御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
新 ホトカミサポーター制度開始(特典あり)
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2023年12月
敢國神社ではいただけません
広告

あえくにじんじゃ

敢國神社

三重県 佐那具駅

社務所/8:30~16:00
祈祷受付/9:00~15:00
参拝/24時間

投稿する
0595-23-3061

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

ご利益

敢國神社について

伊賀国の一宮


伊賀国一宮として篤い崇敬を集めていた神社です。
伊賀といえば最も有名なものといえばやはり伊賀流忍術、つまり忍者でしょう。
当神社にも忍者に関連した授与品がいくつもあり、忍者好きは必見です。

おすすめの投稿

まるこびっち
2023年10月15日(日)
200投稿

椿大神社の次は、少し大阪方面に戻り、伊賀上野を目指しました。
今日の目的は、もちろん神社めぐりですが、私が病気になって以後、
「運転手」の役目を1人で務めていただいている親友に「御礼」として、
すき焼きを食べていただくためでもあります。
三重県ではもちろん「松坂牛」が有名ですが、伊賀上野では「伊賀牛」のすき焼き
が食べれるので、帰り道としてご当地を選びました。
「敢國神社」は伊賀の国一の宮です。最初はこの漢字が読めず、悩んでいました。
「敢えてお小言を言う」の「敢えて」という表現につかう漢字になります。「あえくにじんじゃ」
と読みます。由来は、この地に勢力を持っていた「「安部氏」の「あべ」からだそうで、服部一族とも縁が深いお社です。伊賀は忍者の里。「服部半蔵」の本拠地です。「服部」と言えば、「はたおり」⇒秦氏に繋がるのですね。いろいろとりとめがなくなってきましたので、このへんで終わります。

敢國神社の御朱印

御朱印をいただきました。「伊賀一の宮」の朱印が誇らしい。

敢國神社(三重県)

駐車場前の石柱。「国幣中社」と書かれていました。

敢國神社(三重県)

芭蕉の句碑。「手はなかむ音さへ梅の匂いかな」とうたわれています。芭蕉は伊賀上野出身で「忍者」説もある人です。

敢國神社(三重県)

境内本殿に向かって正面にたつ「鳥居」。掲げてある神社名の銘板が大きいと
感じたのは私だけでしょうか。

敢國神社(三重県)

手水場です。

敢國神社(三重県)敢國神社(三重県)

ご本殿には石段を50段ほど登ってまいります。

敢國神社(三重県)

ご本殿です。主祭神は「大彦命、少彦名命、金山姫命さま」であられます。

敢國神社(三重県)敢國神社(三重県)

ご本殿横には「半蔵」というお酒の菰樽がありました。

敢國神社(三重県)

ご本殿の正面中。

敢國神社(三重県)

ご本殿を下りて右側に「ご神水の井戸」を発見。

敢國神社(三重県)

その横に「桃太郎岩」という石がご鎮座されています。

敢國神社(三重県)

「伊賀肉」のすきやき・・・神社とは関係ございませんが、美味でした。

もっと読む
投稿をもっと見る(71件)

歴史

古来伊賀国の一宮として、当国の人々の総鎮守大氏神として、仰ぎまつってその霊徳に属してまいりました。
創建年代は658年ですが、貞観の頃には神階五位を授けられ延喜の制には大社に列せられました。また延長年間には朝廷より社殿が修造せしめられ、南北朝時代には後村上天皇が行幸ましまして、数日間参籠あらせられ、社領の御加増もありました。徳川時代には藩主藤堂家の崇敬厚く、社殿調度の修営・神器社領の寄進・祭儀神事の復興などが行われていました。明治4年5月国幣中社に列せられ今日に至っております。

歴史をもっと見る|
9

敢國神社の基本情報

住所三重県伊賀市一之宮877
行き方

三重交通「上野市駅」→「神社前」下車 徒歩2分

アクセスを詳しく見る
名称敢國神社
読み方あえくにじんじゃ
通称一宮さん
参拝時間

社務所/8:30~16:00
祈祷受付/9:00~15:00
参拝/24時間

参拝にかかる時間

20分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0595-23-3061
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.aekuni.jp
おみくじあり
SNS

詳細情報

ご祭神《主》大彦命,《配》少彦名命,金山媛命
ご神体南宮山
創建時代斉明天皇4年(658)
本殿三間社流造
ご由緒

古来伊賀国の一宮として、当国の人々の総鎮守大氏神として、仰ぎまつってその霊徳に属してまいりました。
創建年代は658年ですが、貞観の頃には神階五位を授けられ延喜の制には大社に列せられました。また延長年間には朝廷より社殿が修造せしめられ、南北朝時代には後村上天皇が行幸ましまして、数日間参籠あらせられ、社領の御加増もありました。徳川時代には藩主藤堂家の崇敬厚く、社殿調度の修営・神器社領の寄進・祭儀神事の復興などが行われていました。明治4年5月国幣中社に列せられ今日に至っております。

体験祈祷おみくじお祓いお宮参り七五三御朱印お守り重要文化財祭りアニメなどサブカル一の宮

Wikipediaからの引用

概要
敢國神社(あえくにじんじゃ)は、三重県伊賀市一之宮にある神社。式内社(大社)、伊賀国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
歴史
歴史[編集] 創建[編集] 社伝[1]では、斉明天皇4年(658年)の創建になるとする。これによると祭神の大彦命は四道将軍として北陸地方を平定し、その子孫は伊賀国阿拝郡一帯に居住して阿閇氏(敢氏/阿閉氏)を称し、大彦命を祖神として祀ったという。また、それとは別に少彦名命を祀る秦氏一族があり、これら2柱をもって創建されたとする。創建当初は、敢國神社南方の南宮山山頂付近に祀られたが、後に現在地(南宮山山麓)に遷されたという。その後、山頂附近の社殿跡には南宮大社より勧請された金山比咩命が祀られた為、その山が「南宮山」と呼ばれたともいう。そして貞元2年(977年)、金山比咩命の社殿前の神木に言...Wikipediaで続きを読む
行事
祭事[編集] 年間祭事一覧 敢國神社で年間に行われる祭事の一覧[1][2]。 毎月 月次祭 (毎月1日) 1月 歳旦祭 (1月1日) 獅子神楽舞初式 (1月3日) 崇敬者初祈願祭 (1月11日) 2月 厄除祈願祭 (2月3日) 紀元祭 (2月11日) 祈年祭 (2月17日) 大石社祈年祭 (2月17日) 4月 春季大祭 (4月17日) 獅子神楽舞上祭 (4月17日) 大石社春祭 (4月24日) 一宮地区交通安全祈願祭 (4月24日) 6月 結社例祭 (6月第4日曜日) 大祓式 (6月30日) 7月 大石社祇園祭 (7月28日) 8月 茅の輪神事 (8月1日) 9月 一宮地区敬老...Wikipediaで続きを読む
引用元情報敢國神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%95%A2%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=93964717

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
サポーターページ小バナー