あえくにじんじゃ
敢國神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
伊賀巡り⑥ 最後は伊賀の一番人気の敢國神社です。最後にじっくり見ようと思っていたら、社務所が閉まる4時近くになっていました😨 御朱印だけはと思い、急いで参拝したので写真があまり撮れませんでした🥲 調べによると歴史が古く、古墳時代から存在していたようです。現在の地に創建されたのは658年と伝わります。江戸時代に藤堂高虎が107石の神領を寄進したとか、伊賀忍者の服部一族の黒党祭をこちらで行ってきたとか、有名な人達が関わっています。
駐車場にありました。伊賀忍者のことがよくわかります。
参道は長めです。早く行かないと社務所が閉まっちゃう😰
途中にあった芭蕉の句碑です。
伊賀出身だけにあちこちに芭蕉の痕跡があります。
美しい朱塗りの鳥居です。
現代的な案内板がありました。後でゆっくり見ましたが。
御神水の井戸です。
桃太郎岩です。安産や子授けのご利益があります。
階段の上が拝殿です。
重厚そうな拝殿です。
こちらでお参りです🙏
何とか御朱印は間に合いました😄 ちょっと最後は慌ただしかったですが、伊賀はなかなか味のある良いところでした。
伊賀國一宮の敢国神社に参拝に行って来ました。
今日は神幸式が行われていました。地元の人達が集まって執り行われていましたので、なかなか県外から来た私達は入りずらくて鳥居の外から見てました。明日12/5は例祭のおんまつりがあるそうです。
御祭神は大彦命で、第八代孝元天皇の皇子で崇神天皇の御代四道将軍のお一人として北陸未開の地を教化した後、伊賀の地に永住せられ、国家繁栄の礎を築かれました。
命のご遠征によるご活躍にあやかり、交通安全、健康長寿の神として御霊徳を仰がれております。
少彦名命は医薬、酒造の祝神で、世に恵比寿様と称し商売繁盛、大漁豊穣の守護神としてその御沢尽き来るところがありません。
金山比咩命は御名の如く採鉱地金機械工業など、近代産業の霊験を垂れ給う守護神であります。
敢国神社と伊賀服部氏
第十五代応神天皇の五世紀初頭の頃の百済王の孫の酒君が大陸から機織職人を連れて渡来しました。その酒君の末裔が服部一族と考えられています。
伊乱記には伊賀服部氏に源氏服部、平氏服部、敢国服部の三流があったとしており、このうち敢国服部が敢国神社の神事を勤めてきたとあります。
彼らは建御名方の流れを汲む諏訪源氏の一流で敢国服部氏によって行われてきた黒党祭は諏訪に起源をもつ甲賀三郎兼家を祭る神事として受け継がれてきました。
第二次天正伊賀の乱で織田信長に大敗しましたが、伊賀忍者の心のよりどころとなるのは、やはり敢国神社でした。
また、参拝に行きたいとおもいます。
駐車場からの表参道
紅葉が綺麗でした。
入り口の鳥居
狛犬
狛犬
本殿
桃太郎岩
手水社
若宮八幡宮
むすび社鳥居
むすび社
楠社
神明社
大石社
大石社に鯱鉾が置いてありました。
左右に置いてありました。
三重県伊賀市にある、伊賀ノ國一宮の敢国神社に参拝に行ってきました。
あまり人通りもなく、車もあまり走らないような静かな場所にあります。
私が来てから何組か参拝客が来てました。
落ち着いてお詣りをする事が出来ました。
入り口の鳥居
階段をあがります。
狛犬
狛犬
本殿
手水社
桃太郎岩
由緒書き
神明社
むすび社の鳥居
むすび社
近くのインターまではずっと通ってて気になってたんだけど、やっと今日念願のあえくにに奉拝。
鳥居
鳥居正面
拝殿
昔ながらの井戸
木陰から
参道の階段
御朱印
【伊賀国 式内社巡り】
敢国神社(あえくに~)は、三重県伊賀市一之宮にある神社。式内社(大社)で、伊賀国一之宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は大彦命、配祀神は少彦名命、金山比咩命(かなやまひめ)。
当初は伊賀の神奈備山・南宮山の大岩を磐座として原始信仰が始まったとされる。社伝によると、飛鳥時代の658年に山麓の現在地に社殿を創建した。国史では、『日本文徳天皇実録』の平安時代850年条において「津神」の神階奉授、『日本三代実録』864年条において「安部神」の神階奉授、867年条の「敢国津神」の神階昇叙の記載があり、これらが当社にあたるとされる。また927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「伊賀國 阿拝郡 敢国神社 大」に比定されている。延長年間(923年~931年)には朝廷により社殿が修復されている。『源平盛衰記』の記載を初見として、伊賀國一之宮であったとされ、「南宮」との呼称も見られる。南北朝時代には、南朝の後村上天皇が行幸し、数日間の参籠の後、社領を加増している。戦国時代の1581年に天正伊賀の乱で織田信長の侵攻により社殿や古文書を焼失したが、1593年に山伏の小天狗清蔵により社殿が再建されている。江戸時代になり藤堂高虎が伊賀国に入ると、上野城の鬼門として崇敬を受け、1609年に社殿が再興され、社領107石が寄進された。明治時代に入り、近代社格制度において国幣中社に列格した。
当社は、JR関西本線・佐那具駅の南方2kmの、南宮山(標高350m)の北西麓にある。車だと伊賀一之宮ICから道のり1km弱、3分。駐車場から表参道を進むが、門前町はないようで静かな雰囲気。境内南端入口の鳥居から境内に入ると、社務所や絵馬殿等の建物があり、正面の斜面の小高いところに社殿がある。社殿の周りなどにいくつか境内社があるが、他の一宮と比べると数は少なく、範囲も広くはない。こぢんまりとして、参拝して廻りやすい印象。ちなみに関係ない話だが、松尾芭蕉は当地・伊賀郡阿拝郡の出身で、表参道入口に芭蕉の句碑が立っている。
今回は、伊賀国一之宮、式内社、旧国幣中社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中早めの時間で、自分以外には数人、参拝者がいた。
※初めて訪れる地域の神社を参拝する際は、まず一之宮に参拝をしてオリジナル御朱印帳を入手することからスタートするようにしている。ただ、当社は伊賀國一之宮だが、オリジナル御朱印帳がない(全国一の宮御朱印帳はあるが、普通の御朱印帳もない)とのことだったので、やむなく同じ三重県の伊勢国一之宮の椿大神社の御朱印帳で伊賀国の神社を廻ることとした...涙
境内南西端の<表参道>入口。巨大な鳥居を期待したので、少し肩透かし。伊賀の街並みは良い感じ。
表参道を進んですぐの左側にある<芭蕉の句碑>。自分は知らなかったが、松尾芭蕉は、当地・伊賀国阿拝郡の出身。
句碑の俳句は1688年に芭蕉が当社に参拝した時のもので、「手はなかむ 音さへ梅の 匂いかな」とある。
自然や庶民生活を詩情豊かに表現する芭蕉らしい句とのこと。
表参道をさらに進んで左側にある<市杵島姫社>。珍しいことに、鳥居も社殿もすべてが真っ赤。
表参道の突き当りには、特に何もなし...(。´・ω・)?
表参道の左側にある<鳥居>と<社号標>。道が広くないので、鳥居と社号標を1枚の写真に収めようとするとこんな感じ。
社号標には「元國幣中社 敢國神社」とある。
正面から<鳥居>。大きな木彫り扁額には「敢國神社」の文字。
鳥居をくぐったところ。正面の高い場所に社殿がある。
鳥居をくぐってすぐ右側にある<手水舎>。
手水舎の左手にある<参集殿>。
参集殿の左隣にある<絵馬殿>。
絵馬殿の左手にある<桃太郎岩>。
桃太郎岩の手前にある<御神水井戸>。
鳥居をくぐってすぐ左側にある<燈籠>。
鳥居をくぐって、左前方にある<社務所>。御朱印はこちら。
いよいよ、正面の<社殿>を望む。きれいな門松と奉納旗が社殿への階段を華やかにしている。
左側の<狛犬>。そんなに古さは感じない。
右側の<狛犬>。
階段を登って、<拝殿>正面。
<拝殿>内部。奥の部分は<祝詞殿>というらしい。
拝殿の側面から見た<祝詞殿>と、その奥の<本殿>。一段高いところにあって、瑞垣に囲われている。
なお、本殿の左側には<九所社>、右側には<六所社>が建っている。
拝殿の正面には奉納樽がたくさん並んでいる。上段の黄金色の目立つ樽は、伊賀上野の地酒「半蔵」。
拝殿の左隣には<神饌殿>。その後ろは<神輿庫>。
神輿庫の先が、表参道と並行して伸びる<裏参道>。表参道同様、境内西側を南北に走る道に出る。
参道右側が山になっていて、境内社がぽつぽつ建っているので順に廻って行く。
まずは<若宮八幡宮>。
次に<子授社>。
一つ飛ばして<神明社>。
一つ飛ばしたのはこちらの鳥居。階段を登って行く。
階段を登り切ったところには<楠社>と書かれた石碑。
階段を登り切ったところから右方向に進む。
左手に現れる<楠社>。
楠社の前から、谷側を見下ろす。神輿庫などの屋根が見える
楠社の先の最高地点にある<結社(むすびしゃ)>。
縁結びの神様ということで、皆さん授与品をくくり付けている。
結社から、本社本殿を望む。あまりはっきりは見えないが、本殿近くに小さな社殿(九所社)があるのが分かる。
戻って来て、神饌殿前から<拝殿>を望む。
神饌殿前から社務所に向かって坂道があるが、その途中に<御神木>の大杉の木がある。これは立派! (o^―^o)
社務所で御朱印を拝受する間、社殿方向を撮影。きれいな印象。
境内西端の道沿いにある当社駐車場には、<顔はめパネル>が<由緒書>とセットになっている。
昭和情緒あふれてて良いかも~♪ (^▽^)/
伊賀国一宮として古くから信仰を集めた神社で、境内社の多い事には驚きました。御朱印も頂けました。
表参道にされている市杵島姫社
デジタル式の案内看板
手水舎
拝殿内
桃太郎石
若宮八幡社
子授社
むすび社
楠社
神明社
大石社
伊賀の一宮、敢國神社にお参りしました。
さすが式内社、七世紀の中期に創建されたということで、荘厳な雰囲気に圧倒されました。
広い駐車場に、由緒書がありました。
朱塗りの門は、魔除け封じのためだとか
手水舎は通常通り使わせていただけます
拝殿は広く立派で、長年の歴史が積もった厳かな雰囲気です
桃太郎岩は木華咲耶比咩命(このはなさくやひめのみこと)をお祀りしています。
安産、子授けのご利益があるそうです。
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