だいとくじ|臨済宗大徳寺派大本山|龍寶山
大徳寺のお参りの記録一覧
龍宝山 大徳寺(臨済宗 大徳寺派 大本山, 1315年)
山門(重文), 仏殿(重文), 法堂(重文), 方丈&玄関(国宝), 方丈庭園(特別名勝), 唐門(国宝), 庫裡, 僧堂, 浴室, 経蔵, 鐘楼, 明月橋, 勅使門(重文) , 三門は千利休にゆかり, 一休禅師ゆかり
【塔頭】(4塔頭のみ公開)
龍源院(重文), 興臨院(重文), 瑞峯院(重文), 大仙院(重文)
好天の中、特別拝観中の大徳寺へ。
大徳寺の歴史・由緒はすでにこのページあるので割愛。通常非公開の寺院ですが、春の特別拝観で参拝しました。特別拝観中は内部・外観問わず写真NGなので、写真は外から撮ったものです。
境内は非常に広大。通常は近づけない金毛閣を潜り、唐門の拝観できました。また、仏殿と法堂も内部に入れました。よき一日。
御朱印いただきました。
勅使門。
山門(金毛閣)。
横から。
仏殿。
仏殿内部。
仏殿を横から。
仏殿から法堂への回廊。
法堂(だと思います、、)
唐門。鮮やか。
大徳寺境内。時間が止まったかのようです。
庫裏入り口。寺務所も兼ねてます。
庫裏。右手は方丈へ続きますが、修復中です。
境内。塔頭寺院です。
境内。
[京の冬の旅]でお参りしました。
普段非公開です
迫力ある天井画『雲龍図』の説明を聞いたあと、手を叩くと龍が鳴いたように響く[鳴き龍]の体験もさせていただきました。(龍の鳴き声って知りませんが😆)
主人の手の叩き方、響きがお手本の様だと褒めていただきました。
勅使門
すぐ後ろに三門
三門 『金毛閣』
左右に小さい門と中央の大きな門 三つの門で三門だそうです
イブキの大木
仏殿 [京の冬の旅]では初公開です
御朱印
宗務本所(立ち入り禁止の柵有り)でいただけます
京都市北区にあるお寺です。
「京の冬の旅」で 法堂と仏殿が特別公開されるのでお参りしました。
大徳寺は駐車場もあり お参りしやすいですし 塔頭もたくさんあって見どころ満載でもあります。
山号は龍寶山 宗旨宗派は臨済宗大徳寺派 寺格は大本山 (もと京都五山) ご本尊は釈迦如来です。
普通にお参りした時には 仏殿も法堂も外観を見ることしかできず 中は全く見ることができませんでしたので 今回の特別公開はとても楽しみでした。
写真撮影は禁止ですので 撮ることはできませんでしたが とても歴史ある天井画を見ることができました。
仏殿の 狩野元信筆の「天人散華図」は色がだいぶ落ちてしまっていて いつまでもつのか不安でした。
法堂の 狩野探幽筆の「雲龍図」は見事な睨みをきかせていました。
鳴き龍としても有名で 手をたたくと共鳴音が響きました。
大徳寺の歴史は書くのが長すぎるので 乱暴ですが 一部だけをまとめました。
大徳寺は 座禅修行に専心する厳しい禅風を特色としている林下(幕府の庇護を受けない)の寺院として 五山の気風を快く思わない禅僧たちが集う場だったそうです。
妙心寺もその一派です。
大徳寺は 貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え 室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出しました。
享徳2年(1453年)の火災 そして応仁の乱による被害で当初の伽藍を焼失しましたが 一休宗純が堺の豪商・尾和宗臨らの協力を得て復興しました。
また 各地の守護大名によって塔頭が建立されたりもしています。
天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変で 織田信長が自害した後の同年10月15日には 羽柴秀吉によって信長の葬儀が当寺で盛大に執り行われています。
翌年には秀吉によって信長の菩提寺として 塔頭・総見院が創建されています。
日本各地に織田信長の墓所がありますが 総見院はその中で別格の寺院とも言えます。
総門
冬の今日の旅 看板
勅使門
勅使門内側から
法堂
中は撮れないので
法堂から仏殿への道
法堂を外から 少し内側が映ってしまったか
仏殿裏側
仏殿から法堂を見て
勅使門からの仏殿(ほぼ見えないか)
山内図
1325年宗峰妙超(大燈国師)の創建。
1453年の火災、応仁の乱の兵火で伽藍を焼失。
その後一休宗純が復興した。
1582年本能寺の変で自害した織田信長の葬儀が行われたことでも知られる。
山門(三門)は元々一層であったが、1589年千利休が上層を建築し二層となった。ここに雪駄を履いた利休の木像が安置されていたため、門を通る者は利休の足下をくぐることになり、豊臣秀吉の怒りを買い利休切腹の一因となったとされる。
方丈(1635年)、玄関(1636年)、唐門(桃山時代)は国宝、仏殿(1665年)、法堂(1636年)、経蔵(1636年)、鐘楼(1583年)、庫裏(1636年)、寝堂(1630年)、廊下(1636年)、侍真寮(室町時代後期)、山門(三門・金毛閣、1589年)、勅使門(慶長年間(1596年~1614年)御所の門を御水尾天皇から下賜され1640年移築)、浴室(1622年)は重文指定されている。
庫裏
庫裏
勅使門
山門
山門
山門
浴室
仏殿
仏殿
仏殿
法堂
鐘楼(重文ではない方)
鐘楼(重文ではない方)
総門
梶井門
南門
龍源院表門(重文)
龍源院表門(重文)
龍源院
黄梅院
黄梅院
黄梅院庫裏(重文)
黄梅院
養徳院
瑞峯院表門(重文)
瑞峯院表門(重文)
興臨院表門(重文)
興臨院表門(重文)
興臨院
興臨院
三玄院
三玄院
瑞雲軒
聚光院
聚光院
真珠庵
真珠庵
大仙院
大仙院
大仙院
大仙院(重文)
芳春院
芳春院
芳春院
総見院
孤篷庵
孤篷庵
高桐院
高桐院
高桐院
玉林院
玉林院
龍光院
大光院
正受院
正受院
大慈院
大慈院
徳禅寺
徳禅寺
臨済宗大徳寺派の大本山で龍宝山と号する。
鎌倉時代末期の正和4年(1315)に播州の守護赤松円心の寄進により大燈国師宗峰妙超が開創。後に花園天皇と後醍醐天皇の厚い帰依を受け南北両朝の勅願寺となった。
室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。
桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提をとむらうために総見院を建立併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。
勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他を合わせいわゆる七堂伽藍が完備する。
天正17年(1589)に千利休によって山門の二階部分が増築され金毛閣と名付けられ、堂内に利休の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休自決の一因となったと言われる。
本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水。
方丈の正面に聚楽第遺構の唐門(国宝)がある。
三門「⾦⽑閣」(重要文化財)※外観のみ、仏殿(重要文化財)、法堂並びに狩野探幽筆 法堂天井画『雲⿓図』(重要文化財)、唐⾨(国宝)が特別公開されると聞き、拝観させていただきました。一般の⽴⼊りが初めて解禁された仏殿内部拝観や利休切腹の一因となった「⾦⽑閣」をくぐり間近で拝観できるなど、⾮公開区域の伽藍の数々を解説付きで案内していただきました。
金毛閣(山門・三門)
勅使門
勅使門
仏殿
唐門
聚光院前の鐘楼
大仙院
興臨院 特別公開中
興臨院 唐門
興臨院
瑞峯院
正受院
総見院
大仙院
髙桐院
三玄院
大徳寺 本坊の伽藍特別公開(~6/4まで)に参拝しました!
着いてすぐ大徳寺茶所へ行き申し込み、時間を潰してから集合場所へ。
約20名ごとに入場し、ツアー形式で約40分ほどの拝観。
方丈やその庭園は大規模な修復中のため観ることができず残念でしたが、通常非公開の伽藍を間近で、しかも解説付きで参拝できたのは至福でした!
大徳寺さんは塔頭も含めて数回お伺いしたことがありますが、日本史好きでお庭好きな私には堪りません。
拝観謝絶の塔頭もあったり、通常非公開だったり、公開してても撮影禁止だったりしますが(笑)
それも含めて楽しめます!
ちなみに御朱印は、宗務本所にて書き置きをいただきました。
宗務本所の門に「拝観できません」とありますが、よく見ると御朱印の案内がありました。
宗務本所
今宮神社から徒歩で、続いて向かうは臨済宗大徳寺派大本山の寺院、大徳寺です。 正和4年(1315年)、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)によって開山とされ、境内には別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が現存する京都でも屈指の規模を誇る禅宗寺院ですが、叢林(そうりん)では無く林下(りんか)です。 応仁元年(1467年)に起こった応仁の乱の兵火によって当初の伽藍の大半が焼失、一時荒廃してしまいますが、「一休さん」のモデルになった一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が、文明年間(1469~87年)に堺の豪商・尾和宗臨(おわそうりん)の援助を受けて再興します。 天正10年(1582年)には羽柴秀吉(はしばひでよし)が本能寺の変で自害した織田信長(おだのぶなが)の葬儀を営み、その後信長の菩提を弔う為に塔頭・総見院を建立、併せて寺領を寄進したのを契機に、前田利家(まえだとしいえ)や細川忠興(ほそかわただおき)、大友宗麟(おおともそうりん)など名立たる戦国大名による塔頭建立が相次ぎ、隆盛を極めていきます。 また、天正17年(1589年)には千利休(せんのりきゅう)によって山門の修築が行われ、門の上に閣を重ねた楼門は「金毛閣」と名付けられました。 この山門、一説によると千利休が秀吉に切腹を命じられる一因となったとも謂われており、秀吉ら身分の高い人間も通る山門の上層部に利休自身の雪駄履きの木像を設置したことが、秀吉の怒りを買ってしまったとする説は有名です。 法堂や唐門とならび三門・金毛閣は通常非公開ですが、立入禁止区域の外からその外観は見ることができます。 御朱印は宗務本所という場所で頂けるのですが、立ち入り禁止の柵があり最初、中に入っていいものか躊躇してしまいましたが奥に入り庫裏の扉を開けると、お寺の方が対応をしてくださいますので安心してください。御朱印、無事拝受できました。
大徳寺・宗務本所
大徳寺・勅使門
大徳寺・山門
金毛閣
大徳寺・山門
金毛閣
大徳寺・法堂
大徳寺・鐘楼
御朱印・本朝無双禅苑
千利休ゆかりの大徳寺に参拝。山門の金毛閣に安置された千利休の木像が不敬だと言われ切腹の原因になったらしい。御朱印は宗務本所にて書置きのものをいただきました。
大徳寺〜勅使門
大徳寺〜山門(金毛閣)
ここに安置された千利休の木像が不敬であると切腹の原因になった
大徳寺〜総門
宗務本所〜ここで御朱印をいただける
京都府のおすすめ❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
5
0