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西縁 ゆかり

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14世紀初頭(正和~元応年間)に創建された小堂がはじまりであるとされている。
応仁の乱によって焼失したが、一休宗純(一休さん)が堺の豪商らの協力を得て再興したものが現在の大徳寺となる。

一休宗純ゆかりの御寺としても有名であるが、広大な敷地内にはかつての戦国武将らが建立した菩提寺が立ち並ぶ。
菩提寺、という形で武将たちが一堂に集まっている場でもある。
以下に主な塔頭を挙げておくが、ほとんどは非公開。一部通常公開または季節ごとの特別公開がある。

・養徳院:足利義満の弟・足利満詮が夫人の菩提を弔うために建立。
・龍源院:畠山義元・大内義興・大友義親らによる創建。
・黄梅院:織田信長の父・信秀の菩提を弔うために建立。蒲生氏郷も弔われている。
・大慈院:立花宗重の墓。
・瑞峯院:大友宗麟による創建。
・三玄院:石田三成・浅野幸長・森忠政らによる創建。石田三成公廟。(※完全非公開)
・真珠庵:一休宗純ゆかりの御寺。
・芳春院:前田家菩提寺。
・聚光院:三好義継による建立。
・総見院:織田信長の菩提寺として豊臣秀吉が建立。
・高桐院:細川家菩提寺。
・玉林院:山中鹿之介の位牌堂。
・龍光院:黒田家菩提寺。(※完全非公開)
・大光院:豊臣秀吉と豊臣秀保が豊臣秀長のために建立した菩提寺。
・興臨院:畠山義総による創建。
大徳寺の山門(京都府北大路駅)三門。大徳寺の建物その他(京都府北大路駅)南門の通りぬけ。大徳寺の建物その他(京都府北大路駅)石田三成公廟・三玄院。大徳寺の建物その他(京都府北大路駅)瑞峯院のあたり。大徳寺の建物その他(京都府北大路駅)織田信長公廟・総見院。特別公開のみだけれど人気により予約しないとなかなか拝観できない。大徳寺の山門(京都府北大路駅)興臨院。特別公開時のもの。

すてき4

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西縁 ゆかり

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主に京都のそこらへんの写真を撮っておりますよ。

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大徳寺について

基本情報

名称大徳寺
読み方大徳寺
御朱印あり
電話番号075-491-0019
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/

詳細情報

ご本尊
宗旨・宗派臨済宗大徳寺派
ご由緒

 臨済宗大徳寺派の大本山で龍 寶山と号する。
鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。
勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。山門は、二階部分が、千利休居士によって増築され、金毛閣と称し、利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休居士自決の原因となった話は有名。本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水。方丈の正面に聚楽第から移築した唐門(国宝)がある。方丈内の襖絵八十余面(重文)はすべて狩野探幽筆である。什宝には牧谿筆観音猿鶴図(国宝)、絹本着色大燈国師頂相(国宝)他墨跡多数が残されている。(10月第二日曜日公開)現在境内には、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が甍を連ね、それぞれに貴重な、建築、庭園、美術工芸品が多数残されている。

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最終更新:2019年03月28日
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