あえくにじんじゃ
敢國神社のお参りの記録一覧
参拝記念⛩️✨
伊賀國一之宮 敢國神社
三重県伊賀市に鎮座する敢國神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
8月1日に行われた大祓神事の茅の輪守を郵送で拝受させて頂いたのでお礼を兼ねて上がらせて頂きました。
暑くて、むすび社へ上がる元気がありませんでした😂
敢國神社さまではオリジナルの御朱印帳を領布していないため、書入れで頂きたい方は御朱印帳を持参した方が良いです。
三重県用の御朱印帳を持っていなかったので、限定御朱印を拝受させて頂きました🙏
限定
刺繍御朱印
限定
切絵御朱印
駐車場のニンニン
参道の幟旗
市杵島神社
社号碑
鳥居
手水舎
桃太郎岩
絵馬
狛犬
階段と拝殿
拝殿内
奉納酒
拝殿からの境内
本殿
境内社
むすび社の階段を登る元気がありませんでした😂
参拝記念⛩️✨
伊賀国一之宮 敢国神社
御祭神
主神
大彦命
おおひこのみこと
配神
少彦名命
すくなひこなのみこと
金山比咩命
かなやまひめのみこと
敢國神社の御由緒
古来伊賀の国の一宮として、当国の人々の総鎮守大氏神として、仰ぎまつってその霊徳に浴してまいりました。
創建年代は658年ですが、貞観の頃には神階五位を授けられ延喜の制には大社に列せられました。また延長年間には朝廷より社殿が修造せしめられ、南北朝時代には後村上天皇が行幸ましまして、数日間参籠あらせられ、社領の御加増もありました。徳川時代には藩主藤堂家の崇敬厚く、社殿調度の修営・神器社領の寄進・祭儀神事の復興などが行われました。明治4年5月国幣中社に列せられ今日に至っております。
(敢国神社HPより)
一之宮巡拝23社目😊まだまだ先が長い🤣
伊賀国敢国神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
生憎の雨模様ですが、雨の日の神社も風情があって大好きです。
朝、早い時間だったため人も少なく落ち着いた空気の中で参拝する事ができました。
5月1日「おついたちまいり」ということでX(旧Twitter)でフォローさせて頂き珈琲を頂いてしまいました☕️
御朱印
裏参道
社号碑
お祭り 由緒
鳥居
手水舎
御神水井戸
桃太郎岩
狛犬
拝殿
神饌殿
市杵嶋姫社(弁天社)
大石社
大石社の狛犬ならぬ
鯱?
むすび社 鳥居
裏参道
社伝では、斉明天皇4年(658年)の創建になる。祭神の大彦命は四道将軍として北陸地方を平定し、その子孫は伊賀国阿拝郡一帯に居住して阿閉氏を称し、大彦命を祖神として祀ったという。また、それとは別に少彦命を祀る秦氏一族があり、これら2柱をもって創建されたとする。
〜ウィキペディアより抜粋〜
名阪国道一之宮インターから行きましたが、所々に幟や案内表示があり、わかり易かったです。
3連休初日の2/10、朝8:30頃到着しましたが、底冷えする寒さにビックリ!「伊賀は盆地なんでね〜」との事。
寒さの影響もあったでしょうか?厳粛さと由緒ある感じを強く受けました。
行く途中に幟を何本か見ました。
駐車場はかなり広いと思います。朝早かったため、参拝者は自分の他は1名しかいませんでした😄
「社号標」
「鳥居」
赤い朱塗りの門は魔よけ封じのためとされる
「手水舎」
拝殿①
拝殿②
「桃太郎岩」
芭蕉句碑
「手はなかむ音さへ梅の匂いかな」
市杵島神社(末社)
御朱印(直書き)
おまけ
子どもが喜ぶかな?(駐車場にありました)
椿大神社の次は、少し大阪方面に戻り、伊賀上野を目指しました。
今日の目的は、もちろん神社めぐりですが、私が病気になって以後、
「運転手」の役目を1人で務めていただいている親友に「御礼」として、
すき焼きを食べていただくためでもあります。
三重県ではもちろん「松坂牛」が有名ですが、伊賀上野では「伊賀牛」のすき焼き
が食べれるので、帰り道としてご当地を選びました。
「敢國神社」は伊賀の国一の宮です。最初はこの漢字が読めず、悩んでいました。
「敢えてお小言を言う」の「敢えて」という表現につかう漢字になります。「あえくにじんじゃ」
と読みます。由来は、この地に勢力を持っていた「「安部氏」の「あべ」からだそうで、服部一族とも縁が深いお社です。伊賀は忍者の里。「服部半蔵」の本拠地です。「服部」と言えば、「はたおり」⇒秦氏に繋がるのですね。いろいろとりとめがなくなってきましたので、このへんで終わります。
御朱印をいただきました。「伊賀一の宮」の朱印が誇らしい。
駐車場前の石柱。「国幣中社」と書かれていました。
芭蕉の句碑。「手はなかむ音さへ梅の匂いかな」とうたわれています。芭蕉は伊賀上野出身で「忍者」説もある人です。
境内本殿に向かって正面にたつ「鳥居」。掲げてある神社名の銘板が大きいと
感じたのは私だけでしょうか。
手水場です。
ご本殿には石段を50段ほど登ってまいります。
ご本殿です。主祭神は「大彦命、少彦名命、金山姫命さま」であられます。
ご本殿横には「半蔵」というお酒の菰樽がありました。
ご本殿の正面中。
ご本殿を下りて右側に「ご神水の井戸」を発見。
その横に「桃太郎岩」という石がご鎮座されています。
「伊賀肉」のすきやき・・・神社とは関係ございませんが、美味でした。
全国一の宮巡り。伊賀国一の宮の敢国神社に参拝。津から紀勢本線で亀山で乗り換え、関西本線新堂駅で下車。新堂駅南口から上野市駅のバスに乗り、敢国神社で下車しました。帰りのバスまで一時間近くあったので、ゆっくり参拝させていただきました。日差しはきつかったですが、爽やかな風が通り、心が洗われるようなお社であっという間の一時間でした。帰りのバスが遅れてきたので、電車に間に合うかきをもみましたが、案の定、ギリギリ間に合いませんでした。途中の佐那具駅に近いバス停で降りたら間に合ったのにと思いましたが、後悔先に立たす。新堂駅でのんびり田園風景を眺めて一時間過ごしました。たまにはこういう時間もあって良いかなぁと、これも神のお導きですね。
良い一日を過ごすことができ、感謝。
芭蕉の碑
平日に参拝するとほとんど人が居ません。
そのため神氣が強いです。
一宮神社で貸切感を味わえる数少ない神社です。
歴史を感じる佇まいです。
龍雲が出ていました。
伊賀巡り⑥ 最後は伊賀の一番人気の敢國神社です。最後にじっくり見ようと思っていたら、社務所が閉まる4時近くになっていました😨 御朱印だけはと思い、急いで参拝したので写真があまり撮れませんでした🥲 調べによると歴史が古く、古墳時代から存在していたようです。現在の地に創建されたのは658年と伝わります。江戸時代に藤堂高虎が107石の神領を寄進したとか、伊賀忍者の服部一族の黒党祭をこちらで行ってきたとか、有名な人達が関わっています。
駐車場にありました。伊賀忍者のことがよくわかります。
参道は長めです。早く行かないと社務所が閉まっちゃう😰
途中にあった芭蕉の句碑です。
伊賀出身だけにあちこちに芭蕉の痕跡があります。
美しい朱塗りの鳥居です。
現代的な案内板がありました。後でゆっくり見ましたが。
御神水の井戸です。
桃太郎岩です。安産や子授けのご利益があります。
階段の上が拝殿です。
重厚そうな拝殿です。
こちらでお参りです🙏
何とか御朱印は間に合いました😄 ちょっと最後は慌ただしかったですが、伊賀はなかなか味のある良いところでした。
伊賀國一宮の敢国神社に参拝に行って来ました。
今日は神幸式が行われていました。地元の人達が集まって執り行われていましたので、なかなか県外から来た私達は入りずらくて鳥居の外から見てました。明日12/5は例祭のおんまつりがあるそうです。
御祭神は大彦命で、第八代孝元天皇の皇子で崇神天皇の御代四道将軍のお一人として北陸未開の地を教化した後、伊賀の地に永住せられ、国家繁栄の礎を築かれました。
命のご遠征によるご活躍にあやかり、交通安全、健康長寿の神として御霊徳を仰がれております。
少彦名命は医薬、酒造の祝神で、世に恵比寿様と称し商売繁盛、大漁豊穣の守護神としてその御沢尽き来るところがありません。
金山比咩命は御名の如く採鉱地金機械工業など、近代産業の霊験を垂れ給う守護神であります。
敢国神社と伊賀服部氏
第十五代応神天皇の五世紀初頭の頃の百済王の孫の酒君が大陸から機織職人を連れて渡来しました。その酒君の末裔が服部一族と考えられています。
伊乱記には伊賀服部氏に源氏服部、平氏服部、敢国服部の三流があったとしており、このうち敢国服部が敢国神社の神事を勤めてきたとあります。
彼らは建御名方の流れを汲む諏訪源氏の一流で敢国服部氏によって行われてきた黒党祭は諏訪に起源をもつ甲賀三郎兼家を祭る神事として受け継がれてきました。
第二次天正伊賀の乱で織田信長に大敗しましたが、伊賀忍者の心のよりどころとなるのは、やはり敢国神社でした。
また、参拝に行きたいとおもいます。
駐車場からの表参道
紅葉が綺麗でした。
入り口の鳥居
狛犬
狛犬
本殿
桃太郎岩
手水社
若宮八幡宮
むすび社鳥居
むすび社
楠社
神明社
大石社
大石社に鯱鉾が置いてありました。
左右に置いてありました。
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