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だいとくじ|臨済宗大徳寺派大本山龍寶山

大徳寺のお参りの記録一覧
京都府 北大路駅

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garu
garu
2017年09月14日(木)615投稿

ここも大きなお寺さんですよね。紫野と言う場所にあります。
京都では「野」がつく場所は墓地か遺体放置所と言うイメージが私の中にあります。
先の方の記事で一休禅師が開いたお寺さんだというのなら、なんか納得できますね。彼はアニメとは違って非常に反骨精神旺盛な僧侶でした。
残っている書を見ても、「きっとこの人は偏屈で一言いえば理詰めで反論するような人だったのだろうな」って感じでした。

(余談ですが、奈良興福寺の蓮華写経の見本文字は一休さんです)

ここのひと際目立つ真っ赤な三門ですが、ここに千利休が自分の像を入れたのが元で秀吉に処刑されたと言われて居ますが、実は諸説ありましてね、像を作って入れろと言ったのはお茶々だったとか大河でありましたよね(笑)

実はそんな話では無かったんですって。
利休は堺で南蛮貿易をしていました。当時種子島と言う銃が武将の間で広まりましたが、弾薬を作れなかったらしいです。
(弾薬と言うのは人糞を使って作るんじゃなかったかなぁ・・・。スミマセンはっきり覚えてないです)
その弾薬を買い付けていたのが利休だった。(この辺りは大河でも表現されてましたっけ?)
こっからです。
実はその取引に相手はお金ではなく日本女性を要求していたって知ってました?
樽一個に女性が何人だっけか・・・。
利休は人身売買をしてたんです。その頃沢山の売られてきた女性やか拉致された女性が弾薬と交換で海外に売られていったんです。
それを聞きつけ、秀吉は激怒したという説があります。

利休は国籍も疑わしいという噂もある人で、なかなかの食わせ物です(苦笑)

まぁ、でも一般にはここの門に上げられた像が原因と言うのが通説です。
そんな歴史の表舞台に度々出てくる大徳寺。
ここからの眺めは当時と変わらないそうです(高い建物が周辺に無いので)
当時と同じ風景を眺めながら歴史を紐解くのも一興かと。

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西縁 ゆかり
西縁 ゆかり
2017年07月31日(月)1252投稿

14世紀初頭(正和~元応年間)に創建された小堂がはじまりであるとされている。
応仁の乱によって焼失したが、一休宗純(一休さん)が堺の豪商らの協力を得て再興したものが現在の大徳寺となる。

一休宗純ゆかりの御寺としても有名であるが、広大な敷地内にはかつての戦国武将らが建立した菩提寺が立ち並ぶ。
菩提寺、という形で武将たちが一堂に集まっている場でもある。
以下に主な塔頭を挙げておくが、ほとんどは非公開。一部通常公開または季節ごとの特別公開がある。

・養徳院:足利義満の弟・足利満詮が夫人の菩提を弔うために建立。
・龍源院:畠山義元・大内義興・大友義親らによる創建。
・黄梅院:織田信長の父・信秀の菩提を弔うために建立。蒲生氏郷も弔われている。
・大慈院:立花宗重の墓。
・瑞峯院:大友宗麟による創建。
・三玄院:石田三成・浅野幸長・森忠政らによる創建。石田三成公廟。(※完全非公開)
・真珠庵:一休宗純ゆかりの御寺。
・芳春院:前田家菩提寺。
・聚光院:三好義継による建立。
・総見院:織田信長の菩提寺として豊臣秀吉が建立。
・高桐院:細川家菩提寺。
・玉林院:山中鹿之介の位牌堂。
・龍光院:黒田家菩提寺。(※完全非公開)
・大光院:豊臣秀吉と豊臣秀保が豊臣秀長のために建立した菩提寺。
・興臨院:畠山義総による創建。

大徳寺の山門・神門

三門。

大徳寺のその他建物

南門の通りぬけ。

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