はらえどのやしろ(しおがまじんじゃけいがいまっしゃ)
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鹽竈神社に上がる前に境外末社の『祓戸社』を訪れました👏境外末社としては『御釜神社』が有名ですが祓戸社の存在は、お恥ずかしながら地元の私も見落としておりました💦鹽竈神社の案内にも載っていないため、ほとんどの方々が知らないのではないでしょうか。実際に大きな社があるわけでもなく、小さな石祠が鎮座するのみなので、見落としても仕方ない感じです。
場所は表参道(202段の階段がある)の道路を挟んで向かい側にあり、祓戸社を案内する「石標」があります。
祭神は『祓戸四柱大神』
瀬織津比売
速開都比売
気吹戸主
速佐須良比売
※鹽竈神社様側は公的に『祓戸四柱大神』をお祀り
しているとは言われておりません。なぜなのか🤔
私が崇拝する『瀬織津姫さま』がこの場所にいらっしゃったとは…感動🥹
昔はこの祓戸社で身を清めてから、鹽竈神社に参拝したそうです。石標の4面に刻まれている案内に書かれている内容は以下のとおりです。
【祓戸社】
「創設時期は、不明だが、表坂向い融ヶ岡の際にあった。旧暦六月三十日に半年間の罪穢を祓い清める夏越の祓(なごしのはらえ)(大祓式。茅の輪くぐり)が行われていた。現在この神事は、表坂の下で行われ、夏の風物詩となっている。」
【祓川(はらいがわ)】
ここには、川が流れていました。下流は新河岸川、新町川ともいい、泉沢が源流です。享保年間(1716~1736)に千尋淵の江尻を埋め立てて出来た川。鹽竈神社の流鏑馬の神事では、この川にて騎馬を清めたことがこの川の名の由来。
【融ヶ岡(とおるがおか)】
御前林、御飾林、愛宕山、江尻山ともいい貞観六年(864)に、陸奥出羽按察使として国府多賀城に下向した河原左大臣:源融(みなもとのとおる)が、塩竈の奇勝を愛しこの地に融公亭を建てたことが由来。南側に古代市場の鳥居原があった。
【油ヶ瀧】
江戸時代以前、裏河岸町の西端背後、融ヶ岡の北崖には、滝ががあったと伝えられている。名の由来は、水が油のように岩肌をぬめぬめと流れていたからか、ゆかりの融の字が読み替えられて、油が用いられたとも考えられる。
奥州一ノ宮『鹽竈神社』へ参拝にあがる際に是非、お立ち寄り下さい😊
祓戸社(はらえどのやしろ)を示す石標
祓戸社(はらえどのやしろ)
祓戸社(はらえどのやしろ)
左側の石柱は文字が読めそうで読めない🥲
融ヶ岡
源融(みなもとのとおる)が塩竈の眺望を楽しんだ場所
祓川(現在は治水工事により、川は埋められ、その名残りだけが残っています)
祓戸社を背にして、この裏道を港の方面に向かうと、ちょっと気になった2つの石碑が💦
向かって左側の石碑には「水神」と書いてあります。川があり、滝がある…瀬織津姫との関連性を感じます。
祓戸社を背にして、この裏道を港の方面に向かうと、ちょっと気になった2つの石碑が💦
向って右側の石碑には、「塩釜社」と書いているような?
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