ほんざんせんじゅじ|真宗高田派本山|高田山
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三重県寺院巡りの2寺目は、三重県の県庁所在地である津市に在る真宗高田派本山の高田山 専修寺です。「せんしゅうじ」ではなく「せんじゅじ」です。
浄土真宗高田派で、本尊は阿弥陀如来。
国宝の建造物が2棟、重文の建造物が11棟、重文/県指定文化財の仏像を4躯所蔵しています。
浄土真宗の開祖・親鸞が1225年に現在の栃木県真岡市に一宇を建立、後に本寺と呼ばれた。
中部地方にも教義を拡げるべく専修寺10世の真慧上人が文明年間(1469~1486年)この地に建立、1526年に本寺が兵火により焼失したため、やがてこちらが本山と呼ばれるようになった。(栃木県の専修寺を本寺専修寺、三重県の専修寺を本山専修寺と呼ぶ。)
寺院の西側にある広い無料駐車場に停めました。(唐門の前の駐車場はNG?)
西側からの境内の入口は唐門です。立派なので山門と勘違いして境内に入りました。(山門から境内に入るのをマイルールとしているので。)
まあそれにしても境内の広い事。
手水があって、総合案内所があります。
正面左側は聖徳太子が祀られている太子堂、正面にはデカイ国宝の如来堂。本尊の阿弥陀如来立像(重文)が祀られていますが遠いですね。
国宝の御影堂に繋がる渡り廊下である通天橋(重文)。御影堂は更にデカイ。中は780畳敷だそうです。こちらには親鸞聖人坐像(県指定文化財)が祀られていますが、お像が小さい上に遠いのでなかなか観るのは厳しいです。散華を頂きました。
山門から一旦外に出て再度山門をくぐって境内に。右側に仏具やお土産物の販売やお茶を飲みながら休憩できる茶所があります。先を急ぐので入りませんでしたがこれも重文でした。(後から知りました。)重文の建物の中でお茶が飲めるなんて滅多に無い事ですから寄れば良かったとやや後悔。その先には鐘楼(重文)、大玄関(重文)、等々の文化財の宝庫です。
一通り境内を廻りましたので、総合案内所へ行って参拝記念印(浄土真宗では基本御朱印は無い。)を頂きました。そこで、御廟に行けますか?とお訊きした所、「今、納骨法要しているので中には入れないですが外からは観れます。」との事でしたので行きました。御廟唐門(重文)はくぐれません。御廟拝堂(重文)は法要中のため外からの拝観、御廟は柵の手前からの拝観でした。
境内を隅から隅まで歩くと結構な運動になりますね。

専修寺(せんじゅじ)は、三重県津市にある真宗高田派の本山の寺院。山号は高田山。本尊は延暦寺から譲り受けた「証拠の如来」の別称がある阿弥陀如来。「本山専修寺」、「一身田専修寺」とも呼ばれる。境内の「御影堂」、「如来堂」が国宝、「三門」、「唐門」、「通天橋」、「鐘楼」などが国指定の重要文化財。三重県で最も参拝者数が多い寺院。
室町時代の文明年間(1469年-1487年)、下野国の専修寺第10世真慧が、伊勢国門徒の要請および新布教拠点開設のため、当地に無量寿院として創建。1478年には朝廷の尊崇を受け、後土御門天皇が当寺を皇室の御祈願所とした。
1526年に下野国高田の本寺専修寺が兵火で焼失し、また無量寿院住持の応真が第11世となったことから、当寺に教団の中枢が移り、数多くの親鸞の真筆類も移され、親鸞の肖像、直弟子の書写聖教など貴重な収蔵品を多数保持している。
江戸時代前期の1645年に大火で全山全焼するが、1658年津藩2代藩主・藤堂高次からの援助などにより再建した。境内は浄土真宗最大宗派の東西本願寺に匹敵する広大なものだが、東西本願寺のように主要堂宇は東面しておらず、門徒の意見で南面して再建された。
本寺は、JR紀勢本線・一身田駅の東側200mほどの位置にある。列車の本数が少ないため注意を要する。なお一身田駅は無人駅。(近鉄名古屋線・高田本山駅は1km近く離れていて厳しい。)境内は東西に400m、南北に200mほどと広々していて、門前にも寺内町が形成されており、規模の大きさに驚く。国宝の2大建造物も京都・奈良の大寺院級に大きく、かつての大繁栄が想像できる。
『日本の古寺100選』という書籍に取り上げられていたことと、仏教各宗派の大本山・本山を廻っていることから参拝することに。参拝時は平日の夕方で、おそらく観光客はゼロ、参拝者は地元風の方々がぱらぱらいた。
※旅行サイト<じゃらん>において、津市で4番目に人気がある(口コミ数が多い)寺社仏閣。
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