あだしのねんぶつじ
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化野念仏寺ではいただけません
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化野念仏寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2020年03月26日(木)
参拝:2019年11月吉日
【虫をも弔う名刹】
思うように外出が出来ない日が続いておりますので、昨秋に訪れた名刹を回想します。
今は美しい竹林ともみじに彩られるここ化野は、古くから葬送の地として知られてきました。
昔の人たちの多くは、肉親や大切な人を亡くしても、
お葬式を挙げたり、お墓を建てるほどの財産がありませんでした。
そこで人びとは、亡骸を葬送の地に運び終えると、故人に今生の別れを告げてきたのです。
本寺の由緒は、
弘仁年間(810-824)、
この地を訪れ、
野ざらしのまま散乱した亡骸たちを見つけた空海(弘法大使)が、
彼らを埋葬し、
追善供養するために、
寺を建てたことにはじまると伝えられます。
空海は、
小倉山寄りを金剛界、
曼荼羅山寄りを胎蔵界と見立てて、
千体の石仏を埋め、
中間を流れる曼荼羅川の河原に、
五智如来の石仏を立てることで、
ここを五智山如来寺としたのです。
ゆえに、
ここはもともと真言密教のお寺であったのですが、
その後、法然上人がここを念仏道場としたようで、
そこからやがて念仏寺と呼ばれるようになり、
浄土宗に改められていったようです。
(本尊は阿弥陀如来です)
人生の無常、はかなさの象徴として、
西行の和歌や、
兼好法師の徒然草にも、引き合いに出されています。
「あだし野の露消ゆるときなく
鳥部山の煙たち去らでのみ
住み果つるならひならば
いかにもののあはれもなからん
世は定めなきこそいみじけれ」(『徒然草』)
誰とても
とまるべきかは
あだし野の
草の葉ごとに
すがる白露 (西行)
しかし、特に印象深かったのが、
人にとどまらず、虫のお墓があったことです。
虫塚と呼ばれ、
毎年祭壇を設け、虫たちに供養をしているようです。
虫はあまり好きじゃないんですが…
亡くなった虫さんたちに、手を合わせてきました。
思うように外出が出来ない日が続いておりますので、昨秋に訪れた名刹を回想します。
今は美しい竹林ともみじに彩られるここ化野は、古くから葬送の地として知られてきました。
昔の人たちの多くは、肉親や大切な人を亡くしても、
お葬式を挙げたり、お墓を建てるほどの財産がありませんでした。
そこで人びとは、亡骸を葬送の地に運び終えると、故人に今生の別れを告げてきたのです。
本寺の由緒は、
弘仁年間(810-824)、
この地を訪れ、
野ざらしのまま散乱した亡骸たちを見つけた空海(弘法大使)が、
彼らを埋葬し、
追善供養するために、
寺を建てたことにはじまると伝えられます。
空海は、
小倉山寄りを金剛界、
曼荼羅山寄りを胎蔵界と見立てて、
千体の石仏を埋め、
中間を流れる曼荼羅川の河原に、
五智如来の石仏を立てることで、
ここを五智山如来寺としたのです。
ゆえに、
ここはもともと真言密教のお寺であったのですが、
その後、法然上人がここを念仏道場としたようで、
そこからやがて念仏寺と呼ばれるようになり、
浄土宗に改められていったようです。
(本尊は阿弥陀如来です)
人生の無常、はかなさの象徴として、
西行の和歌や、
兼好法師の徒然草にも、引き合いに出されています。
「あだし野の露消ゆるときなく
鳥部山の煙たち去らでのみ
住み果つるならひならば
いかにもののあはれもなからん
世は定めなきこそいみじけれ」(『徒然草』)
誰とても
とまるべきかは
あだし野の
草の葉ごとに
すがる白露 (西行)
しかし、特に印象深かったのが、
人にとどまらず、虫のお墓があったことです。
虫塚と呼ばれ、
毎年祭壇を設け、虫たちに供養をしているようです。
虫はあまり好きじゃないんですが…
亡くなった虫さんたちに、手を合わせてきました。
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まな39投稿
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