しわひこじんじゃ・しおがまじんじゃ
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楽しみ方志波彦神社・鹽竈神社のお参りの記録(1回目)
陸奥国一宮ということで 今回の旅では絶対にお参りしたい神社でした。
仙台駅近辺で昼食をとり 昨日と同様JR仙石線に乗りました。
40分ぐらいだったかな ほとんど松島の近くまで行きました。
昨日お参りできていればラッキーだったのですが 時間配分が下手くそでした。
本塩釜駅から歩いて10分かかりませんでした。親戚がガイドしてくれたので助かりました。
本殿までは 男坂と女坂の2通りの上がり方があるとのことでしたが おススメの女坂上り 男坂下りにしました。
こちら 鹽竈神社・志波彦神社の併記ですが 二社が同一境内に鎮座しています。
もともとは鹽竈神社があるこの地に志波彦神社が遷座してきました。
どちらも立派な社殿をおもちです。
まずは志波彦神社をお参り。
続いて鹽竈神社をお参り。
塩釜神社には 別宮もあり こちらでご祈祷が行われるそうです。
本殿は 向かって右に左宮 左に右宮があります。
向きが逆になっているのは 神様から見てということで 御所などと同じですね。
お参りがすんでから 帰りは男坂を通って。
いやぁすごい急な石段です。こちらを上るのはかなりきついでしょうね。良いコース取りでした。
奥州一宮をお参りできたことはとても嬉しかったです。
次のお参りのため 今度は仙石東北ラインの塩釜駅まで歩きました。こちらは約15分ほどでした。
ネット情報です。
鹽竈神社は 全国にある鹽竈(鹽竃・塩竈・塩竃・塩釜・塩釡)神社の総本社である。
武甕槌命・経津主神が東北を平定した際に両神を先導した塩土老翁神がこの地に留まり 現地の人々に製塩を教えたことに始まると伝えられる。
弘仁11年(820年)に撰進された『弘仁式』の『主税式』では「鹽竈神を祭る料壹萬束」と記載され これが正史における鹽竈神社の初見と言われている。
中世においては歴代の領主から崇敬された。
前九年の役および後三年の役を経て藤原清衡が陸奥押領使に任ぜられると 陸奥国の支配権は奥州藤原氏のものとなった。
鹽竈神社に対し奥州藤原氏が影響力と崇敬をよせていた。
また 奥州藤原氏が文治5年(1189年)に滅亡した後 鎌倉幕府の文書には「一宮塩竈社」の記述があり 鎌倉幕府から鹽竈神社が一宮と認識されていたことがわかる。
加えて 奥州下向の将兵に鹽竈以下の神領において狼藉をしないよう命令が出されていることからも 鎌倉幕府が鹽竈神社を重く見ていたことが覗える。
近世に入り仙台藩伊達家がよせた崇敬は特に厚く 伊達氏が当地を治めた江戸時代以降から明治時代に至るまで 歴代仙台藩主は「大神主」として祭事を司ると共に社領・太刀・神馬などを寄進した。
初代藩主政宗は岩出山から仙台に居城を移すと 領内寺社の整備に取り掛かる。
鹽竈神社へは元和5年(1619年)に社領24貫336文を寄進 慶長12年(1607年)に社殿造営を行った。
志波彦神社は冠川(七北田川の別名)河畔に降臨されたとする志波彦神を祭る神社である。
中世までの詳細な所在地は不明だが 東山道から多賀城へ通じる交通の要所で 軍事的にも岩切城などの重要な城がおかれた 宮城郡岩切村(現在の仙台市宮城野区岩切)の冠川左岸に位置していたと見られる。
中世以降は衰微して行く。
元禄8年の縁起によれば 社地は百姓の耕作によって侵され 天正年間には火災により神具や縁起などの資料を失い 延宝3年(1675年)の再建時には小さな社殿となって岩切村の牛頭天王社(現・八坂神社)に合祀された。
明治時代 (1871年)に国幣中社に列せられたことを機に大きな社殿を造営する機運が生じたが 現・八坂神社境内では社地が狭かったため鹽竈神社境内に遷宮した。























































すてき
みんなのコメント(2件)
ホークアイキャメルくるきよさん こんばんは♪
ようこそご参拝くださいました😊
鹽竈桜🌸は散ってしまったみたいで残念でした。私が花まつり4/27に行った時が満開だったので… 表参道の202段は帰りに下ったんですね。花まつりの投稿をしましたが、あの石段を1トンある神輿が登り降りするんです💦実際に石段の角度を目にしていただいた、くるきよさんにも感じてもらえたのではないかと思います😄
鹽竈神社・志波彦神社の関係も八坂神社と境内社の冠川神社に参拝いただいたので、ご理解いただけたかと。今回、志波彦神社を先に
参拝いただきましたが、何故かと言う点も興味深いところですよね。
ネット情報ではありますがちょっと補足!
歴史に初めて鹽竈神社が登場するのは820年に撰進された「弘仁式」で、この中の「主税式」に「鹽竈神を祭る料壹萬束」として祭祀料10,000束(束は当時の税の単位)を国家から受けたことが記載されていて、さらに927年の「延喜式」の「主税式」でも祭祀料10,000束を国の税収から受けたことが記されています。鹽竈神社の他に国家から祭祀料を受けていた神社はわずか3社しかなく、それぞれ
伊豆国三島社:2,000束
出羽国月山大物忌社:2,000束
淡路国大和大国魂社:800束
と、明らかに鹽竈神社だけが破格の待遇を受けていたことがわかります。
しかし同年にまとめられた全国の神社一覧表「延喜式神名帳」に記載された神社(式内社という)2861社の中に鹽竈神社の記載は無く、当時すでに存在したが神名帳に記載がない式外社(しきげしゃ)という扱いでした。
一方の志波彦神社は式内明神大社!
これだけの祭祀料を支給しながら式外社なのか…理由は現在も謎のままなんです。
あっ💦もっと早く投稿できれば良かったのですが、鹽竈神社には、参拝者の98%が訪れることのないパワースポットがあるんです。こちらは後日、ご紹介しますね。
ホークアイキャメルさん コメントありがとうございます。
牛頭天王社に合祀され 後に遷宮されたのは理解できたのですが。
塩竃神社さんの方が格段に格上なんですよね。なのに式外社で 志波彦神社は式内社。
ウィキペディアで読んだのですが 私にも意味不明でした。
当時の権力者が何か操作したとしか考えられませんね。
寺院でも同様のことがあったような気がします。
寺院も神社も 政治の道具になった時期があった ということなのかも知れませんね。
パワースポット 行けてないかも知れません。やばし!
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くるくるきよせん3062投稿
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