たかちほじんじゃ
高千穂神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
台風14号被害間もない髙千穂神社に参拝しました。本堂、夫婦杉は無事でしたが夫婦杉の前にある樹齢800年の杉の枝は折れてしまったそうです。他にも折れた木もあったそうですが不思議と本殿や建物を避けて倒れていて災害の中でも神様に守られているというお話しを伺う事が出来ました。
樹齢800年の杉、枝が折れています。
この木が夫婦杉を守ってくれたそうです。
折れ枝。枝とは思えないほどの太さです。
現在の高千穂峡。自然のエネルギーに畏怖を感じました。
由緒
高千穂神社は、 この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊、木花開耶姫命以下三代の神々をお祀りし、飛鳥時代から平安時代前期にかけて編纂された六国史に「高智保皇神」の神名で記載され、仁明・清和両朝(833~876)に日向国に最高の御神階が授けられた国史見在社です。天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮として、今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されております。
御祭神の高千穂皇神は、日向三代と称される皇祖神とその配偶神である天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫命、彦火火出見尊と豊玉姫命と、彦波瀲武鸕草葺不合尊と玉依姫命の総称です。十社大明神は神武天皇の皇兄、三毛入野命とその妻子神九柱、三毛入野命の妃神の鵜目姫命、御子神の御子太郎命、二郎命、三郎命、畝見命、照野命、大戸命、霊社命、浅良部命の総称です。
創建は不詳ですが、神武天皇の兄宮の三毛入野命が御東征の途次、高千穂に帰られて日向三代をお祀りされたのが初めとされています。以降、その子孫と称する三田井氏が長く 奉仕され、後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀し、垂仁天皇(前29-70)の時代に社殿が建立されたとされています。
天慶年間(938-947)には豊後国から来た大神氏が豊後国から大神惟基の長子の高知尾太郎政次が当地に入り、高知尾氏を興します。鎌倉時代末から高知尾氏に代わり島津氏が地頭となる一方、高知尾氏も三田井氏を称するようになりますが、天正年間(1573-1592)に三田井氏は滅んで延岡藩領となりましたが、歴代藩主は社領を寄進し例祭にはたえず奉幣明治に及びました。
古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきたことから、社名は古来「十社大明神」や「十社宮」などと称されてきました。明治4年(1895)に「三田井神社」と改称、更に同28年(1895)に現在の高千穂神社に改称されました。明治4年(1895)7月に延岡県の県社、11月に美々津県の県社とされましたが、宮崎県に改組されると同6年(1873)に村社とされます。大正14年の秩父宮殿下の御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和46年7月1日、神社本庁の別表神社となっています。
中世、鎌倉幕府の源頼朝は、当社を篤く信仰し、畠山重忠を代参として多くの 宝物を奉納しました。社殿前に御神木としてそびえる畠山重忠公手植の杉は秩父杉と号て今なお社頭に高くそびえ、千古の歴史を伝えています。樹勢は、目通りが30尺(9メートル)、高さは180尺(55メートル)、樹齢約800年になります。尚、源頼朝公寄進の社宝鉄製の狛犬一対は世に優れたる鎌倉時代の名作として国の重要文化財に指定されています。元寇の文永の役、弘安の役は勅使が見え、南北朝の頃には征西将軍・懐良親王の御祈願など、古記録や宝物も多数残っています。
社殿は、安永7年(1778)、延岡藩主の内藤政脩により立替えられたものです。拝殿は、唐破風千鳥破風付。本殿は、切妻平入の千木外削、鰹木9本。九州南部を代表する大規模な五間社流造銅板葺の建築で地方色も顕著に有しています。平成16年(2004)7月6日には国指定重要文化財に指定されています。本殿の東側脇障子の彫像は、当宮の御祭神、三毛入野命が霜宮鬼八荒神の足を捕まえて退治されたものです。荒神どもを平らげ農業や産業の道を拓かれた三毛入野命、厄祓いや産業農業の神としても深い信仰があり、鬼八退治にちなんだ「猪懸祭」は12月3日に行われ、神道祭祀の原形をとどめた故事として有名です。鬼八塚は町内に三ヶ所あり、そのなかの首塚は現在の旧ホテル神州の東北にあります。また、西側脇障子には、事勝国勝長狭神と大年神を祀る稲荷社が鎮座しています。
本殿東側に祀られている鎮石は、第11代垂仁天皇の勅命により我が国で初めて伊勢神宮と高千穂宮が創建せられた際、用いられた鎮石と伝えられています。尚、往古、関東に鹿島神宮を御社殿造営の際、高千穂宮より鎮石が贈られ、同宮神域に要石として現存しています。またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。
本殿向かって左側には荒立神社・四皇子社が鎮座しています。荒立神社は、猿田彦大神と天鈿女命の夫婦神。四皇子社は、神武天皇、五瀬命、稲氷命、三毛入野命を祀っています。拝殿前の夫婦杉は、根元がひとつになって如何なる事があっても別れることのない形を現しています。夫婦杉の廻りを手をつないで三回廻ると、夫婦、友人など共々、仲睦まじく家内安全で子孫は繁栄の三つの願いが叶うと伝わっています。
高千穂、そしてその総社としての高千穂神社を広く知らしめているのが国の重要無形民俗文化財に指定されている夜神楽です。高千穂では11月中旬から翌年の2月まで各神楽宿にて夜神楽が催行されます。夜神楽は、氏神を神楽宿に招き入れる「舞入れ」から始まり、33番の神楽を舞います。高千穂神社では、11月22~23日にかけての「神話の高千穂夜神楽」で奉納、神楽殿で夜を徹して高千穂の夜神楽の全33番が奉納されています。又、年間を通じて観光用に33番の中から「手力雄」・「鈿女」・「戸取」・「御神体」の4番が神楽殿で実演されています。
旧暦の12月3日に行われる猪々掛祭は、鎌倉時代から伝わる霜除神事で、この祭典で奉納される神楽は「笹振り神楽」といわれて高千穂神楽の原型とされています。神代かみよの昔、荒振神の鬼八を十社大明神が退治しますが、鬼八の霊は何度も生き返り、早霜を降らせて作物を害します。そのため、鬼八の好物である猪1頭を神前に捧げて鬼八の霊を慰め、五穀の豊穣を祈ったとされています。この祭りで炊いて供える新穀の器は、天正年間のもので、この猪々掛祭のみに使用される木の鉢です。
天孫降臨の地
「地上界の無秩序に心を痛めた天照大神(アマテラスオオミカミ)は、孫(天孫)である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に、「地上界に降りて国を治めるように」と命じた。命じられるままにニニギノミコトは多くの神を従え地上に降りるが、辺りは立ち込める雲のために真っ暗で何も見えずに困っていた。そこへ大クワ・小クワと名乗る里の二人が出現、「ミコトがお持ちになっている稲穂から籾を取りそれを四方に撒けば、きっと晴れ渡ることでしょう。」と言う。その言葉に従って、籾を四方に撒いたところ、みるみるうちに雲は晴れて空は明るくなり、太陽と月が輝き始めたという。こうして、この地は「智穂」、そして「高千穂」と名付けられた。
「高千穂」は古事記や日本書紀そして風土記に、天孫降臨の地としてその名前が出てくるが、実は宮崎県には「高千穂」の名がつく場所がもう一つある。「高千穂峰」だ。かの本居宣長も、史書に書かれているのは、一体どちらの「高千穂」なのか頭を悩ませたという。
今回の記紀旅の最終目的地高千穂
高千穂神社では観光夜神楽が毎夜行われているとのことで夕食後に高千穂神社へ、普段は1時間程度に何話かだけを披露してるようです。満席で150名ほど入れる神楽殿ですがこの日は20名程度、コロナ終息して一日も早くこの場が満席になることをお祈りしてきました。
「高千穂の夜神楽」
この高千穂で秋の収穫が終わると、高千穂の村では氏神様のお祭りが始まります。高千穂の村まつりは秋の収穫への感謝と翌年の五穀豊穣を祈願して、氏神様を神楽宿と呼ばれる民家や、公民館などにお招きして、夜を徹して33番の神楽を奉納します。
昭和53年に「高千穂の夜神楽」として国の重要無形民俗文化財の指定を受けており、毎年11月中旬から翌年2月上旬にかけて、町内20の集落で奉納されます。「高千穂の夜神楽」は神楽を愛し神々への信仰を失わなかった高千穂の里人によって守られてきた伝統芸能です。
神楽のルーツ
高千穂の夜神楽は日本神話の天岩戸神話の中で天照大御神が天岩戸に籠もったさい、その前で天鈿女命が舞を舞ったことが起源だと伝えられています。
夜神楽の歴史
平安末期から鎌倉時代かけて成立したと言われている高千穂の夜神楽は約800年ほど歴史のあるものです。江戸時代の末頃まで高千穂神社の神職がほしゃとして伝承し、神社で奉納してきたと考えられています。今日のような33番に整えられ、高千穂では地区ごとに代々誇りをもって神楽を伝え舞いつないできました。
夜神楽33番
夜神楽の舞手は奉仕者という意味から「ほしゃどん」と呼ばれます。33番は観音様は33の仮身により人々を救うという思想によるものと言われます。
夜神楽33番
1 彦舞(ひこまい)
2 太殿(たいどの)
3 神降(かみおろし)
4 鎮守(ちんじゅ)
5 杉登(すぎのぼり)
6 地固(ぢがため)
7 幣神添(ひかんぜ)
8 武智(ぶち)
9 太刀神添(たちかんぜ)
10 弓正護(ゆみしょうご)
11 沖逢(おきえ)
12 岩潜(いわくぎり)
13 地割(ぢわり)
14 山森(やまもり)
15 袖花(そではな)
16 本花(ほんばな)
17 五穀(ごこく)
18 七貴神(しちきじん)
19 八つ鉢(やつばち)
20 御神体(ごしんたい)
21 住吉(すみよし)
22 伊勢神楽(いせかぐら)
23 柴引(しばひき)
24 手力雄(たぢからお)
25 鈿女(うずめ)
26 戸取(ととり)
27 舞開(まいひらき)
28 日の前(ひのまえ)
29 大神(だいじん)
30 御柴(おんしば)
31 注連口(しめぐち)
32 繰下し(くりおろし)
33 雲下し(くもおろし)
久しぶりの雨でしたが、どうしてもお参りしたくて伺いました。
静かな境内に入ると、落ちてくる雨粒さえも私を出迎えてくれているように感じました。
今回は病気平癒と快復の御礼のためお参りさせて頂きました。
鉄製の狛犬さまは、修理の為まだおでかけ中でした。
高千穂の杜は、いつ来ても心穏やかにさせてくれます。
拝殿
守護矢
手水舎
狛犬さま
森の守護神のようです
裏参道に新設された手水舎
裏参道の大きな切り株
残暑厳しい日でしたが、鳥居をくぐると参道から大杉に囲まれ帽子や日傘は要りませんでした。
参道の狛犬さまは、凛々しくて威厳があります。
鎌倉時代に奉納された鉄製の狛犬さまは、「修理の為、お出かけ中」と貼り紙がありました。
いつ行っても、参拝すると心穏やかになれる好きな神社です。
大鳥居
参道の狛犬さま
参道の狛犬さま
いつもは拝殿内にいらっしゃる狛犬さま。
今日は写真が飾られていました。
ガラスが反射して見ずらいですね。
朝から何人もの方が境内を履き清めていました。国内屈指のパワースポットと呼ばれる神社はたくさん行きましたがここが一番好きです。
鳥居
親子狛犬
夫婦杉
本殿
御祭神
鎮石
拝殿
秩父杉
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