あだしのねんぶつじ|浄土宗
化野念仏寺のお参りの記録一覧

【華西山(かさいざん)東漸院(とうぜんいん)化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)】
本尊:阿弥陀如来
宗派:浄土宗
開基:弘法大師 空海
化野念仏寺は、寺伝によれば弘法大師 空海が、五智如来寺を開創し、野ざらしとなっていた遺骸を埋葬したと伝えられています。当初は真言宗でしたが鎌倉時代の初期に法然の常念仏道場となり浄土宗に改められ、名も念仏寺と呼ばれるようになりました。
境内には、賽の河原と同じように見える西院(さい)の河原に多数の石塔石仏が立ち並んでいます。
【竹林の小径】
【虫塚】
【仏舎利塔】
【鳥居(トーラナ)】
【西院(さい)の河原】
【本堂】
【本堂 扁額】
【水子地蔵】
【竹林の小径】
【六面六体地蔵】
【延命地蔵】
【西院の河原】
【天満宮】
【御朱印】

今回は新緑の嵐山、あまり人が多くない北側を中心に回ります。
まずは化野(あだしの)念仏寺。古くは平安京の外、あの世との境とされ、葬祭の地であったようです。後年、その遺体や無縁仏をまとめたのが化野念仏寺。無限に続く石積みは西院の河原を思わせます。
無縁仏が集められている一画は写真撮影禁止ですが、面白半分に観光してよい雰囲気でもないですね。新緑と苔の緑に囲まれた念仏寺は、ただ静かでした。
御朱印いただきました。達筆だなー。
念仏寺への石段。小さな看板があるだけです。
ここから中へ。
緑一色。
お地蔵様。
竹林
竹林の先にある六面体地蔵。
延命地蔵堂。病が軽快します様に。
西院の河原の外部。内部はNG。

京都市右京区にあるお寺です。
山号は華西山(かさいざん)
宗旨宗派は浄土宗
ご本尊は阿弥陀如来
です。
念仏寺という名称が、何かおどろおどろしいイメージを掻き立てます。
まあ、そもそも平安時代のお墓ですから仕方がない(すみません)です。
化野念仏寺がある辺りは風葬の地としても知られています。
それがおどろおどろしいイメージにつながってしまうのでしょうね。
実際念仏寺には多くの墓石があり、イメージ写真にも使われています。
石仏や石塔の一処に会して並ぶ全景は、空也上人の地蔵和讃にあるように、石を積み上げた河原の有様を思わせることから賽の河原にちなんで西院(さい)の河原と言われます。
参拝の最後に、かわいらしい狸が微笑んでくれていたので、ほっとしました。

過去分御朱印投稿。
令和2年11月、京都市右京区の浄土宗化野念仏寺。
境内の石仏・石塔は、かつて化野一帯に葬られ無縁仏となった人々をまつったもので、その数およそ八千🙏
毎年8月には無縁仏の霊にロウソクを供える"千灯供養"が行なわれます🕯️
紅葉の境内を散策しました🍁
階段もいい雰囲気
受付があります
仏舎利塔
西院の河原。
片平なぎさでお馴染み😅🕯️
西院の河原内での撮影は禁止🙅
本堂
竹林道

嵐山は交通制限なかったですが渡月橋が通行止めのためレンタカーのナビが迷子。嵐山を諦め化野念仏寺に。密を避けられて結果オーライ😃
弘法大師が五智山如来寺を開山、法然の常念仏道場となり浄土宗のお寺となった。華西山東漸院念仏寺。葬送(風葬から土葬の頃)の地でたくさんの石仏があり生まれ変わり、極楽浄土への往来を願った。ご本尊は阿弥陀如来。
入ってすぐのとこ。赤。
入ってすぐのとこ。黄色。
インド式の仏舎利塔。1969年パン大僧正がインドより仏骨を持参されたらしい。
これもインド式の鳥居。
これは日本の。
延命地蔵尊。
素人はならしちゃいけない鐘。きれいな模様。
ご本尊。
六面六体地蔵さま。時計周りに周りながらお水をかけます。
西院の河原。よく写真になってるとこ。中で写真撮影はダメ。
お参りの後は予約していた鳥居本遊山さんでランチ。仏舎利塔のあたまがみえ景色が良いです。
コースの最後はデザート🍨大変美味しゅうございました。

嵐電嵐山駅からぶらぶら歩きながら向かいました。
二尊院、祇王寺の前を通り過ぎると、途端に人の影がなくなり、この道でいいんだよね?
なんて少々不安になってしまった。(^^;
「西院の河原」
2時間サスペンス「赤い霊柩車」シリーズでお馴染みの場所ですね。(笑)
西院の河原は中に入れるものの、入ったら写真撮影不可のようです。
(外から撮るのはOK)
六面体地蔵

【虫をも弔う名刹】
思うように外出が出来ない日が続いておりますので、昨秋に訪れた名刹を回想します。
今は美しい竹林ともみじに彩られるここ化野は、古くから葬送の地として知られてきました。
昔の人たちの多くは、肉親や大切な人を亡くしても、
お葬式を挙げたり、お墓を建てるほどの財産がありませんでした。
そこで人びとは、亡骸を葬送の地に運び終えると、故人に今生の別れを告げてきたのです。
本寺の由緒は、
弘仁年間(810-824)、
この地を訪れ、
野ざらしのまま散乱した亡骸たちを見つけた空海(弘法大使)が、
彼らを埋葬し、
追善供養するために、
寺を建てたことにはじまると伝えられます。
空海は、
小倉山寄りを金剛界、
曼荼羅山寄りを胎蔵界と見立てて、
千体の石仏を埋め、
中間を流れる曼荼羅川の河原に、
五智如来の石仏を立てることで、
ここを五智山如来寺としたのです。
ゆえに、
ここはもともと真言密教のお寺であったのですが、
その後、法然上人がここを念仏道場としたようで、
そこからやがて念仏寺と呼ばれるようになり、
浄土宗に改められていったようです。
(本尊は阿弥陀如来です)
人生の無常、はかなさの象徴として、
西行の和歌や、
兼好法師の徒然草にも、引き合いに出されています。
「あだし野の露消ゆるときなく
鳥部山の煙たち去らでのみ
住み果つるならひならば
いかにもののあはれもなからん
世は定めなきこそいみじけれ」(『徒然草』)
誰とても
とまるべきかは
あだし野の
草の葉ごとに
すがる白露 (西行)
しかし、特に印象深かったのが、
人にとどまらず、虫のお墓があったことです。
虫塚と呼ばれ、
毎年祭壇を設け、虫たちに供養をしているようです。
虫はあまり好きじゃないんですが…
亡くなった虫さんたちに、手を合わせてきました。
虫塚
石仏さま
お地蔵さま
紅葉と無数の無縁仏たち
由緒
背後の山には江戸時代初期の豪商角倉素庵の墓があります
竹林が美しいです
耳の痛い言葉たち
耳の痛い言葉たちは志納の上持って帰ることができます
ラミネートして冷蔵庫に貼っています
化野念仏寺、地蔵盆千燈供養。
お盆の後日に行われる「地蔵盆」。これは子供たちが地蔵菩薩様に守ってもらえるように、とはじめられた民間信仰である。
それは亡くなった子供たちについても同じで、地蔵菩薩様のお導きで極楽浄土に行けますように、という願が込められる。
ここ、化野念仏寺は旧跡「西院の河原(賽の河原)」であり、子供たちのための土葬地。並んでいるのは全て子供の墓。
毎年の地蔵盆に子供たちの霊を弔うための精霊会が行われ、水子、および亡くなった子供たちの法要も営まれる。
ただ近年は奥嵯峨の夏の夜祭りの一部となっており、普段は静かな愛宕の地はこの日限定で多くの観光客で賑わう。
子供たちの墓前に蝋燭を立て、供養する。
本来は子供たちのための供養地であり、現在でも水子供養の場である。
愛宕古道の地蔵盆。地域の地蔵盆としては最も大きな部類に入る。
奥嵯峨のこの付近は「愛宕参り」がまだ賑わっていた頃の風情を残す。
とはいえ愛宕古道街道灯し自体は夏の夜祭りなんですよ。
たこ。
くらげ。

千灯供養のお参りに行きました。たくさんの人でしたが厳かな気持ちになりました。
道中を手作りの灯がともしてくれます。
近くの嵯峨釈迦堂にも大きなランタンがありました。

賽の河原、三途の川、積み石、……。
日本人としてイメージする死の世界ではこういった言葉をよく聞きます。
もちろん実在しているわけではないと言いたいところですが、実際はこのように名付けられる場所は存在しています。
その一つである化野(あだしの)念仏寺に行ってきました。
約千二百年前、弘法大師が五智山如来寺を開創して、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したことが始まり。
後に法然上人の常念仏道場となり、浄土宗に属しています。
現在のように石仏が並べられたのは明治中期のころだそうです。
バス停から道なりに歩き、坂を登って敷地に入った瞬間、明らかに雰囲気が変わったように感じられました。
元々は誰にも供養されずに無縁仏になっていた石仏を集めてきた場所。
不思議と寂しい気分になります。
西行法師や徒然草の兼好法師もあだし野を命のはかなさを感じる場所として記した程です。
石仏たちは苔のきれいな庭にぽつぽつと混ざっているか、境内の一部分に固めて並べられているかでした。
実はその石仏が集められた様子が積み上げた石に見えることから、「西院(さい)の河原」と名付けられています。
ひっそりと静けさに包まれて、八千体を数える石仏が並ぶ光景は言葉にできません。
カメラを構えたりおしゃべりをしたりするのが罰当たりに思われるような凄みがありました。
異世界感を伝えるために写真に残したいという思いが勝り、結局撮影はしたのですが、最低限のマナーとして死者を弔う気持ちを忘れてはならない土地だと思います。
※西院の河原は外からの撮影は大丈夫なのですが、中に入って写真を撮ると心霊写真になってしまうらしく、河原内での撮影は禁止されています。
賽の河原で小石を積み上げるこどもたちは最後に地蔵様に救われるといいます。
化野に眠るのは名前も分からない人々の魂。
死んでからとはいえ、最後に石仏として供養されたことで救われているのかもしれません。
立地にしても由緒にしても玄人向けのお寺にはなりますが、興味のある方にはお勧めの場所です。

もともと風葬の地に空海さんが供養のために石仏を建てたところが由来だそうです。
以前、会社員をやっていた時に、中国から来られたかたに会社の立地をほめてもらいました。そこで私が「え~、お墓がとなりにありますよ。」というと中国の方は「お墓は仏様ですから守ってくれます」といって合掌されました。
そこで雷に打たれたような衝撃を受けました。ご先祖様が供養されて眠っているのにお墓の何が怖いのか、と。それ以降、夜の山道を通っていてお墓があっても怖くありません。
化野念仏寺さんにはかくも多くの仏様が眠っておられます。なんと心強いことでしょうか。
最近よく思うんですけど、国籍、人種が同じことよりも言語や価値観、美意識を共有している人のほうが安心感があります。いったん言葉が通じるならあとは価値観や美意識で深くつながれると感じます。
京都府のおすすめ2選🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
24
0