御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

あだしのねんぶつじ|浄土宗

化野念仏寺のお参りの記録一覧
京都府 トロッコ嵐山駅

かっこ
かっこ
2020年11月23日(月)
463投稿

嵐山は交通制限なかったですが渡月橋が通行止めのためレンタカーのナビが迷子。嵐山を諦め化野念仏寺に。密を避けられて結果オーライ😃
弘法大師が五智山如来寺を開山、法然の常念仏道場となり浄土宗のお寺となった。華西山東漸院念仏寺。葬送(風葬から土葬の頃)の地でたくさんの石仏があり生まれ変わり、極楽浄土への往来を願った。ご本尊は阿弥陀如来。

化野念仏寺の建物その他
化野念仏寺(京都府)
化野念仏寺の像

入ってすぐのとこ。赤。

化野念仏寺(京都府)

入ってすぐのとこ。黄色。

化野念仏寺の建物その他

インド式の仏舎利塔。1969年パン大僧正がインドより仏骨を持参されたらしい。

化野念仏寺の鳥居

これもインド式の鳥居。

化野念仏寺の鳥居

これは日本の。

化野念仏寺の地蔵

延命地蔵尊。

化野念仏寺の建物その他

素人はならしちゃいけない鐘。きれいな模様。

化野念仏寺の本殿

ご本尊。

化野念仏寺の自然
化野念仏寺の地蔵

六面六体地蔵さま。時計周りに周りながらお水をかけます。

化野念仏寺の建物その他

西院の河原。よく写真になってるとこ。中で写真撮影はダメ。

化野念仏寺の景色
化野念仏寺の景色

お参りの後は予約していた鳥居本遊山さんでランチ。仏舎利塔のあたまがみえ景色が良いです。

化野念仏寺の食事

コースの最後はデザート🍨大変美味しゅうございました。

もっと読む
ジュン
ジュン
2021年01月23日(土)
462投稿

嵐電嵐山駅からぶらぶら歩きながら向かいました。
二尊院、祇王寺の前を通り過ぎると、途端に人の影がなくなり、この道でいいんだよね?
なんて少々不安になってしまった。(^^;

化野念仏寺の御朱印
化野念仏寺の建物その他
化野念仏寺の庭園
化野念仏寺の景色
化野念仏寺(京都府)

「西院の河原」
2時間サスペンス「赤い霊柩車」シリーズでお馴染みの場所ですね。(笑)
西院の河原は中に入れるものの、入ったら写真撮影不可のようです。
(外から撮るのはOK)

化野念仏寺の地蔵

六面体地蔵

もっと読む
まな
まな
2020年03月26日(木)
39投稿

【虫をも弔う名刹】
思うように外出が出来ない日が続いておりますので、昨秋に訪れた名刹を回想します。

今は美しい竹林ともみじに彩られるここ化野は、古くから葬送の地として知られてきました。

昔の人たちの多くは、肉親や大切な人を亡くしても、
お葬式を挙げたり、お墓を建てるほどの財産がありませんでした。
そこで人びとは、亡骸を葬送の地に運び終えると、故人に今生の別れを告げてきたのです。

本寺の由緒は、
弘仁年間(810-824)、
この地を訪れ、
野ざらしのまま散乱した亡骸たちを見つけた空海(弘法大使)が、
彼らを埋葬し、
追善供養するために、
寺を建てたことにはじまると伝えられます。

空海は、
小倉山寄りを金剛界、
曼荼羅山寄りを胎蔵界と見立てて、
千体の石仏を埋め、
中間を流れる曼荼羅川の河原に、
五智如来の石仏を立てることで、
ここを五智山如来寺としたのです。

ゆえに、
ここはもともと真言密教のお寺であったのですが、
その後、法然上人がここを念仏道場としたようで、
そこからやがて念仏寺と呼ばれるようになり、
浄土宗に改められていったようです。
(本尊は阿弥陀如来です)

人生の無常、はかなさの象徴として、
西行の和歌や、
兼好法師の徒然草にも、引き合いに出されています。


「あだし野の露消ゆるときなく 
鳥部山の煙たち去らでのみ 
住み果つるならひならば 
いかにもののあはれもなからん 
世は定めなきこそいみじけれ」(『徒然草』)

誰とても
とまるべきかは 
あだし野の 
草の葉ごとに 
すがる白露 (西行)



しかし、特に印象深かったのが、
人にとどまらず、虫のお墓があったことです。

虫塚と呼ばれ、
毎年祭壇を設け、虫たちに供養をしているようです。


虫はあまり好きじゃないんですが…
亡くなった虫さんたちに、手を合わせてきました。

化野念仏寺の建物その他

虫塚

化野念仏寺の仏像

石仏さま

化野念仏寺の地蔵

お地蔵さま

化野念仏寺の建物その他

紅葉と無数の無縁仏たち

化野念仏寺の歴史

由緒

化野念仏寺の歴史

背後の山には江戸時代初期の豪商角倉素庵の墓があります

化野念仏寺の景色

竹林が美しいです

化野念仏寺の鳥居
化野念仏寺の建物その他

耳の痛い言葉たち

化野念仏寺(京都府)

耳の痛い言葉たちは志納の上持って帰ることができます
ラミネートして冷蔵庫に貼っています

もっと読む
桜子
桜子
2019年08月25日(日)
132投稿

千灯供養のお参りに行きました。たくさんの人でしたが厳かな気持ちになりました。

化野念仏寺の体験その他
化野念仏寺の建物その他

道中を手作りの灯がともしてくれます。

化野念仏寺の建物その他

近くの嵯峨釈迦堂にも大きなランタンがありました。

もっと読む
武蔵
武蔵
2018年10月22日(月)
2投稿

賽の河原、三途の川、積み石、……。
日本人としてイメージする死の世界ではこういった言葉をよく聞きます。
もちろん実在しているわけではないと言いたいところですが、実際はこのように名付けられる場所は存在しています。
その一つである化野(あだしの)念仏寺に行ってきました。

約千二百年前、弘法大師が五智山如来寺を開創して、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したことが始まり。
後に法然上人の常念仏道場となり、浄土宗に属しています。
現在のように石仏が並べられたのは明治中期のころだそうです。

バス停から道なりに歩き、坂を登って敷地に入った瞬間、明らかに雰囲気が変わったように感じられました。
元々は誰にも供養されずに無縁仏になっていた石仏を集めてきた場所。
不思議と寂しい気分になります。
西行法師や徒然草の兼好法師もあだし野を命のはかなさを感じる場所として記した程です。

石仏たちは苔のきれいな庭にぽつぽつと混ざっているか、境内の一部分に固めて並べられているかでした。
実はその石仏が集められた様子が積み上げた石に見えることから、「西院(さい)の河原」と名付けられています。
ひっそりと静けさに包まれて、八千体を数える石仏が並ぶ光景は言葉にできません。
カメラを構えたりおしゃべりをしたりするのが罰当たりに思われるような凄みがありました。
異世界感を伝えるために写真に残したいという思いが勝り、結局撮影はしたのですが、最低限のマナーとして死者を弔う気持ちを忘れてはならない土地だと思います。
※西院の河原は外からの撮影は大丈夫なのですが、中に入って写真を撮ると心霊写真になってしまうらしく、河原内での撮影は禁止されています。

賽の河原で小石を積み上げるこどもたちは最後に地蔵様に救われるといいます。
化野に眠るのは名前も分からない人々の魂。
死んでからとはいえ、最後に石仏として供養されたことで救われているのかもしれません。

立地にしても由緒にしても玄人向けのお寺にはなりますが、興味のある方にはお勧めの場所です。

化野念仏寺の建物その他
化野念仏寺の建物その他
化野念仏寺の建物その他
化野念仏寺の建物その他
化野念仏寺の鳥居
もっと読む
行きたい
投稿する
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ