。そのため、鬼八の好物である猪1頭を神前に捧げて鬼八の霊を慰め、五穀の豊穣を祈ったとされています。この祭りで炊いて供える新穀の器は、天正年間のもので、この猪々掛祭のみに使用される木の鉢です。
千葉住みの私は延岡駅近くで前泊し、朝10時発のバスで向かいました。
高千穂バスセンターで降りてから徒歩10分程です。
夫婦杉です。
大きな鳥居が見えてきました。
鳥居上の扁額です。色使いが特徴的ですね。
社名標
由緒書
手水舎。稼働してます。
長めの石段を上ります。
石段を上り切ると拝殿があります。
木々に囲まれていますが、どの木もまっすぐ育ってました。定期的に手入れしてるのかなぁ。
ご本殿です。
よく見ると、なんか彫刻が掘られてました。
こちらの御祭神が悪い奴を討伐したんですね。
鎮石のアップです。かなり目立たない場所にありました。一時期はこの鎮石を見るために行列ができたこともあったそうです。
鎮石の由来です。
社殿の横に神楽殿があります。
神楽殿の中です。毎晩ここで夜神楽という踊り?が見られるそうで、結構盛り上がるみたいです。
御朱印は直書きです。
御朱印帳を新しく拝受しました。寸前まで次の御朱印帳を高千穂神社さんか天岩戸神社のどっちにするか迷ってましたが、行程的に先に天岩戸神社に行くのは無理そうだったので、これも巡り合わせということで、高千穂神社さんで拝受しました。
裏側に夫婦杉のやつです。大判です。
【日向國 古社巡り】
高千穂神社(たかちほ~)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿にある神社。式外社(国史見在社)論社。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、高千穂皇神(日向三代の皇祖神とその配偶神:天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫命、彦火火出見尊と豊玉姫命、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と玉依姫命の総称;一之御殿)、十社大明神(神武天皇の皇兄・三毛入野命とその妻子神9柱;二之御殿)。本殿、鉄造狛犬一対、木造神像は、国指定の重要文化財。
社伝によると、三毛入野命が神籬(ひもろぎ)を建てて、皇祖神の日向三代とその配偶者を祀ったのが始まり。三毛入野命の子孫が長らく奉仕して、のちに三毛入野命ほかの十社大明神を配祀し、垂仁天皇の御代に初めて社殿を造営したと伝わる。当社が国史に見える「高智保神」とする説があり、その説に立てば朝廷から神階奉授があったことになるが、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には記載がない。天慶年間(938年~947年)に豊後国から高知尾太郎政次が当地に入り高知尾氏(高千穂氏)を興して、当社を高千穂八十八社の総社と位置付け崇敬したという。
鎌倉時代には源頼朝が天下泰平祈願のため畠山重忠を代参に派遣して多くの神宝(現存の国重文・鉄製鋳造狛犬一対)を奉納、境内の秩父杉を重忠が手植えし、元寇の文永・弘安の役の際は敵国降伏祈願のために勅使が差遣されたという。この時期、高千穂氏により紀州の熊野信仰がもたらされ、複雑な信仰を形成することとなった。以後、歴代領主の変遷に応じ、安東氏、浦上氏、島津氏、三田井氏が支配するが、南北朝時代以降は、阿蘇氏の支配下で高千穂郷総鎮守として崇敬された。
江戸時代には寛永年間(1624年~44年)に延岡藩主・有馬氏から200石の寄進を受け、以降三浦氏、内藤氏と歴代延岡藩主から崇敬を受けた。明治時代に入り近代社格制度のもと、延岡県の県社、のち美々津県の県社とされたが、1873年に宮崎県に改組され村社とされた。
当社は、JR日豊本線・延岡駅の西北西40km弱の高千穂街の中心地近くにある。すぐ西側に五ヶ瀬川が流れるちょっとした台地の上にある。高い古木に覆われた境内は、社殿はなかなか大きく、他に大きな神楽殿、境内社、授与所などがあるが、参道、階段と合わせても割とコンパクトな造りで参拝しやすい。やはり古巨木が林立する中にあるので、古社の雰囲気、境内の空気感が非常によく、一般観光客からの人気であることがよく分かる。(ちなみに、旅行情報サイトでの宮崎県の人気寺社仏閣ランキング(2023年1月)によると、「じゃらん」だと4位、「ぐるたび」でも4位、「4travel」だと3位になっている。)
今回は、旅行情報サイトでの人気神社、式外社論社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、家族連れ、中高生のグループ、若者カップル、老夫婦連れなど、あらゆるタイプの参拝者がたくさん訪れていた。
境内東端入口の<鳥居>と<社号標>。
鳥居の左下、見えにくい「高千穂宮」の社号標。
鳥居をくぐって参道を進むと、右側にもう一つの<社号標>。
参道左側の<手水舎>。
参道右側の<祓所>。
参道左側の<狛犬>。他で見たことがない独特な表情、スタイル、毛並み。
参道右側の<狛犬>。左右両方に仔獅子がいるのは珍しい。
階段を登って社殿に向かう。
階段を登り切るとすぐ正面に<拝殿>。
参道左側の石製小社。拝殿前のこの位置にあるのは珍しい。
参道右側の石製小社。左右対になっている。赤と緑の紙垂も珍しい。
<拝殿>正面。
<拝殿>内部。
拝殿に向かって、右後ろにある<授与所>。御朱印はこちら。
拝殿後ろの<本殿>。江戸時代中期1778年の建立。五間社流造、銅板葺。国指定の重要文化財。
本殿をよく見ると、細かな彫刻が。当時の延岡藩主・内藤政脩を大檀那として完成。
彫刻の一つ「三毛入野命(みけぬのみこと)彫像」。当社の御祭神。霜宮鬼八荒神(しものみやきはちこうじん)を退治した構図。
社殿の左手にある<荒立神社・四皇子社>。明治時代に合祀されたもの。ただし、荒立神社はその後元の場所に復祀されている。
本殿右側の<鎮石(しずめいし)>。鹿島神宮の<要石(かなめいし)>は、往古当社より贈られたものとのこと。すごい!(;゚Д゚)
社殿の右手にある<神楽殿>。表札には「高千穂神楽資料館」とも書かれている。
拝殿前左手にある<夫婦杉>。
<夫婦杉>を引きで見るとこんな感じ。
最後に<社殿>全景。太くて高い樹木群に囲まれた神秘的な雰囲気は抜群~!(^▽^)/
参拝の記録です。
高千穂神社とくしふる神社の御朱印です。
高千穂神社の御朱印です。
御朱印帳です(表面)
御朱印帳です(裏面)
御朱印袋です。
御朱印袋です。
夫婦杉
夫婦杉
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