しわひこじんじゃ・しおがまじんじゃ
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楽しみ方志波彦神社・鹽竈神社のお参りの記録一覧(11ページ目)
陸奥国一宮。長い階段を上った少し小高い場所に位置するため、境内からは松島湾が望める。社殿手前にタラヨウの木(葉の裏を傷つけると字が書ける・葉書の語源)が植えてあった。
鹽竈神社のすぐ隣には志波彦神社が、階段を降りて海の方へ向かうと御釜神社が鎮座している。
本塩釜駅から徒歩15分程度。
タラヨウ
松島湾

昨年の9月頃に思いついて行って来ました。
途中で色々と調べ、上りは男坂から。
こちらスピ的にはかなり強力な浄化の道と色々なサイトで書いてたので。
石段は見た瞬間、「あ、死ぬわ……」と思いますが、一段一段が低いので休みながらでなんとかなります。
地元の方らしきおばあちゃんものしのし登ってました。
そして調べていたにも関わらず、右の本宮ではなく、正面の別宮を拝んでしまうミス。
何故か本宮が左にあると思ってました……。
右の本宮は魚を献上する台などあり、私が行った時は大きな水濡れだけが残ってました。
どうやら大物が捧げられていたようです。
人気の、全身浄化できそうなお塩や、月参り用のお守りなどもあります。
また、おみくじは結ぶのでなく持ち歩くのを推奨し、そのように作られてます。
因みにこの日は某ゲームでライダーピックアップガチャを行ってて。
境内で引いてみた所、レジスタンスのライダーという、船に乗ったおじさんが出ました。
因みにこちらの御祭神はシャチに乗ってやって来たおじさん神だそうです。
鳥居から見る階段。
春の例祭はこの階段をお神輿が降りて来るそう。
今まで階段から落ちた人の話は聞いたことがないです。
本宮と思わせて別宮。
段々晴れて来て、神様のサービス精神を感じました。
古くからの東北鎮護、陸奥国一ノ宮。
奈良時代の国府と鎮守府だった多賀城が近くにあり、その精神的支柱となった神社と言われています。
ご祭神の鹽土老翁神は、鹿島神社、香取神社とも繋がりが深いそうで、人々に塩の精製を教えた神といわれているそうです。
塩の精製、とても重要なことだと思います。
境内が大変お掃除や手入れが行き届いていて、こちらもピシッとしました。
多賀城跡も奈良の平城京を彷彿とさせる大変素晴らしい遺跡でした。是非もっと整備して多くの人に訪れて頂けるといいな、と思いました。
参道の緑が美しかったです。
海上守護の神社です。ここから海が見下ろせました。

#鹽竈神社
ご祭神はシオツチオヂの神、フツヌシの神、タケミカヅチの神。
#志波彦神社
#鹽土老翁神
古事記では塩椎神、日本書紀では塩土老翁または事勝国勝長狭。日本書紀の別伝によれば、イザナギの尊の子。
シオツチオヂの神が登場すると、神話の流れがガラッと変わる。天孫降臨から神武東征までの間、重大なできごとが起こるきっかけは、決まって彼が持って来る。
日本書紀の本文と別伝、それに先代旧事本紀で微妙に表現が異なるが、降臨したニニギの尊が最初に出会ったのがシオツチオヂの神。彼はニニギの尊に対し、「この国はあなたのものです。どうぞ気の済むまでご滞在ください」と言った。そのため彼は日向にとどまった。
1世代下り、ヒコホホデミの尊をワタツミの神の宮殿へ送り出す。古事記ではこの場面にしか登場しない。
さらに2世代下り、イワレビコの尊。後の初代・神武天皇に、「東の地に空から舞い降りた者がいる」と情報提供。いまだ日向にいたイワレビコの尊が東征を決意する決め手となった。
そもそも、日本書紀によれば天孫降臨から神武東征の開始までの間に、180万年近くも経過していたというから、シオツチオヂの神は非常に長寿だ。
タケミカヅチの神やスサノオの尊のように、直接武器を握って華々しく活躍したわけではない。が、僕はどこか彼に対し、「陰の実力者」的な印象を強く持つ。


🟣🐉日本屈指の龍穴が交差🐉🟢
⭐️✨陸奥国一之宮 鹽竈神社Part①✨⭐️
私が生まれ育った宮城県塩釜市それからいままで私をずっと見守ってくださっている『陸奥国一之宮 鹽竈神社』 全国の塩釜系神社の総本社を参拝致しました👏情報量が多いので数回に渡り紹介させていただきます💦
【由緒】
正確な年代は不明ですが、鹽竈神社は奈良時代(710–794)より前に創建されたと考えられています。鹽竈神社は三神を祀っています。戦の神である武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と経津主神(フツヌシノカミ)が陸奥国を平定した際、両神を道案内した鹽土老翁神(シオツチノオジノカミ)がこの地に留まり、人々に塩づくりを教えたことに始まると伝えられている。
【御社殿の配置】
拝殿は左宮・右宮で1つ、もう1つは別宮の2つあります。
左宮: 武甕槌神(タケミカヅチノカミ)
右宮:経津主神(フツヌシノカミ)
別宮: 鹽土老翁神(シオツチノオジノカミ)
💡主祭神の鹽土老翁神が『別宮』に祀られていますが、『別宮』とは『特別宮』を意味するそうです。別宮の背面側が塩釜港や松島湾の海側になり、鹽土老翁神が海を背にして人々を災害から守っているとも言われています。
【拝殿へのルート】
鹽竈神社は小高い山(一森山)の上に鎮座されています。拝殿に向かうルートは3つあります。
①表参道(202段の急な階段)
②七曲坂(つづら折りの坂)
③東参道(ゆるやかな石畳の坂)※裏参道とも言う
私が皆さんにお勧めするのは! ①です😄
こちらのルートが神聖なパワーを感じながら参拝できるルートだと思います。②七曲坂ルートも古来からある参道とのことで、悪運を浄化する力に溢れた場所とされています。
【参拝順序】
参拝順序は「志波彦神社」→「鹽竈神社 別宮」→「鹽竈神社 本宮」が一応の作法、先に志波彦神社となるのは社格が高位にあたり序列的にこの順序になるようですが、それぞれで心を込めてお参りできれば、参拝順序は気にしなくても良いかと思います。
【ご利益】
海上安全・大漁・武運長久・国家安泰・安産守護・延命長寿、交通安全、必勝・成功など、また、武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と経津主神(フツヌシノカミ)の両神を道案内した鹽土老翁神(シオツチノオジノカミ)とのことから、行き詰まった時や、困った時に「道」を教えてくれると言われています。
【裏伝説】
東北最強の龍神神社と言われている。鹽竈神社の『龍穴』は、地球のエネルギーライン、いわゆる「ドラゴンライン」とも呼ばれる地脈が交差するとされる特別な場所。古来から、このような地脈の交点はエネルギーが高まる場所とされ、参拝者はこの地で心身の浄化や精神的な安定、運気の上昇を感じるとされる方も多いそうです。この神秘的な力は、科学的に証明することはできないですが、多くの人々に影響を与え続けていると言われています。
今回はここまでにします。
Part1は写真少なめです。次回UPしていきます。

3つの参道があります。

境内図(右側に紫波彦神社がありますが今回は鹽竈神社の案内図を示します)

表参道(202段の急な石段)

東参道(緩やかな石畳の坂)

陸奥国一之宮:鹽竈神社:古くより、東北鎮座、陸奥国一之宮として、朝廷をはじめとする崇敬をあつめ、別宮に(鹽土老翁神様)左官(武甕槌神様)右宮(経津主神様)をお祀りしております。 広く(武運長久の神として、また、塩業や漁業の守護、家内安全、延命長寿、交通安全、厄除け、とりわけ安産守護の神として全国津々浦々より信仰をされております。

鹽竈神社 境内にある(祭務所にて直書き御朱印)頂戴致しました

鹽竈神社 御朱印と一緒に頂いた(一森の舞、神楽歌)しおりです

鹽竈神社 しおがまさまのパンフレットです

鹽竈神社 境内にある(祭神、由緒書き)の案内板です

鹽竈神社 境内にある(境内図)です

鹽竈神社 入口からの鳥居の様子です

鹽竈神社 鳥居からの参道です(一歩一歩登る際、汗が止まりませんでした、子供達は何事もなく、スイスイ参道を進んでいきました😢

鹽竈神社 境内からの様子です



鹽竈神社 一宮鹽竈三社大明神額です

鹽竈神社 境内の様子です

鹽竈神社 境内右側からの様子です

鹽竈神社 拝殿前の様子です 右宮(祭神:経津主神様、左宮(祭神:武甕槌神様)

鹽竈神社 別宮拝殿前の様子です(祭神:鹽土老翁神様)

鹽竈神社 境内にある(末社:右側神明社、左側八幡神社)の様子です

鹽竈神社 境内にある(末社左側稲荷社、右側住吉神社)の様子です

延喜式内名神大社、志波彦神社:平安時代の(延喜式内神明帳)政府の神社台帳に陸奥国百座中の(名神大社)として記載され、鹽竈の神に御協力されたと伝えられる。(志波彦神様)をお祀りしております。 農業守護、国土開発
殖産の神として崇敬されております

志波彦神社 祭務所にて(直書き御朱印)頂戴致しました

志波彦神社 延喜式内名神大社、志波彦神社のパンフレットです

志波彦神社 境内にある(延喜式内名神大社、志波彦神社)の社号標です

志波彦神社 入口からの鳥居⛩️です


志波彦神社 境内からの拝殿の様子です(祭神:志波彦神様)

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