ごりょうじんじゃ(かみごりょうじんじゃ)
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楽しみ方御霊神社(上御霊神社)のお参りの記録一覧
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京都市上京区にある神社です。
御霊神社は 上御霊神社とも呼ばれます。
これは中京区に下御霊神社があることから 対応してつけられた名です。
こちらは以前にもお詣りしたことがあります。
御朱印もいただけますし 近くを通ってスルーするわけにはいきません。
この日は参拝者は少なく 静かにお詣りできました。
境内には歴史を感じる社殿がいくつもあります。
木の変色具合や 木の傷み具合が 「今までよく残っていてくれたね」 と言いたくなるんです。
絵馬殿・神楽殿・拝殿 どれを見ても江戸時代のものではないかと思うのです。
祭神は多く 崇道天皇・他戸親王・井上大皇后・藤原大夫人・橘大夫・文大夫・火雷神・吉備大臣です。
また境内社もとても多いです。
神明神社・稲荷神社・厳島神社・花御所八幡宮・大舞神社・天満宮社・多度神社・貴船神社・
粟島神社・白髪神社です。
長宮三十社 春原社・荒神社・稲葉神社・今宮神社・熊野神社・愛宕神社・熱田神社・多賀神社・厳嶋神社・猿田彦神社・貴布禰社・丹生神社・梅宮神社・八坂神社・廣田神社・吉田神社・日吉神社・住吉神社・龍田神社・廣瀬神社・大和神社・石上神社・大神社・大原神社・平野神社・春日神社・松尾神社・八幡神社・賀茂神社・鴨神社もあります。
どんだけたくさんの神を祀っているの~って思います。
またこの地は 応仁の乱勃発の地として知られています。
室町時代には 失脚した管領の畠山政長が当社境内の森に布陣し そこに畠山義就が攻め寄せて上御霊神社の戦いが行われたと記録があります。
この戦いは応仁の乱の前哨戦となったことから当地は「応仁の乱発祥の地」とされています。

少し北に戻って上御霊前通りを東へ向かいました。
歩いて行くと御霊神社様が鎮座されています。
御祭神は
崇道天皇(光仁天皇の皇子、早良親王)
井上大皇后(光仁天皇の皇后)
他戸親王(光仁天皇の皇子)
藤原大夫人(桓武天皇皇子伊予親王の母、藤原吉子)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文室宮田麻呂)
火雷神(菅原道真)
吉備大臣(吉備真備)
の八柱で八所御霊と称されています。
桓武天皇の御世に疫病が蔓延しました。
これは怨霊の祟りに違いないと考え794年に
早良親王をお祀りされたのが始まりです。
御霊神社様では1467年1月18日に失脚した管領の
畠山政長が境内の森に布陣したことで畠山義就が
攻め寄せて上御霊神社の戦いが行われています。
この戦いが応仁の乱の前哨戦であることから
「応仁の乱発祥の地」とされています。
「御霊神社」という社号のお社様は独特な雰囲気を
感じ緊張します。って きっと私の先入観や思い込みの
せいなんでしょうけど(;^ω^)


あいにくの雨模様なのでバスで北山まで行き、いつもの法乗院さんに御朱印帳をお預けして南下開始。まずは上御霊さんへ。西鳥居から入り昨年修復終えた随身門から境内へ。境内はほぼ緑ですがところどころに躑躅が咲いており、そして境内南側には一初の花が結構いっぱい咲いてました🤗上御霊が一初の名所って知らんかったぁ😅これもお導きかな?祭り期間のため神楽殿には金ぴかの神輿がずらりと並んでました🤗18日の還幸祭は日曜だから来れなくもないなぁ・・・天気次第で考えよう😅境内西と南側はわりと散策してましたが北側に末社がこんなに並んでるのも気づきませんでした😲長宮三十社というらしくその名の通り末社が30柱並んでいます😲なかなかすごいうえに有名どころばっかりです。三社ずつでも十回お詣り😅なかなか大変です。神明神社、福寿稲荷と周り、最後に本殿をお詣り。南側から退出したら塀際の堀に一初が群生😍今週頭なら見頃だったのかも。でも十分にきれいでした🤗近くで見れるぶん太田神社の燕子花より良いかも(無料やし😅)
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そもそもは桓武天皇の時代、各地で疫病が流行していた。これは御霊の祟りであるとして、延暦13年(794年)5月、早良親王(崇道天皇)の御霊をこの地に祀ったのが始めだとされる。また、この地には平安遷都以前から出雲氏の氏寺・上出雲寺があり、当社の元はその鎮守社であったともされる。
貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。この時に慰霊された御霊は崇道天皇(早良親王)・伊予親王・藤原夫人(藤原吉子)・観察使(藤原仲成)・橘逸勢・文屋宮田麿らの六所御霊であった。この御霊会が当社および下御霊神社の創祀であるとしている。
後年には祭神のうち伊予親王と観察使(藤原仲成)が井上大皇后と他戸親王に変わり、火雷神と吉備大臣(吉備聖霊)が追加されている。
平安時代には現在の下御霊神社を下出雲寺御霊堂、当社は上出雲寺御霊堂と称した。朝廷の篤い崇敬を受け、至徳元年(1384年)には正一位の神階を授けられている。
室町時代の文正2年(1467年)1月18日には、失脚した管領の畠山政長が当社境内の森に布陣し、そこに畠山義就が攻め寄せて上御霊神社の戦いが行われた。この戦いは応仁の乱の前哨戦となったことから当地は「応仁の乱発祥の地」とされる。
~ウィキペディアより一部抜粋引用~
早朝にお参り致しましたが、快く御朱印対応ならびに御霊合戦の石碑の所在を教えていただき感謝です🙏
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