さるたひこじんじゃ
猿田彦神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
2023年お盆休み、東京への転勤が決まった報告を兼ね、妻の実家のある伊勢へ帰省した折に参拝しました。 猿田彦神社に祀られるは、古事記および日本書紀の天孫降臨の段に登場する猿田彦大神(さるたひこおおおかみ)とその子孫にあたる大田命(おおたのみこと)です。 日本神話によれば、猿田彦大神は天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫にあたる邇邇藝命(ににぎのみこと)が葦原の中津国を治める為に高天原から高千穂峰へ降り立った際にその道案内を申し出た神(国津神)とされ、そのことから物事の始まりに道標となって、何事も良い方向へと導いてくださる啓行(みちひらき)の神様として知られています。 また、大田命は倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神を祀る地として相応しい場所を探し巡幸していた折に五十鈴川上の地(現在の伊勢神宮内宮)を勧め、この土地を献じたと伝えられています。 境内社には天宇受売命(あまのうずめのみこと)を祀る佐瑠女神社(さるめじんじゃ)もありましたので、色々と伊勢神宮(天照大神)とも関わりが深く、お伊勢参りの際に立ち寄る参拝客も多いようです。 頂いた御朱印の右上の印影は「奉拝」ではなく「啓行」との言葉が入っていました。
猿田彦神社・神社名碑と鳥居
猿田彦神社・由緒書
猿田彦神社・手水舎
猿田彦神社・拝殿
猿田彦神社・方位石
猿田彦神社・たから石
猿田彦神社・子宝池
御朱印
伊勢神宮内宮の次は、近くに御鎮座する猿田彦神社に参拝に行ってきました。
御祭神は猿田彦大神です。
相殿には太田命が祀られています。
猿田彦大神は天孫降臨の時、天と地の間にある難所の天八衢にて待ち迎えられ、天照大御神の御孫(天孫)・瓊瓊杵命を高千穂へと導かれました。その後、本拠地である伊勢の五十鈴川上に戻られ、ここを中心に広く国土を開拓されました。
猿田彦大神は白髭大神、千勝大神、道祖神、塞の神、庚神様などとして津々浦々にお祀りされています。
太田命は猿田彦大神の御裔の神で、第十一代垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が神宮御鎮座の地を求め諸国を巡り伊勢に到着された時にお迎えし、大神以来守護してきた五十鈴川の川上の霊域を献上されました。そこに皇大神宮(内宮)が創建されたと伝えられています。
大神と太田命の子孫である宇治土公はその後、神宮において代々「玉串大内人」という特別な職に任ぜられ、式年遷宮で心御柱と御船代を造り奉るなど、重要な役割を果たしてきました。
猿田彦神社は猿田彦大神の本拠地である伊勢の地で大神の末孫宇治土公家が宮司として累代奉仕する神社(本社)です。
狛犬
狛犬
由緒書き
拝殿
子宝池
「みちひらきの神さま」猿田彦神社へは宇治橋から「おはらい町」をまっすぐ歩き、突き当りに大きな看板がありましたので、迷わず行けました。
「猿田彦」さまは、天照大御神さまのお孫さまの「ニニギノミコト」さまを日本の地(高千穂)に導かれた神さまです。境内にある「佐瑠女神社」にまつられておられる「アメノウズメノミコト」さまとは夫婦です。ニニギさまの「天孫降臨」をお二人でお導きになられ、その後、伊勢の地を開拓されたそうです。「アメノウズメノミコト」さまは天照大御神さまが「天岩戸」にお隠れになられたときに、岩戸の前で踊りを披露され、天照大御神さまが天岩戸から出られるきっかけをつくられた有名な神さまです。ニニギノミコトとともに地上に降り立つ際に「猿田彦」と出会い、結婚されたと・・・まるで人間界のお話のようですね。
御朱印です。
入り口です。結構参拝される方がおおくいらっしゃいました。人気のある神さまですね。
手水場の柱には様々なシールがいっぱい貼られていました。神宮とはちがった雰囲気でした。
正面鳥居前にあった・・・これは「八卦」?
ご拝殿です。ご神紋は「五瓜梅鉢」です。
縁起のよい「へび石」
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