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つしまじんじゃ

津島神社
公式宮城県 新田駅

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その他の巡礼の情報

登米五社参りの一社

津島神社について

御拝殿内部、結舎の撮影禁止、本殿外観、境内の禁止箇所以外の撮影は可との事

但し社務所に一言撮影の可否を確認してからお願いしますとの事です。

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ホークアイキャメル
ホークアイキャメル
2025年09月28日(日) 22時09分51秒
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宮城県登米市迫町佐沼に鎮座する『津島神社』へ参拝に上がりました👏
地元で親しまれているこの神社は、厄除けや縁結び、そして疫病除けの神様として篤い信仰を集めています。御祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)

◯圧巻の社殿彫刻と歴史の重み
境内に足を踏み入れ、まず圧倒されたのは、社殿の精巧で華やかな彫刻です。
御社殿は本殿、幣殿、拝殿の三棟からなる流造(ながれづくり)の建築様式で、天正19年(1591年)に佐沼城主の津田景康によって創建されて以来、430年以上にわたり地域の信仰の中心として大切に守られてきました。
特に本殿は、その精巧な彫刻が評価され、2024年3月6日には国の登録有形文化財(建造物)に指定されました。この濃密で華やかな彫刻の多くは、名工・石井虎正(上山虎正)の手によるものです。鳳凰や獅子などの意匠が細部にまで施されており、当時の高い職人技術を現代に伝える貴重な文化遺産となっています。一つ一つの彫刻には、見惚れるばかり。神様への畏敬の念と、地域の人々の佐沼総鎮守としての神社への誇りを感じ取ることができました。

◯珍しい「北向き」配置の御社殿
一般的な神社は南向きや東向きに建てられることが多い中、津島神社の社殿は、北向きの珍しい配置になっています🫨これは、佐沼城の時代にまで遡る歴史的な理由によるものです。慶長19年(1614年)、当時の領主・津田景康が伊達政宗の命を受け、津島神社を城下である現在地に遷座させた際、佐沼城(鹿ヶ城)を鎮護するという重要な役割を持たせるために、社殿を佐沼城に向かって北向きに建立したと伝えられています。この珍しい配置は、神社が単なる信仰の場に留まらず、地域の要衝である城の守り神としての役割を担っていたことを示す、大変興味深い歴史的背景と言えます。

主祭神である素戔嗚尊の力強いご神威と相まって、参拝者の心に平穏と活力を与えてくれるように感じました。歴史ある重厚な社殿の彫刻美、珍しい配置の背景にある歴史、夏の盛りが過ぎ、心地よい風が吹く季節に清々しい気持ちで参拝することができました😊

津島神社(宮城県)

可愛いペンギン🐧さんの御朱印

津島神社(宮城県)
津島神社(宮城県)
津島神社(宮城県)

拝殿

津島神社(宮城県)

彫刻が素敵

津島神社(宮城県)

彫刻が素敵

津島神社(宮城県)
津島神社(宮城県)

拝殿

津島神社(宮城県)

本殿

津島神社(宮城県)

本殿の彫刻

津島神社(宮城県)

本殿から拝殿を望む

津島神社(宮城県)

御神木の大銀杏

津島神社(宮城県)

境内社

津島神社(宮城県)

境内社

津島神社(宮城県)
津島神社(宮城県)

社務所も素敵😊

津島神社(宮城県)

(右)素戔嗚尊、(左)牛頭天王の御朱印
下地にカラーのアクリルシートを重ねて
立体的な描写になっています。
御朱印帳4ページを使って書き入れいただきました。

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歴史

創建由緒

 本社は元禄6年佐沼大火事で旧記を失った為に勧請年月日を明らかにすることは出来ませんが、「日本地誌提要(にほんちしていよう)」には武烈天皇の御代、あるいは聖武天皇の天平二年の創建にかかるとあります。また、その中には藤原秀衡奉納の経文『金光経全巻』もあったことも神職羽生氏所蔵古文書に記されています。
 現在の津島本宮社(北方天形鎮座)は文治5年(1189年)源頼朝が平泉を征討したあとの戦勝満願のお礼参りの後、葛西壱岐守(かさいいきのかみ)に命じて北方村に勧請したと伝えられています。
 天正19年(1591年)豊臣秀吉の日本統一に最後の抵抗をした葛西大崎両氏は士民連合して大一揆を起こし佐沼城に篭城しました。
 秀吉の命を受けた伊達政宗はこれを包囲したのですが、沼川深田の佐沼水域は難攻不落で、万策尽きた政宗は津島本宮に祈願したところ、惣然白鷺の群れが飛来し、沼の浅瀬に降りたちました。この深沼が浅いと知った政宗は籠城軍を一気に攻め城を落とすことが出来ました。
 慶長19年(1614年)政宗は領主津田民部景康に命じて津島神社を天形山より現在地に遷座し、社殿は佐沼城に向かって北向きに建立し、佐沼郷の総鎮守祇園牛頭天皇と称し奉りました。
 古くより人々から「ごてんのうさん」と親しみを寄せられ、崇め奉られています。
 特に6月祭り(新暦7月)の3日間は、出店や興行小屋が並んで人波が道にあふれ、南部気仙三陸からは漁民大挙して参篭りし、礼詣に玉石を奉納しました。佐沼名物みやげは祇園坊コロ柿型の饅頭で1食1年の疫病除けとして買い帰り、各家の軒下に吊るして悪魔祓いとして神信されました。

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名称

津島神社

読み方

つしまじんじゃ

通称

ごてんのうさん

トイレあり
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号0220-22-4804
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスgodenos@yahoo.co.jp
ホームページhttp://tushima-jinja.jp/
おみくじ

あり

お守り

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絵馬

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SNS

詳細情報

ご祭神本殿 神武速素盞鳴尊、倉稲魂命、猿田彦命、木花咲耶姫命

竹駒神社 祭神、倉稲魂命

道祖神社 祭神、猿田彦命

金比羅神社 祭神、崇徳天皇

山神社 祭神、木花咲耶姫命
創建時代

天平二年(730年)?

創始者

葛西西伊予守?

ご由緒

創建由緒

 本社は元禄6年佐沼大火事で旧記を失った為に勧請年月日を明らかにすることは出来ませんが、「日本地誌提要(にほんちしていよう)」には武烈天皇の御代、あるいは聖武天皇の天平二年の創建にかかるとあります。また、その中には藤原秀衡奉納の経文『金光経全巻』もあったことも神職羽生氏所蔵古文書に記されています。
 現在の津島本宮社(北方天形鎮座)は文治5年(1189年)源頼朝が平泉を征討したあとの戦勝満願のお礼参りの後、葛西壱岐守(かさいいきのかみ)に命じて北方村に勧請したと伝えられています。
 天正19年(1591年)豊臣秀吉の日本統一に最後の抵抗をした葛西大崎両氏は士民連合して大一揆を起こし佐沼城に篭城しました。
 秀吉の命を受けた伊達政宗はこれを包囲したのですが、沼川深田の佐沼水域は難攻不落で、万策尽きた政宗は津島本宮に祈願したところ、惣然白鷺の群れが飛来し、沼の浅瀬に降りたちました。この深沼が浅いと知った政宗は籠城軍を一気に攻め城を落とすことが出来ました。
 慶長19年(1614年)政宗は領主津田民部景康に命じて津島神社を天形山より現在地に遷座し、社殿は佐沼城に向かって北向きに建立し、佐沼郷の総鎮守祇園牛頭天皇と称し奉りました。
 古くより人々から「ごてんのうさん」と親しみを寄せられ、崇め奉られています。
 特に6月祭り(新暦7月)の3日間は、出店や興行小屋が並んで人波が道にあふれ、南部気仙三陸からは漁民大挙して参篭りし、礼詣に玉石を奉納しました。佐沼名物みやげは祇園坊コロ柿型の饅頭で1食1年の疫病除けとして買い帰り、各家の軒下に吊るして悪魔祓いとして神信されました。

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