くまのなちじんじゃ
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楽しみ方熊野那智神社のお参りの記録一覧
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名取市にある「熊野三社」を参拝。紀伊熊野三山と地理的・方角的に同じく勧請しているのは全国でもここ名取熊野三社だけ…とのこと。
熊野本宮社→熊野神社という「鉄板」の参拝順番で最後に熊野那智神社に参拝。高台の住宅街を抜けていきます。
境内の展望台からは名取市街や仙台空港、太平洋を臨むことができます。
参拝日は霞んだ景色でしたが、御朱印を書いてもらっている時に「田植えシーズンで田んぼに水が入ると霞がちな眺望になる」ということをお聞きして、人々の生活があるからこその「霞」なんだな…と少し感動。
これにて「名取熊野三社」の参拝コンプリート。三社の最後に参拝したこちらでは、コンプリートの記念?に「木札」をいただけました。
こちらの御朱印は社務所で直書きしていただけます。



高台の上にあり眺めがとても綺麗な神社です。
見晴台の近くには連理の杉もあり、これも見応えがあります。
宮司さんが猫を10匹くらい飼っているので、運がいいと見れるかも。
御朱印は紙では出さず御朱印帳が必須。気さくな宮司さんが目の前で書いてくださいます。
見開きの御朱印は手間がかかるから、本来はここで御朱印帳を買った時のみつけるそう。今回は人も少なく時間に余裕があるからとオマケで書いてくださいました。
神社のある一体は伊達稙宗が一時期住んでいた高舘城跡になっています。
周囲に遊歩道かあり、神社の裏側から5分ほど階段を降りると極々小さい滝が見られます。土塁の跡もありますが草で見えづらいし、寒い時期は猪や鹿が出るので要注意。
この神社自体はバスでも行けるようですが、無料駐車場もあるし、坂の下にも熊野神社が2つあるし、那智が丘が近くなると立て看板が多く迷わずに行けるので、車で行くのが1番おススメです。
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名取郡廣ノ浦に住む治兵衛という者がおりました。養老元年閏六月十五日早朝、漁に出るも漁が少なく港に戻らんとしたとき海底に光るものを見る。訝しみて網を投げ入れたところ藤の筏に抱かれた御神体でした。 治兵衛は御神体を家に持ち帰り朝な夕なに礼拝を欠かすことはありませんでした、しかしある時より夜毎廣ノ浦より西方の山並みに向かい龍燈のような光が走ります。治兵衛ら浦人大いに驚きまた懼れをなし神託を需めたところ「我羽黒飛龍の神なり」とお告げがあり、治兵衛自家に祀ることの不敬を悟り、異光の向かった高舘山に社殿を建立し羽黒飛龍大権現と号し社掌としてご神体を祀ることとなりました。
これが養老三年六月十日のこととなります。
保安四年名取老女なる者、紀州熊野三社を高舘の地に勧請する、那智の御分霊を当山に合祀するにあたりこれより熊野那智権現と号し、この地も吉田村と改める。
伊達家代々の崇敬厚く社地を拡張し社殿を造営し、年々祭祀料として三石五斗を寄進し社領の保護に尽くした。明治初め現社号に改められ、同五年村社列格、同四十年三月供進社に指定。明治初め元本社の末社春日神社、同四十二年に村内に鎮座していた、高舘、日吉、御田、薬師、八幡の各社を合祀し現在に至る。
閖上の名の由来
治兵衛らが神託を需めたさいお告げに「波のまにまに、水の門なる廣ノ浦に揺り揚がることを以て、門に水を配して閖上(ユリアガリ)ノ濱と称せよ」いう託宣もあり、これより廣ノ浦を閖上と改めた説があります。また、ご神体をゆだねた藤のイカダを海中に解き放したが、それが向こう岸に流れ着き大きな藤の塚に成長したとつたえられている。それ故その地を藤塚と呼び現在もその名が残っています。
名取老女の伝承
平安末期名取の地に旭という名の老女が住んでいました。若い頃は毎年のように紀州の熊野三社へ参詣しておりましたが、年老いて熊野へ行くことが難しくなり地域に熊野三社の分霊を祀る小さな祠を建ててお参りをしていました。 そんなある日、老女のもとに旅の山伏が訪れました。その山伏は老女に「私は松島に参詣するため熊野権現へお参りしたところ、夢枕に熊野権現が現れ『奥州に熊野権現を熱心に崇敬する者がいる。昔はよく熊野まで参詣に来ていたが年老いてなかなか来られないようだ。しかしそれでも毎日礼拝を欠かさないその者にこの手紙を渡して欲しい』と申されこれを託されたのです」といい、梛の葉に書かれた手紙を渡しました。そこには『道遠し 年もやうやう老いにけり 思い起こせよ 我も忘れじ』と書かれていました。熊野権現の心遣いに感謝し名取の高舘の地に社殿を建て熊野三社の御分霊を勧請しました。これが現在も残る名取熊野三社です。
御祭神
祭神
第一主神
羽黒飛龍大神(ハグロヒリュウノオオカミ)
御神徳 海上安全 大漁満足 身体健全 病気平癒 他
第二主神
熊野夫須美大神(クマノムスビノオオカミ)
御神徳 良縁成就 陰陽和合 交通安全 必勝祈願
黄泉事解男命(ヨモツコトサカオノミコト)
速玉神(ハヤタマノカミ)
家都御子神(ケツミコノカミ)
大穴牟遅神(オオナムチノカミ)
天照皇大神(アマテラスオオミカミ)
御神徳 家内安全 生業隆昌 五穀豊穣 健康生育 学業成就 心願成就 他
御神使
八咫烏[ヤタガラス]
神武東征の際、道案内として天上より遣わせられた三本の足を持った鳥です。その故事より道案内の神として旅行安全や交通安全、必勝祈願に御利益にあるといわれています。
また現在では日本サッカー協会のシンボルマークにも採用されています(名取那智神社サイトより)


[熊野那智神社(くまのなちじんじゃ)]
鎮座地
宮城県名取市高舘吉田字舘山8 地図
主祭神
羽黒飛瀧神、熊野夫須美神
例祭日
4月29日
連絡先
022-765-8217
由緒
七世紀から八世紀初めにかけて、本市閖上は広ノ浦と呼ばれていた。その広ノ浦に住む漁師、治兵エが早朝から海に出て漁に従事していた。そのとき、海底に光る物を見、網を降し引上げてみると、藤のイカダにゆだねられた御神体を得たのであった。養老元年閏6月15日のことであると伝う。自家に祀り朝な夕なの礼拝、供物に怠りなかった。年月経て養老3年を迎えた頃から、夜毎に広ノ浦から西方の山なみに向って異光が飛び、高山に留まることを見る。治兵エをはじめ浦人達大いに驚き且つ懼れをなして神託を需める。神託つとに喩旨あり「羽黒飛龍ノ神なり」と。治兵エは自家に祀ることは不敬であることを悟り、彼の異光が留まった処即ち高舘山に宮社を建立して安置し、羽黒飛龍大権現と称したのである。後、保安4年(1123年)名取の老女(巫女または司人か)と称する者が、紀州熊野三社を本村内(元高舘村)に勧請するにあたり、那智の分霊を当山に合祀して熊野那智権現(或は那智山権現社)と号した。

熊野那智神社 社務所にて(右側高館飛瀧神社と左側熊野那智神社)直書き御朱印頂戴致しました お忙しい中ご親切に、対応して頂きました🙏

熊野那智神社 熊野神社(第二駐車場からの参道の様子です
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