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つしまじんじゃ

津島神社の御由緒・歴史
公式宮城県 新田駅

ご祭神本殿 神武速素盞鳴尊、倉稲魂命、猿田彦命、木花咲耶姫命

竹駒神社 祭神、倉稲魂命

道祖神社 祭神、猿田彦命

金比羅神社 祭神、崇徳天皇

山神社 祭神、木花咲耶姫命
創建時代天平二年(730年)?
創始者葛西西伊予守?
ご由緒

創建由緒

 本社は元禄6年佐沼大火事で旧記を失った為に勧請年月日を明らかにすることは出来ませんが、「日本地誌提要(にほんちしていよう)」には武烈天皇の御代、あるいは聖武天皇の天平二年の創建にかかるとあります。また、その中には藤原秀衡奉納の経文『金光経全巻』もあったことも神職羽生氏所蔵古文書に記されています。
 現在の津島本宮社(北方天形鎮座)は文治5年(1189年)源頼朝が平泉を征討したあとの戦勝満願のお礼参りの後、葛西壱岐守(かさいいきのかみ)に命じて北方村に勧請したと伝えられています。
 天正19年(1591年)豊臣秀吉の日本統一に最後の抵抗をした葛西大崎両氏は士民連合して大一揆を起こし佐沼城に篭城しました。
 秀吉の命を受けた伊達政宗はこれを包囲したのですが、沼川深田の佐沼水域は難攻不落で、万策尽きた政宗は津島本宮に祈願したところ、惣然白鷺の群れが飛来し、沼の浅瀬に降りたちました。この深沼が浅いと知った政宗は籠城軍を一気に攻め城を落とすことが出来ました。
 慶長19年(1614年)政宗は領主津田民部景康に命じて津島神社を天形山より現在地に遷座し、社殿は佐沼城に向かって北向きに建立し、佐沼郷の総鎮守祇園牛頭天皇と称し奉りました。
 古くより人々から「ごてんのうさん」と親しみを寄せられ、崇め奉られています。
 特に6月祭り(新暦7月)の3日間は、出店や興行小屋が並んで人波が道にあふれ、南部気仙三陸からは漁民大挙して参篭りし、礼詣に玉石を奉納しました。佐沼名物みやげは祇園坊コロ柿型の饅頭で1食1年の疫病除けとして買い帰り、各家の軒下に吊るして悪魔祓いとして神信されました。

歴史
沿革[編集] 創建は「風土記」によれば730年(天平2年)である。1189年(文治5年)源頼朝が奥州藤原氏、藤原泰衡の平泉へ攻め入る際に、この神社にて戦勝を祈願した。戦勝し、奥州を征服した後は、この地方の支配を任せた葛西氏に守護を命じている。1591年(天正19年)伊達政宗が葛西大崎一揆の鎮圧のため佐沼城を攻撃した際、戦勝を祈願した。後にこの地域は伊達氏に与えられ、佐沼の領主となった伊達氏の家臣湯目氏に守護を命じた。その際に、神社は佐沼に遷座し現在に至っている。1912年(明治45年)に社殿、幣殿、拝殿随身門、末社四社を焼失。再建され、再び郷社に列格された。
引用元情報津島神社 (登米市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B4%A5%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%99%BB%E7%B1%B3%E5%B8%82%29&oldid=76427063

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