さるたひこじんじゃ
猿田彦神社のお参りの記録一覧
伊勢の旅⑥みちひらきの大神『猿田彦神社』参拝 (*’▽’)
豊作を祈り早苗を植える御神田🌾 カラフルで目を引く手水舎🎶 個性的な境内でした♪
ものごとの最初に御出現になり万事最も良い方へ“おみちびき”になる大神✴
伊勢神宮とのご縁も深く、猿田彦大神直系の子孫✨宇治土公(うじのつちぎみ)家が代々宮司を継がれているそう~すごい!
~お伊勢参りの流れで行きたい猿田彦神社~
神宮第一の古典『皇太神宮儀式帳』等にあるように、宇治土公宮司家の祖先で猿田彦大神の御裔である大田命が、倭姫命の御巡幸に際して、猿田彦大神が聖地として開拓された五十鈴の川上にある宇遅(宇治)の地をお勧めし、そこに皇大神宮(内宮)が造営されました。そのため宇治土公家はその後、神宮において代々「玉串大内人(たまぐしおおうちんど)」という特別な職に任ぜられ、式年遷宮で心御柱と御船代を造り奉るなど、重要な役割を果たしてきました。 (HPより)
御朱印と一緒にいただいてきたカード裏のQRで情報ゲット😄
天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受売命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられました。
《手水舎》
八角形の柱は色々と貼付けられてカラフル!
今までこんな手水舎は見たことがないのでビックリ😆
こんなに貼っていいの?ビックリしました~
~方位石☆古殿地~
拝殿正面にある方角を刻んだ八角の石柱は、昔の神殿跡を印したもの😊
昭和11年の御造営まで永く御神座のあった特別な場所。八角形の石は大神の御神徳「みちひらき」を表すそうです🎵
《方位石》
《絵馬》 「みちびきの舞」が描かれている
明治天皇の皇女☆北白川房子様御参拝の時にお詠みになった御歌に作曲・振付をした猿田彦神社独自の舞には、願いを良い方向に導く想いが込められています。
「さだひこの 御名いと高し 天くだり神代の昔 しぬびまつれば」
御社殿の右側からぐるっと裏にまわると、、
田圃!!
稲穂が青々とした季節に来たかった🌾🌾
《御神田》
毎年5月5日には、三重県無形文化財のお祭り『御田祭』が行われる🌿
桃山時代の衣装をつけた植方が、のどかな田楽に合わせ豊作を祈って早苗を植える様子は優雅な絵巻のように素敵らしい✨みてみたい😌
立派な狛犬さん💓
鳥居の支柱もも八角形✴
国歌の「さざれ石」がある猿田彦神社へ参拝してきました。
夜は三重の海の幸と山の幸を楽しめるお料理を美味しくいただきました。
伊勢海老
鮑
伊勢まぐろなど
大満足のお食事でした
猿田彦神社さんへ参拝しました。
皇大神宮(内宮)からおはらい町を通りながら北へ進んだ場所に鎮座されています。
この日はちょうどお伊勢さんマラソンが開催されていて、内宮周辺の交通規制の影響も受け渋滞していたので、手前で私だけ車を降りて歩きました。
猿田彦大神さんは、ものごとの最初に現われ万事最も良い方へ“おみちびき”になる大神です。
古事記や日本書紀などにも『国初のみぎり天孫をこの国土に啓行(みちひらき)になられた』と伝えられています。
天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をご案内した後、天宇受売命(あめのうずめのみこと)と一緒に、本拠地である『伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上』の地に戻られ開拓にあたられました。
御朱印をとても丁寧に書いてくださり、字の上手下手より、その丁寧さが嬉しかったです。
(参拝客が多くて写りこんでしまうので写真は限定的ですm(_ _)m)
伊勢市駅エリアから内宮へレンタルサイクルで向かう途中にあり、こちらへ。
大鳥居前には駐輪スペースがなく、大鳥居を過ぎ交差点を左折するとある駐車場に入ると駐輪スペースがありました。
境内には多数の参拝客。最後列に並んで参拝まで20分ほど待ち参拝。
境内社の芸能の神様「佐瑠女神社」は5分ほど並んで参拝です。
内宮からの参拝客というより、七五三の地元の方が多く訪れていたようです。
社務所では猿田彦神社と佐瑠女神社の御朱印がいただけますが、受付に①猿田彦、② 佐瑠女神社、③両方 と書いてあり、受付で数字を言う仕組みです。
御朱印は3人程度しか並んでおらず、2種拝受しました。
御神田
社務所
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