ひらおかはちまんぐう
平岡八幡宮京都府 嵯峨嵐山駅
10:00〜16:00
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楽しみ方
京都市右京区にある神社です。
境内ぎりぎりまで車で行くことができました。
御朱印をお願いしたところ、ご神官自らご案内をいただけました。
本殿を、先代が自費で修復工事を手掛けたとおっしゃっていました。
切妻造は現存するものが少ないとのことでした。
「花の天井」と境内の「金魚葉椿」が有名です。
花の天井には、極彩色の花卉図が44面描かれています。
金魚葉椿は、写真を見ていただいたら分かると思いますが、葉が変形して金魚のように見える椿のことです。
八幡宮のある地域は、北条氏から攻められた後鳥羽上皇が逃げ延びた場所としても知られています。

平岡八幡宮へ到着。境内は参拝者も少なく、静かにお詣り出来ました😊花の天井の公開期間だったようですが今回はどうしても気になった高山寺手前のお社のことについて授与所でお伺いしましたが、詳しいことはわからないので宮司が御在宅なのでそちらでお聞きくださればとのこと。遠慮なく社務所へ赴きお話聞かせていただきました😊帰りは表参道から。紅葉と銀杏の黄葉が両方見れてなかなか良き参道でした😊
西側参道鳥居
同扁額
地主社の石標
同駒札
地主社社殿
手水舎
拝殿
舞殿でもあるそう。
駒札に「靭猿舞台背景の社」とあります。
阿
吽
本殿
由緒駒札
花の天井
為朝の試し石
野風呂の歌碑
武内社
同駒札由緒
本殿横から
山の神石
さざれ石のことだそう
貴布弥社
同駒札由緒
忠魂碑
参道には黄色の銀杏の葉が😊
今年初かも
紅葉もぼちぼち
表参道鳥居
同扁額
当社は梅ヶ畑八幡宮とも呼ばれ応神天皇を祭神とする右京区の梅ヶ畑一帯の産土社である。大同四年(809)に神護寺の鎮守として空海が大分県宇佐八幡宮から勧請したのが起源であり、応永十四年(1407)の焼失後には足利義満が社殿を再建している。
現在の本殿は、文政九年(1826)に造営されたもので、大工は上嵯峨の宗兵衛と室町の中川常右衛門藤原忠寛である。この本殿は市内に現存する数少ない切妻造本殿の一つであり、平成十二年に京都市の有形文化財に指定されている。本殿天井には極彩色の花卉図が四十四面描かれており「花の天井」と呼ばれ、更に内法長押には熨斗に包まれた梅や椿が描かれるなど装飾性の強い空間になっており、これら彩色画を描いたのは綾戸鐘次郎藤原之信である。
また、毎年10月の祭礼「三役相撲」は地元の子供と大人が取り組み、神の加護を受けた子供が勝つという古くから伝わる神事である。
| 名称 | 平岡八幡宮 |
|---|---|
| 読み方 | ひらおかはちまんぐう |
| 通称 | 梅ヶ畑八幡宮 |
| 参拝時間 | 10:00〜16:00 |
| 参拝料 | 境内無料。特別拝観800円 |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-871-2084 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 絵馬 | あり |
| ご祭神 | ≪主≫応神天皇 |
|---|---|
| 創建時代 | 大同四年(809) |
| 創始者 | 弘法大師 |
| 本殿 | 切妻造 |
| 文化財 | 本殿(市有形文化財)
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| ご由緒 | 当社は梅ヶ畑八幡宮とも呼ばれ応神天皇を祭神とする右京区の梅ヶ畑一帯の産土社である。大同四年(809)に神護寺の鎮守として空海が大分県宇佐八幡宮から勧請したのが起源であり、応永十四年(1407)の焼失後には足利義満が社殿を再建している。
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| 体験 | 祭り武将・サムライ伝説 |
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